史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち (河出文庫) [Kindle]

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  • 河出書房新社
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  • ・西洋哲学は「反論を繰り返して、究極の真理に向けて登っていく」のに対し、東洋哲学は「特定の人によって到達された真理があり、後世の人がその考え方や言葉を解釈」するもの。
    ・東洋哲学では、実際に強烈な体験、悟りの経験をしない限り、真理の知識を得た、だけでは、認められない

    ▪️インド
    ①ヤージュニャヴァルキヤ B.C.650~550. 「梵我一如」
    ・梵我一如:「世界を成り立たせている原理(梵:ブラフマン)」=「個人を成り立たせている原理(我:アートマン)」
    ・アートマン(私)とは、認識するもの(認識主体)である
    ・無限遡行によって、「認識するものは認識できない」という結論に達する
    ・アートマン(私)は決して認識対象にはならないのだから、アートマンは「〜にあらず」としか言えない→私は決して破壊されることもないため、この世の不幸は消え去り、自己は史上最強無敵の存在となる

    ②釈迦 B.C.500頃 「無我」
    ・中道:悟りと苦行には何の因果関係もない。それどころか障害になりうる
    ・苦行から離れた釈迦は、菩提樹の下で瞑想を続け、真理を悟り仏陀となる
    ・四諦=四つの真理:苦諦(苦という真理。老病死からは逃れられない)、集諦(苦の原因という真理。それは執着)、滅諦(苦の滅という真理。執着をなくせば良い)、道諦(苦の滅を実現する道:苦しみが消えた究極の境地に達する道がある)
    ・八正道:人間が正しい生き方を実践するための8つの方法
    ・無我:「アートマン(私)は存在しない」=「私」は概念化できないもの
    ・縁起:「あらゆるものは、必ず何らかの縁によって起こって生滅を続けており、永遠不変のものとしては存在しない」

    ③龍樹 150~250. 空の哲学
    ・大乗仏教
    ・縁起こそが仏教の要所と考え、それを空の哲学として洗練させ、般若経をまとめた。般若心経は般若経を262文字に凝縮した経典
    ・「空の哲学」 般若心経の色即是空、空即是色。存在には実体がなく、あらゆる現象、物事は相互の関係性で成り立っている。「存在している」と認識しているものは、区別するからこそ存在するだけであり、実体があるから存在しているわけでない
    ・通俗的には、般若心経は、上記のように物事は実体がなくはかないものだから、執着しないでいいよと教えてくれる、と解釈されている。
    ・実際の般若心経では、あらゆるものがないと「実体がない」ことを「存在しない」と論をすすめている。存在のみならず、悟りや、四諦や八正道まで否定してしまう。つまり、あらゆる事象は分別によってそういう風に切り取ったから存在しているにすぎない、すなわち関係性のなかでなりたっているにすぎない実体のない「空」とする。分別がない世界(つまり、言葉を覚える前の赤子の世界)にはあらゆるものが存在しない。最後まで、「自分」と「他」の区別はあるが、それすら克服するためには「自我の崩壊」「自己の死」を乗り越える必要があり、そのさきに悟りのきょうちがある

  • 西洋編に続きこちらも数ある哲学入門書の中では今のところ最強でしょうかw 
    ウパニシャッドから禅思想まで枝葉末節を極力省き東洋哲学の到達点、とりわけ「悟り」の手前まで示してくれています。
    両方併せ読むと西洋哲学の到達点と東洋哲学の到達点が似通っているのがとても興味深いですね。ここからさらに頭でっかちから「悟り」へ、西洋哲学の限界を超えるため仏門に入るのもよし?w
    怪しげな新興宗教にハマるぐらいなら、その前にぜひ読んでほしい一冊。

  • 表題の通り東洋哲学についての解説である。

    具体的には、インド、中国そして日本である。

    本書の初めでも触れているのように、東洋哲学と西洋哲学とではそもそも考え方が全く異なる。
    西洋哲学の「哲学」の方法は古代ギリシャ演繹的な方法によって理論を構築していき、「真理」に到達する。
    すなわち、絶対的に疑いような無い事からスタートしてA=B、B=CゆえにA=Cという3段論法によって心理を追及していくのだ。
    Descartesなんかは最初の出発点として「われ思う、ゆえにわれあり」ということから出発して彼の哲学を展開したのだ。

    これは「理性」によって世界のすべてを理解でき、解き明かせるという考えに基づく。
    この考え方は科学との親和性が高く、西洋の方が科学技術が発展した理由の一つであるように思う。

    一方で東洋哲学はどうであろうか。
    東洋哲学は西洋哲学と同じように「真理」を追究するという目的は同じであるが、アプローチは180度異なる。
    すなわち、東洋哲学はある日、ある人がぱっと目覚めて真理を発見して、こーゆものだ!ということからスタートする。
    でも、これだと(誰もが思うけれど)その目覚めた人の思考を追うことができない。
    その思考を追うために、あーでもない、こーでもないといろいろ考えて(時には苦行という実践)真理に到達する方法を構築していく。


    筆者の説明はわかりやすいけれど、重要なのは哲学をどのように日常に活用するか、という方がが問題なのだと思う。
    だって悟りを開いても明日から天才になるわけではなく、お金持ちになるわけではない。結局、時間は流れていくし悟りを開いていてもいなくとも何も変わらないのだ。
    別に私はお坊さんになりたいわけではなく、哲学を研究したいわけでもない。
    結局、何か嫌なことがあったり、苦しい時、どうやってこれを和らげるかという問題に解決策を与えるものが哲学なんだろうと思う。

  • ーー本書を「哲学の入門書」と言って良いのだろうか?

    インドを出発点として、中国、日本と東に向かって伝来し、哲学とも宗教とも政治学とも呼べる「混ぜこぜの思想」に洗練され継承されていく歴史を一冊にまとめた意欲作。飲茶さんの前作「西洋の哲人たち(こちらの方が漫画「刃牙」の闘う男たちの世界観が強い)」より心に深く響いた。

    個人的には日頃から仏教の考え方に共感しているので関連書籍(「#0400Rb.仏教」でタグ付けしてる)をよく手に取るし、毎日心の健康のために10分程度の瞑想もする。でも読む度に”なるほど!”の背中にもっと深い”モヤモヤ”が広がるのを感じてきた。毎年正月には親や兄妹と一緒に先祖のお墓がある寺に年始挨拶をしに行って住職の説法を聞かされるのだが、そこで積もり積もってたモヤモヤがいつも爆発する。何なんだ、この茶番は!と。時々テレビで放送される禅寺のドキュメンタリーや高僧のインタビューにも同じ印象を持つ。それは、浅い表面をなでるようなやさしい言葉ばかりで、PoPミュージックとさして変わらない。

    でも本書で、歴史を通じて特に仏教が果たしてきた役割や、時代の為政者(日本では徳川幕府)の仏教政策が解説されており、ついにこのバカバカしさの正体を理解することができた。

    つまるところ「嘘も方便」ということだ。

    言葉で相手の頭の中にクオリアを発現させることができないし、またそれをこちらで感知することもできない。だから相手を観察してその時々(TPOだけでなくローカル性や時代性など含めたコンテキスト)に合わせた最適な言葉で表現しているということ。そこに嘘があっても良い、というか嘘を混ぜることでしか表現できないということ。だからどの仏教僧も「パッと見、優しい詐欺師」であったり「昔気質の職人(ワシの背中から技を盗め!みたいな)」に見えていたのだ。彼らもそれを知りつつ、あえて演じていたからと知った。これまで読んだ仏教関連本で最も生日が多い本だった。

  • 体験的悟り。悟りは論理ではなく、体験でしか得られない。それはとてもわかる。悟りだけではなく、いろんな気付きや学びも体験や経験をすることで体にしみこんでいくと思っている。
    だから自分の経験をいかに言葉でまわりに説明しても、最終的には一度それを経験してみてという話になる。その経験する場を提供していきたい。

    禅も瞑想も体験的方法。

    ヤージュニャヴァルキャ
    梵我一如、自己の探求、なにもない。

    釈迦
    無我。わたしは存在しない。体験的理解。まわりくどい言い方。ひとりひとりにあわせた助言。

    龍樹
    空の哲学。すべては実体がない。相互作用。人による意味付け。

    孔子
    仁、礼、不遇の人生。

    墨子
    兼愛、強肉弱食、弱きものを守る

    孟子
    性善説、仁

    荀子
    性悪説、礼

    韓非子
    形名参同、法、実際にやったことと言動の照合

    老子
    無為自然、万物は道から始まる

    荘子
    万物斉同、言葉によって境界がうまれる、文章好き、老子の考えをわかりやすく書く

    東洋哲学はうそである。ウソも方便。

    親鸞
    他力本願、弱者救済、

    栄西
    公案、なぞなぞ、思考の停止からの悟り

    道元
    只管打坐、ただ座る

  • おもしろかったです。釈迦や龍樹、孔子、親鸞、栄西などあまり哲学者というイメージはなかったですが、見方が変わるきっかけになりそうです。老子が一番意外でした。高校時代に読んでいれば、中国史をもっと理解できたかもしれません。

  • 西洋編から続けて読了。
    理論を積み上げて世界を説明し、その要素として自己の探求へとたどり着いた西洋哲学と異なり、内面への問いかけから自己と世界の在り方を見出だす仏教思想の難解さを知ることのできた一冊。
    東洋の哲人たちと題されており、インド哲学、中国哲学、日本哲学と章立てされているものの、その実仏教が老荘思想を経由して日本に伝来し、禅という流派の一定の完成を見るまでの過程の解説が主。
    ただ、中国哲学だけは孔子~韓非子で諸子百家と中華思想の成り立ちの話になっており、少し毛色が違った。各王朝でどのような思想が尊ばれたなどを垣間見ることができたものの、文脈としては不思議だなと思ったり。
    前著と合わせて、はじめの一歩として読むには取っつきやすい本だった。

  • 「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち」(飲茶)を読んだ。
    たまらなく面白い。
    昔からの僕の憧れは、十牛図でいうところの第七図「忘牛存人」状態。嗚呼、あそこに辿り着きたい。
    この本で衝撃的だったのが、『二一世紀を代表する偉大な哲学者である江頭2:50は、(後略)』(本文より)って⁉︎

  • 刃牙ファンが書いた東洋哲学者の紹介本。表紙とまえがきこそ刃牙成分多めだが、中身は刃牙を知らずとも全く問題ない。ちょっと独特な文章が差し込まれていたら、それは何らかのパロディであると思っておけばいい。

    前作と同様に分かりやすくはあるのだけど、肝心の教えに対して納得がいかないから困る。著者曰く、西洋の哲学は階段型とでも言うべき形で、論理によって真理に近づこうとする営みである。対して東洋の哲学はピラミッド型で、まず釈迦などの開祖が真理を悟り、それを弟子たちが解釈しようと努力するという形を取る。しかも真理に到達するためには論理ではなく、体験としての「悟り」が必要だという。なので言葉だけでは真に理解できない、と。

    論理や言語で表現できず、体験でしか理解できない物事があるというのはいい。しかし、開祖の到達したという真理とやらが、正しいという保証はどこにあるのか。それが不明なため、結局は宗教だよなという気分にしかならない。これは著者に問題があるのではなく、東洋哲学そのものに問題があるのだろう。東洋哲学は知識として追い求めるのはいいが、自分で追求するものではないなと改めて思った。

  • 東洋の思想家や哲学者をまとめた本。
    一冊目は西洋で今回は東洋。

    西洋以上にありそうで無かった本。
    西洋のときもそう思ったけど、東洋の思想家をこれだけわかりやすくまとめる著者の力量はすごいな。。

    インド ⇒ 中国 ⇒ 日本という章で進んでいくが、インドで生まれたウパニシャッド哲学が釈迦・龍樹を経て、中国で老子・荘子と融合し、最後に禅として完結する、という流れが素晴らしくて美しい。

    漫画「キングダム」に登場する法家の李斯(りし)も登場する。
    あとは孫子を登場させて欲しかった。けど、「悟り」という軸で話を進めるならば、孫子は必要ないもんね・・残念。

    西洋と東洋の哲学者達を薄く広く眺めて、とりあえず哲学を学ぶスタート地点には立った。あとは、興味ある人物の個々の本を読んでいこうと思う。

  • 前作の西洋哲学を紹介した「史上最強の哲学入門」が分かりやすくかつ面白かったので本書も購入しました。

    結果から言うと、こちらも当たりでした。迷信的で脱俗的なイメージのある東洋哲学が著者の優れた洞察で初心者にも分かるように例え豊かに説明されています。

    本書で学んだことを言葉で表現すると、東洋哲学のゴール(悟りの境地)とは「自己はない」「境界はない」と体験する(悟る)ことにあると言えそうです。しかし、本書でも知識として分かっているということと、実感として分かっている(悟りを得ている)ことは違うと書かれています。言葉で西洋哲学が分かった!と言っても何の意味もないのでしょう。

    例題として書かれているチャーマーズの提示問題で価値観が変わるほどの衝撃を受けました。是非一度この体験を味わってみて欲しいです。

  • ■評価
    ★★★★☆

    ■感想
    ◯東洋哲学は文字で学んだだけでは真の意味でわかることなんてない。それでもヘビの例えや、耳の例え、ピーナッツの例え、ガンダムの例えなどの比喩を使って“分かった”を説明するのは面白い。わからないことが分かったという段階までは近づける。
    ◯西洋哲学編も面白かったけど、東洋哲学もめちゃくちゃ面白い。やはり熱量のある本は読んでいて楽しいし、東洋哲学の入口に立つことが出来た感覚をもつことができる。
    ◯インド哲学の系譜を組んだ仏教は、宗教というより哲学なんだなと改めて思った。
    ◯真理というゴールに達しようとする西洋哲学に対して、すでに真理に達してしまっているところからスタートする東洋哲学は向きが逆なのが面白い。こんなモノ他の人がわかるわけがないと思っているのが根底で、それでも頑張って伝えようとして誤解されたり、方便の嘘言ったりしている。

  • 圧倒的にわかりやすく東洋哲学史を学べる良書。
    難解な言葉が一切使われておらず、わかりやすいように例えが随所で使われていて読みやすい。
    そもそも東洋哲学を理解することは不可能であると断じた上での解説なので、無理に思想を押し付けたりせず、「例えるとこういう感じ」で解説してくれるため、専門家でもない限り必要十分な知識が得られる。

  • これは史上最強だ!(笑)面白く読ませてもらった。

    お勉強が得意な優等生が、講義ノートをまとめました的な本では全くない。東洋哲学は「ウソ」である、など種明かし的で大胆な解説。

    インド哲学、中国哲学、禅…。そういったものに共通するコンセプトを理解することができる。

  • 何回も読みたい。面白い。哲学にハマった。
    「確かにそれ気になる」という疑問を提示してくれて、それを説明してくれる、気持ちの良い論理展開。文献読んでも恐らく理解できないだろうから、こんなわかりやすく説明してもらえるのはありがたい。
    内面、世界のとらえ方を何度も反芻してみる。言葉で考えてる時点でダメだからデタラメナ音で考えようとか、、、
    悟ると喜びはどのように感じられるのだろうか?
    あ~悟りたい、、 あ、これもだめか!

  • 西洋哲学は過去の哲学から演繹的に新たな哲学を生み出す。
    東洋哲学は、「悟り」という1つの哲学に達するための哲学。悟りは、体験の哲学なので、いくら知識を集め、思考してもたどり着けない。

  • 前回の刃牙成分満載の哲学入門の東洋哲学版。
    西洋哲学が何なのかわからないけど表紙見て買ったら面白かったので続けて買って読んでみた。
    間を空けずに読むと西洋哲学と東洋哲学の違いがよくわかったような気にさせてくれる。
    西洋哲学はバトルものと言った感じで「俺はこうだと思う!」「いや、それは違うと思う」など哲学者同士のバトルが繰り広げられていたが東洋哲学は毛色が違うんだということがわかった。
    どちらかと言うと無茶苦茶感がある。
    しかしそれは悟りに至っということが言語化できない、体感することでしか本当に理解できないと言う特性があるからそうなってるんだな、など知ると「なるほどね」と思う事がたくさん説明されていた。
    こちらも全く東洋哲学について知らない人間がまずとっかかりとして読むには最高の入門書だと思った。

  • Audibleにて。
    ・宗教の戒律は東洋哲学における体験を通じたわかる(悟る)を引き起こすための、方便(それ自体に意味があるわけではない)
    ・突然叫ぶ、突然泣くといった奇行が禅のエピソードとして多くあるのは、それによって弟子たちの思考を無理矢理停止し、悟るきっかけを与えるため
    ・完全に矛盾したなぞなぞを解かせることも、思考をオーバーヒートさせ、思考のループから逃れるきっかけを与えるため
    ・考えることで悟りに至ろうとするのは、なんでもガンダムで例えて理解する人が、ガンダムで例えることの限界をガンダムで例えようとしていることと等しい

  • インドから中国を経て日本に入ってきた”東洋哲学”のでっかい流れが、分かりやすい、しかも読みやすい、そしてfunnyの意味で面白い。
    なんで禅を組むのかを「すべてをガンダムでたとえる男」で説明してくれ、分かりやすいし読みやすいし面白い。

    これは東洋哲学を理解するための本ではなく、東洋哲学の一つの切り口を見せてくれる読み物です。捉えずらいアニメや映画の解説サイトみたいなもので、解説を鵜呑みにはできないけど理解するひとつの手がかりになる、みたいな使い方ができます。

  • めちゃくちゃ面白かった。なんか悟ってみたいって思った。大乗仏教については少し知っていたけど、その核は哲学なのだと理解できた。

  • 西洋と東洋の哲学の対比は秀逸と感じる

  • p.2021/7/19

  • 史上最強の哲学入門に引き続き面白く読みやすかった

  • --- インド編 ---

    東洋哲学の源流は、BC1500頃のインド。アーリア人が現在のイラン(「アーリア人の国」という意味)あたりから東へ攻め入りガンジス川流域を制圧した。彼らアーリア人が現代のインド人の祖先。アーリア人は自らの地位を確固たるものにするため、「司祭(バラモン)、王族(クシャトリヤ)、庶民(ヴァイシャ)、奴隷(スードラ)」の4階級に分類し、自分たちが司祭であると宣言した。当然、制圧された先住民族たちはそれ以下の階級。これが後にバラモン教となりヒンドゥー教(カースト制度)となった。

    司祭たちは特権階級なので暇だった。暇だったから色々考えた。これが東洋哲学の発展の起源。こうして生まれたインドの哲学を「ウパニシャッド(奥義書)」と呼ぶ。
    ちなみにこの流れは西洋哲学でも同様で、古代ギリシャ人たちは他国を制圧しまくって集めた奴隷たちに労働させていたので自分たちは暇で、その結果ギリシャ哲学が発展している。ちなみに英語の「school」はギリシャ語の「schole(暇)」が語源。

    で、東洋哲学の起源とも言うべき人物は、ウパニシャッド最大の哲人ヤージュニャバルキヤ(BC600)という人物(釈迦よりも100年ほど前の人物)。ヤージュニャバルキヤの哲学は今では「梵我一如(ぼんがいちにょ)」として知られている。「梵=ブラフマン=宇宙を支配する原理」と「我=アートマン=個人を支配する原理」は「一如=同一のもの」ということ。「アートマンがブラフマンと同一であると知った人間はすべての苦悩から解放され『究極の真理』(悟り)に到達する」とのこと。解釈としては(多分)以下のような感じ。ブラフマンは宇宙を支配する原理なので観測者(認識をする主体)である。そしてアートマンもそれと同一なので観測者。観測者を観測することはできない。なぜなら無限遡行が起こってしまうから。アートマン(=自分)は観測者でしかないのに、それをあたかも「観測対象」であるかのように勘違いしてしまうこと(「同化」)がすべての不幸を生み出す原因。夢を見ているだけなのに、夢の中の出来事を自分に起こったことと勘違いして勝手に不幸になっているようなもの。夢であることを悟った瞬間、すべての不幸は消え去る。これがヤージュニャバルキヤの梵我一如。

    ヤージュニャバルキヤの哲学を信じるなら、「私(アートマン)」に生まれながらの階級など存在するはずがない。司祭は「司祭という夢」でしかなく、奴隷は「奴隷という夢」でしかない。つまりヤージュニャバルキヤの哲学は、司祭の特権を揺るがすものであり、それ以下の人たちを勇気づける革命的なものだった。かくして、「俺も最強の境地に達して全ての不幸から解脱するぞ!」という一大ブームが古代インドに巻き起こった。釈迦(BC500)もそんなブームに乗っかったうちの一人。決して、突如インドに舞い降りて全てを生み出した神のような存在ではなく、ウパニシャッド哲学という脈々と受け継がれてきた古代インドの伝統を踏まえた上で存在している一人の人間だった。

    釈迦は王族(クシャトリヤ)の出だったが、悟りを求めて出家した。ところで東洋では「知識として知っているだけでは真に理解している(悟っている)とは言えない」という風習・文化が古来からあり、哲学の文脈においても「知識だけ持っている人」と「悟っている人」を言葉では見分けられないという問題があった。そこで古代インドでは、それを見分ける方法として「どんな苦しみに耐えられることこそ、自分と観測者を別物と悟っていることの証明」という方法(苦行)が用いられた。というわけで釈迦もその流れに従って苦行を行った。やばいほどの苦行を6年間続けた。そしてその末に、「これは逆効果だわ」と気づき、苦行を捨てて「中道」を歩み始めた。「苦行に耐えれば真理に近く」という思い込みこそがアートマンに対する誤解そのものであり、本当に悟っていれば苦行に耐えられることと悟ることに因果関係がない(苦行に耐えることも夢でしかな)ことは明らか。それに気づいた釈迦は苦行ブームに待ったをかけて「中道こそ悟りの道に通じる」と宣言し、インド哲学の歴史を正道に戻した。苦行から離れた釈迦は菩提樹(ぼだいじゅ)の下で黙想を続け、ついには悟りに到達した。

    釈迦は5人の弟子とともに仏教を開き、そのカリスマ性で瞬く間に巨大な宗教組織へと拡大した。が、釈迦の死後、弟子たちの間で意見の分裂に収拾がつかなくなり、大乗仏教と小乗仏教に分裂した(これ以降仏教は果てしなく分裂を繰り返すことになるが、この最初の分裂を「根本分裂」と呼ぶ)。
    その後、大乗仏教に現れた、釈迦の哲学を正しく理解し、しかも発展させるほどの天才が、龍樹(りゅうじゅ)(AD200)。龍樹は釈迦の哲学を「空の哲学」として洗練し、「般若経(はんにゃきょう)」という経典にまとめ上げた。般若経は600巻以上もある超大作だが、これをたった262文字に凝縮した「般若心経(はんにゃしんぎょう)」という作者不詳の経典がある。作者不詳だが、龍樹の哲学を正しく伝えており宗派を超えて読み継がれているキングオブお経。

    般若心経のポイント1:色即是空、空即是色
    「物質には実体がなく、実体がないものが物質である」という意味だけど、要は「物質=実体がないもの」をラップ調にかっこよく言っているだけ。本質としては、「すべてのものに実体などなく、我々が勝手に境界線を引いて名前をつけているだけ」というメッセージ。

    般若心経のポイント2:無分別智(むふんべつち)
    「色即是空」以降に書かれている「この世のあらゆる存在が空なのだ」「あれも無い」「これも無い」「無い」「無い」「無い」という文章こそが般若心経の真骨頂。「なんなら悟りなんてものも無い」とまで書かれている。この「無い無い」という主張の意図は、無分別智の実践を促すことと解釈できる。
    そもそも、物事の理解の仕方には分別智(ふんべつち)と無分別智の2種類がある。分別智=既存の知識を使って新しい知識を得ていく「理解」のやり方。まさに、世界に境界線を引いて名前をつけていくこと。無分別智は、その名の通り、分別する(=世界から何かを切り分ける=言語化する)ことをしないで物事を理解するやり方。釈迦の悟った「真理」はこの無分別智でしか理解し得ないものだった。そのため、真理を悟るには無分別智の境地に達することが必要。無分別智を得るには、「分別をやめること」が必要。つまり、全ての分別を「無い無い」と否定していくこと。しかし、最後の最後、「『私』と『他者』がある」という分別だけはどうしても破壊できない。(全てを「無い」と否定しても「その『無い』と否定してる私はあるんだよね」となる)

    般若心経のポイント3:ソワカ!(呪文)
    「私」と「他者(世界)」の区別をなくして無分別智を得ることとは、要するに自我の崩壊、「死の体験」を意味する。つまり無分別智に向けて最後の一歩を踏み出す者は「私がなくなる恐怖」と戦わなくてはならない。この段階まで来ると、うだうだと理屈を並べられてももはや効かない。必要なのはあと一歩背中を押してくれるきっかけ。ここで唯一有効な言葉は「呪文」である。呪文に意味などない。意味などないほうがいい。
    「羯諦(ぎゃてい)羯諦(ぎゃてい)波羅羯諦(はらぎゃてい)波羅僧羯諦(はらそうぎゃてい)菩提薩婆訶(ぼじそわか)」これが般若心経の最後の一節。訳すと意味は「往けよ、往けよ、彼岸(あっち側の世界)へと往けよ、彼岸へと完全に往き着く者よ、それが悟りだ、幸あれ!」。

    般若心経のまとめ:
    「物事が『空(関係性の中で成り立っているだけの実体のないもの)』であることを踏まえつつ、無分別智を実践して真言を唱えながらえいやと悟りの境地に至りましょう」

    こうしてヤージュニャバルキヤ→釈迦→龍樹と育てられてきたインド仏教も、その難解さから、もっと分かりやすく大衆化していくことを余儀なくされ、それが逆に既存のヒンドゥー教という巨大大衆宗教との差別化を困難にした。さらに追い打ちで、AD1200頃にイスラム教が大量に侵入すると、仏教徒たちは虐殺され、寺院は徹底的に破壊されてしまった。こうしてインドにおいて仏教は完全に消滅してしまった。その後、仏教は中国へと伝わる。

    --- 中国編 ---

    中国文明はBC5000頃黄河・揚子江の流域に興った。原始時代を経て、あるとき「堯(ぎょう)」という英雄(神話上の人物)が現れ、「みんなで力を合わせて大河を打ち倒そう(支配しよう)」と言い出した。(当時大河は恵みも与えるが時に氾濫して文明を脅かす存在でもあった)
    堯のリーダーシップに惹かれてみんなは頑張ったが、一代で終えられるような仕事ではなく、堯は老いて後継者探しを始めた。結果、「舜(しゅん)」という柔和で心優しく人に愛される人物が後継者に選ばれた。その後、舜も老い、「禹(う)」という優秀な人物を治水工事の責任者に命じた。禹は一年中水に入って作業をし続け、ついには足が腐って動かなくなったが、それでも作業を続けた(中国では足を引きずることを「禹歩(うほ)」というが、これが由来)。そしてついに禹の代で治水工事は完了し、大河をねじ伏せた。舜は禹の功績を称え、君主としての自分の地位を禹に譲った。これが中国の史書にある「堯・舜・禹」の3人(「聖王」と呼ばれる)の物語。ここで重要なのは、世襲ではなく能力によってリーダーが選ばれている点。中国の原型国家はこんな理想形で始まった。

    禹は後継者に「益(えき)」という人間を指名したが、益がこれを辞退して禹の息子に譲ってしまったため、中国史上初めての「世襲」が起こり、「夏(か)」という王朝が誕生した。ここから世襲の連鎖が始まり、こうなるといつかはどうしようもない奴が王になる日が来る。ダメな王が現れると民衆は「やってられるか!」と革命を起こす。こうして「殷(いん)」という新王朝が興った。しかし、殷も世襲体制だったのでいつしかダメな王が現れ、革命により「周(しゅう)」が興った。周も最終的には革命により滅ぶのだが、前の2国の例を鑑みて、周では「封建制度」という仕組みが生み出された。国土を分割して、各地方を貴族に治めさせ、王朝はそれを中央で治めるというピラミッド方式。
    そうは言っても全国の貴族が徒党を組んだりしたら中央は負けてしまうので、周王は「神秘的権威」の力で自らの立場を確固たるものにした。要するに、自分はただの王ではなく「天(当時の中国で信じられていた神さま的な存在)」の使いだと宣言し、周王に逆らえば天罰が下ると民衆に信じ込ませた。
    結果、周王の力は絶対的なものになったが、逆に、周王に逆らいさえしなければ他の貴族の土地は奪ってもいい!という発想になり、群雄割拠の戦国時代「春秋戦国時代」という時代に突入した(周王朝の後半期)。

    春秋戦国時代には、賢い軍師が強く求められた。これは、平民でも知恵さえあれば成り上がれる時代だったことを意味する。かくして、空前の学問ブームが起こり、孔子、墨子、孟子などの「なんとか子」(子は先生という意味)がたくさん生まれ、その子の学問を中心とした「家(か)」と呼ばれる思想派閥もたくさんできていく。この流れを「諸子百家(しょしひゃっか)」と呼ぶ。

    ●諸子百家その1:孔子(BC500)、主著「論語」、得意技「仁・礼」
    世界四大聖人としてイエス、釈迦、ソクラテスと並び称され、最終的には儒教の教祖として神のように祭り上げられているが、意外にもその人生は不遇のものだった。出世して世の中を大きく動かしたわけでも何かを成し遂げたわけでもない、不遇のまま死んでいった人生の敗北者。
    孔子が有名になったのは彼の死後、弟子たちが孔子の思想の素晴らしさを喧伝したことによる。孔子の教えは、「仁(じん、思いやりの気持ち)」と「礼(れい、仁を態度に表す礼儀作法)」を大切にしなさいというもの。今でこそ「そんなの当たり前じゃん」と思うような内容だが、我々がそう感じる感覚や文化はまさに孔子が作ったもの。
    孔子は何一つことを成してはいないが、その「心意気」だけは中国史上最強。血で血を洗う春秋戦国時代において、「思いやりの気持ちを大事にして国を治めましょう」なんて言っても相手にされるわけがない。しかし孔子はそれをやった。孔子は「堯・舜・禹」の三王の時代が国家の理想であると定義し、そこに立ち戻るべきだと強く信じていたから。「我が国の興りは、仁を持った人物が自然と王になって国が運営されてきたじゃないか!」と。「戦国時代にたった一介のの学士に過ぎない男が歴史を正道に戻そうと国家権力にも神秘的権威にも屈せず立ち向かった」という心意気こそが孔子の偉大なところ。

    ●諸子百家その2:墨子(生没年不明だが孔子の死後100年以内ぐらいの人物)、主著「墨子」、得意技「兼愛」
    墨子は、孔子の「仁」は「親子の情」に由来しており差別間と考えた。「家族だけじゃなく隣人も他国もみんなを愛すれば戦争なんて起きないよ!」と説き、自らの思想を「兼(ひろ)く愛する」という意味で「兼愛(けんあい)」と名付けた。
    やがて墨子の思想に賛同者が集まり「墨家」という集団が発生。墨家は諸国を巡って戦争をやめるよう王たちに呼びかけた。それも生半可な呼びかけではなく実際に戦場に赴いて戦争をやめなかった国と戦ってまで。歴史的には謎が多い人物だが、弱肉強食の世界に反旗を翻して戦った熱い男であることは間違いない。

    ●諸子百家その3:孟子(BC300)、主著「孟子」、得意技「性善説」
    逸材が多い孔子の後継者の中でも最も偉大とされる人物。孟子の哲学で最も有名なのが「性善説」。「井戸に落ちそうな子供を見かけたら、誰だってハッとなって、助けなきゃ、と思うでしょ。だから人間には生まれつき善(仁)の心があるんだよ」という話。
    孟子が性善説を説いた理由は、「人間は生まれながらに仁を持っているのに、なぜこんな戦乱の世になっているのか?それは国を支配している王や官僚がよほどの馬鹿で無能だからだよ」ということを主張したかったから。
    孟子が梁(りょう)国の恵王(けいおう)に会った時の話。
    恵王「私は私なりに国のために色々やってきた。なのに私の国の人口はちっとも増加しない。なぜだろうか?」
    孟子「戦争の開始とともに恐れをなして逃げ出した兵士が2人。1人は50歩逃げ、1人は100歩逃げました。50歩逃げた兵士が100歩逃げた兵士に『俺は50歩しか逃げなかったがお前は100歩逃げた。卑怯者だ!』と言いました。王はこの話をどう思いますか?」
    恵王「それはおかしい。50歩だって逃げたことに変わりはない。」
    孟子「そうです。それが分かっているならそんなことでお悩みなさるな。王が民の衣食住を保証して安心させることができれば人は勝手に集まってきます。なのに王は、豊作の年に食糧を蓄えようともせず、不作の年に民が餓死しても知らんぷりどころか気候のせいにする始末。これは人を殺しておいて「俺がやったんじゃない、刃物がやったんだ」と言い訳するようなもの。王よ、棒によって人を殺すのと、刀によって人を殺すのと、何か違いがありますか?」
    恵王「何も違わない」
    孟子「では、刀によって人を殺すのと、政治によって人を殺すのとでは?」
    恵王「…何も違わない」
    以上が孟子と恵王のやりとりで、五十歩百歩の語源にもなった一説。要するに「なぜ国の人口が増えないかって?馬鹿なこと言ってんじゃねえよ。そんなのお前が無能な人殺しだからだよ」をオブラートに包んで言っているだけ。性善説のイメージとは随分異なる苛烈な物言い。

    孟子は、著書「孟子」の中で以下のように述べている。「国家の中で、人民が最も重要であり、土地と穀物の神がこれに次ぎ、君主は軽い」と述べている。国家において重要な順を「民→神→王」と言っているわけだが、これは時代を考えるととんでもないこと。人民主権を主張して西洋で超先進的な思想家と持て囃されているルソーでさえ1700年代の人間。孟子はBC300年。その差2000年。単純に時代差だけを見ても孟子のすごさが分かる。

    ●諸子百家その4:荀子(じゅんし)(BC300、孟子の後輩ぐらい)、主著「荀子」、得意技「性悪説」
    孟子と並ぶ偉大な孔子の後継者。「仁」を完成させた孟子に対して、荀子は「礼」を完成させた。
    そもそも「礼」とは「仁(思いやりの気持ち)を態度に表す礼儀作法」のことだったが、孔子はこれを祭祀儀礼(占いやまじないに基づく儀礼)に取って代わるものとして提唱しており、当時の中国で強く信じられていた神秘的権威に喧嘩を売るものだった。荀子はこれを引き継いで、「占いとか全部ウソだよ。人の行いが全てだよ」とクールに主張した。
    仁の政治を王に求める理想主義者の孟子に対して、現実主義者の荀子。西洋で一番熱いハートを持っていたソクラテスに、理想主義者のプラトンと現実主義者のアリストテレスという後継者がいたのとちょうど同じように。
    二人の異なる哲学は当然反発しあい、アリストテレスが現実主義の立場からプラトンの「イデア論」を否定したように、荀子も孟子の「性善説」を否定し、「性悪説」を唱えた。
    「人間は生まれながらに善の心を持っている」と言われても、そこから具体的な政策が生まれないのではただの空論で意味がない。そんなことより「人間の本性は『悪』だと割り切って、ルールや規範を作る(「礼」を教え込む)ほうが賢明だ」というのが荀子の性悪説。
    ここで、荀子のいう「礼」を「法律」という言葉に置き換えると、「法家」という学派の主張とほぼ同じものになる。この構造故に、荀子が活躍すればするほど法家が力を持ち、結果的に法家の大躍進が始まることになった。

    ●諸子百家その5:韓非子(かんぴし)(BC250)、主著「韓非子」、得意技「形名参同」
    諸子百家の時代、儒家、墨家、法家、名家、兵家など様々な学派が生まれたが、最終的には「法家」の大勝利となった。要因はズバリ法家を完成させた大天才、韓非子。
    韓非子は荀子の弟子だったが、荀子のもとで礼を学んだあと法家に鞍替えした人物。吃音障害があり、弁舌は大の苦手だったが、代わりに書き記すことが大得意だった。あるとき、韓非子が持論を記した書が秦の国に渡った。秦の国王「政王」は超感動し、「この著者に会えるなら死んでもいい」と言ったそう。
    韓非子は秦の国に招かれたが、もともと韓非子の故郷が秦ではなく敵国の韓という国だったこともあり、色々な誤解や偏見の末に韓非子は大して重宝もされないまま服毒自殺をしてしまう。
    が、韓非子が残した、強い国家を作るための政策をまとめた書「韓非子」は秦の手元に残り、これによって秦は超強国となった。
    韓非子の基本的な姿勢は、「聖王の時代は『礼』で国がまとまったかもしれないけど、当時は国の規模が小さくて今とは事情が違う。今はそんなの通用しないから、刑罰で脅して言うことを聞かせるしかないよ。それが『法』だよ」というもの。
    そして国家を強くする具体的な方法は「形名参同」であるという。「形=実際にやったこと」と「名=やると言ってたこと」を照合して評価せよ、という意味。要するに今でいう「成果主義」のこと。
    「韓非子」の力で超強国となった秦は、ついには周王朝を倒して中国統一を成し遂げる。秦王朝を建国した秦の聖王は、戦国時代に乱立した国々の王たちが自ら王を名乗るのと区別して、その上位概念である「皇帝」という称号を発明し、自らを人類初の皇帝、始皇帝と名乗った。
    余談として、二代目皇帝が無能だったせいで秦王朝はたった13年で滅んでしまう。あるとき重臣の一人が皇帝に「馬です」といって鹿を献上したが、誰もそれを「いや鹿でしょ」と訂正しなかったということがあった。今や実権を握っているのは皇帝ではなく重臣たちだったため、訂正しても意味がないので「いやー素晴らしい馬ですねー」とか言って話を合わせたという。「馬鹿」の語源。
    ともかく、百家争鳴の時代は韓非子という天才によって終止符が打たれた。

    ●諸子百家・番外編1:老子(BC400〜500?)、主著「老子」、得意技「無為自然」
    インドから中国に伝わった仏教だったが、実のところ仏教と中国は相性が悪かった。例えば仏教は「お金持ちになったってどうせ死ぬよ」と訴えるが、中国人は「え?でも現に今生きてるんだから死んだ後の心配なんかするより生きてる間にたくさん楽しんだ方がいいに決まってるじゃん」と考える。中国人は現世的な利益を好む傾向があり、仏教の人生を儚む思想には共感しなかったのだ。
    しかしそんな中国にあって、老子という偉大な哲学者は「道(タオ)」「無為自然」という哲学を説いており、これらはまさに仏教の教えと同じ内容だった。老子がいたおかげで中国に仏教が根付いたと言っても過言ではない。
    老子については詳しい情報が残っておらず、謎の人物とされている。また、老子の残した著書「老子」も、本人が書きたくて書いたものではなく、旅に出ようとしたところを弟子にどうしてもとせがまれ自らの哲学を殴り書きで書き残したものと伝えられている。そのため、丁寧な説明がなく結論だけが書かれた難解な内容になっている。
    老子の哲学は以下のようなもの。
    ・万物の根源は混沌であ理、それを仮に「道(タオ)」と呼びます
    ・物事に名前がある状態が、万物が生み出された状態ですが
    ・もともとは物事に名前などはなく、万物が生み出されていない混沌でした
    ・それが道(タオ)です
    ・道(タオ)を為せば損をします
    ・損をしまくりなさい
    ・損をしまくれば無為に至ります
    ・無為に至れば全てのことがひとりでに起こるから、何も心配いらなくなります
    これはまさに仏教における「無分別智」と同じことを言っている。「道(タオ)を為して損をする」とは「分別を無くしていく」ことを意味する。その結果「無為(=無分別智)」に至れば、物事が勝手に起こるようになるという。
    「『私がいる。私がやっている。』という思い込み(分別)を捨て、行動や思考が自然に湧き出るままに任せるという境地に到達しなさい。その時『私』は何も為さないただの観測者になり、人生は映画(夢)のようにひとりでに為されていく」これが無為自然。
    さらに、無為自然に達した人はまるで水のような存在になるという。その上で彼は、水について以下のような評価をしている。
    「最上の善は水のようなものである。万物に利益を与えながらも他と争わず器に従って形を変え、自らは低い位置に身を置く。」(上善如水)
    「天下に水よりも柔らかで弱々しいものはない。しかし、堅くて強いものを攻めるには水に勝るものはない。水の本性を変えるものはないからである。」
    つまり老子の言っていることは「脱力最強!」ということ。
    こうして、老子は「道(タオ)」というインド哲学における最高の境地と同等のものを語り、さらには「悟ったらどうなるの?」という仏教が答えてくれなかった古来の疑問に対して「最強になるよ」と答えてくれている。

    ●諸子百家・番外編2:荘子(そうし)(BC300)、主著「荘子」、得意技「万物斉同(ばんぶつせいどう)」
    老子は熱心に弟子を育てておらず、著書「老子」も非常に難解な内容だったため、本来なら老子の哲学は一代で消えてしまってもおかしくはなかった。しかし老子の時代から約200年後、その哲学を受け継ぐ「荘子」という天才が現れた。
    荘子はただ老子の哲学の信奉者の一人だったが、今ではその哲学は老子と並べて「老荘思想」などと呼ばれている。それはひとえに、荘子が老子以上に老子の哲学を「分かりやすく書いたから」である。
    書く気がなかった老子と違い、熱心な創作家だった荘子は、楽しみながらノリノリで老子の哲学を書き記した。これがむちゃくちゃ分かりやすかったため、東洋哲学最大の表現者とまで持て囃されることになった。

    かくして、釈迦の哲学は老荘思想をベースにして解釈され、中国仏教や禅という新しい流れが生まれる。だがこの流れも、文化大革命(1966)などの徹底的な弾圧によって最終的には中国の地から失われてしまう。その遥か以前、中国仏教・禅は日本へと渡る。

    --- コラム ---

    東洋哲学とはウソである。
    西洋哲学は「悟り」を論理や言葉で説明できるという前提に立っており、説明を尽くしてきた。一方で東洋哲学はそれを論理や言葉では決して説明できない、「実体験」からしか本当には理解できないものという前提に立っており、「体験させるための『方便』」をあの手この手で模索してきた。このために東洋哲学(仏教)には様々な宗派が存在する。どの宗派もすべて目指しているものは同じ、釈迦が到達した「悟り」の境地だが、そこに至るための方法論として、種々様々な方便を使う。

    方便とは:
    宮沢賢治が最高の仏教経典だと絶賛した「法華経(ほけきょう)」にこんな話がある。
    ある日父親が帰宅すると、家が火事で燃えていた。家の中にはまだ子供たちがいて、父親が慌てて「火事だ!早く外に出なさい!」と叫ぶも、子供たちは窓から顔だけを出して「今遊んでるからあとでねー」「火事ってなにー?」と動こうとしない。父親はたまらず「こっちにもっと楽しいおもちゃがあるよ!」と叫び、それを聞いた子供たちは一目散に家の外に飛び出してきて大事を免れた。
    これが方便。結果が全てであり、プロセスは嘘でもなんでもいい。これが東洋哲学(仏教)の方法論。
    仏教をかじった人はしばしばこのような感想を抱く。「釈迦は呪文などの神秘的なものを否定しているし、仏像を拝んだり神を崇めたりするような宗教的なことも否定している。それなのに仏教は仏像を拝んだり釈迦を神のように崇めたり、釈迦の言ってることを全然理解してないよね」。
    これは誤りで、仏教徒はそんなことは分かっていて、そういう表面的な神秘性は、全て人を集めるための方便(嘘)なのだ。「だってこうでも言わないとお前らやらないじゃん!」というわけ。

    方便の例:「戒律」
    仏教には戒律と呼ばれる禁欲的な生活規則があるが、これも方便である。「○○したらダメ、○○してもダメ」これは嘘っぱち。単に「欲望」という心の動きをくっきり浮かび上がらせるために存在している。だから「○○」は別になんだっていい。

    --- 日本編 ---

    日本に仏教が伝わったのは、538年、朝鮮半島の百済から。当時仲良く日本を牛耳っていた蘇我氏と物部氏は、仏教を取り入れるかどうかで対立。日本を二分する内乱にまで発展し、親子二代に渡る戦いの末、蘇我氏(仏教推進派)が物部氏を滅亡させて終結。
    この内乱で蘇我氏に味方し、その後の仏教推進に尽力したのが聖徳太子。聖徳太子は皇太子であり蘇我氏の親戚でもあり、その後は摂政(今でいう総理大臣)となって、あの有名な「十七条憲法」を制定し、そこに「仏教を敬いなさい」という一文を盛り込んだ。日本で仏教がこれほど急速に根付いたのは彼のおかげ。
    聖徳太子は仏教を真に理解して悟っていた。彼の遺言は「世間虚仮(せけんこけ)、唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」と伝えられており、これは「世の中は虚像だけど、唯一、仏(=目覚め、悟り)だけが虚像ではない」という意味で、まさに仏教の真髄である。
    聖徳太子という日本を代表する稀有な智者が仏教の真髄を理解したその瞬間こそが日本仏教の始まりと言える。

    時代は下って平安時代、仏教界に二人の天才が現れる。最澄と空海である。二人は中国で本場の仏教を学んだあと、帰国してそれぞれの宗派を旗揚げする。
    最澄:日本天台宗(比叡山延暦寺)、空海:日本真言宗(高野山金剛峯寺(こんごうぶじ))

    もともと空海が持ち帰った仏教は「密教」と呼ばれる呪術性の強いもので、これが貴族たちに大ヒットしたせいで最澄の宗派も同様に呪術性を取り入れて仏教は世俗化されてしまっていた。要するに「呪術性で貴族を騙して金儲けをする」ようなものに成り下がっていた。
    そして鎌倉時代、「このままではいけない。本来の仏教を取り戻さなくては」と考えた仏教徒たちによって仏教界に革命の波が起こる。
    革命の波の中で、新興宗教を立ち上げる改革派と、仏教の原点に立ち返ろうとする保守派がおり、改革派の代表格が「法然」や「親鸞」、保守派の代表格が「栄西」や「道元」だった。特に保守派は「禅」を日本に持ち込んで大成功させた。
    一方の改革派も大乗仏教の志を受け継いで民衆救済に尽力したが、その方向性ゆえにしばしば国家権力と衝突した。代表的なものが「一向一揆」。戦国時代に一向宗(親鸞の浄土真宗の別名)の信徒たちが独立国の樹立を宣言し、全国各地でテロを起こすという事件が発生。最終的には織田信長によって徹底的に弾圧されて潰されたが、仏教が暴走したときの恐ろしさを権力者たちの胸に刻み付ける結果となった。

    そして江戸時代、徳川幕府は仏教の暴走を防ぐことを目的として、「布教活動や新宗派設立の禁止。その代わり全ての日本人がどこかの寺に属することの義務付け(寺請制度(てらうけせいど)、檀家制度)」という法律を制定した。
    これによって仏教の顔を立てながらもこれ以上の仏教の暴走を阻止することに成功した。さらには当初の目的に加えて、「外来宗教(キリスト教)の侵攻防止」、「戸籍管理を寺に任せられる(全ての家がどこかの寺の檀家だから)」というメリットまで享受して、超うまくいった。
    しかしこの結果、寺は檀家との関係を維持して葬式や法事をするだけで安定してお金が入ってくるようになり、日本の仏教は骨抜きにされてしまった(いわゆる「葬式仏教」になってしまった)。こうして、時代にあった新しい哲学体系を作り出すという努力をしなくなってしまった日本の仏教は、現代に至るまでの長い停滞期を迎えるのであった。

    ●日本仏教の宗派1:親鸞(1173〜1262)、主著「教行信証」、得意技「他力本願」
    浄土真宗の開祖。釈迦の哲学は確かに素晴らしいが、「今ここで苦しんでいる目の前の人」の助けになるものではないという無力さに悩み、民衆にも有効な「忙しい人のための仏教哲学」を探し求めた。
    そんな中、法然という僧侶と出会い、法然の弟子となって彼から「念仏」という画期的な仏教哲学を学ぶ。
    「念仏」は「阿弥陀仏の本願」という物語を起源とする考え方。その昔、釈迦の弟子である「阿弥陀」という僧侶がいて(史実には存在しない想像上の人物)、彼は真理に到達したものの、「世の中にはまだまだ苦しんでいる人たちがいるのに、その人たちを差し置いて仏になりたくない。他の人たちを救ったあとで、最後に仏になる!」と言い出した。これが「阿弥陀仏の本願」。そして本願の一つとして「私を頼ってくれる人がいたらその人を『極楽浄土(阿弥陀の国)』に生まれ変わらせて、そこで私が教えを説き、必ず悟りに導いてあげよう」ということを言っていて、ここから「念仏を唱えれば(=阿弥陀仏を念じて思えば)極楽浄土に往生(転生)できる」という信仰が生まれた。
    法然はこれを、「念仏=深い瞑想に入って仏の姿をありありと思い浮かべること」→「念仏=『南無阿弥陀仏』と唱えること」と再定義し、爆発的にヒットさせた。(南無は「おすがりする」という意味で、「南無阿弥陀仏」とは要するに「助けてください!阿弥陀さま!」という意味)
    「結果こそが全てで、プロセスは嘘でもなんでもいい(方便)」という日本仏教の考え。

    「禅」とは何か?
    インド仏教が中国に伝わり、老荘思想と融合して成立したのが「禅」という中国仏教の一派。しかし世界的には中国語の「チャン」ではなく日本語の「ZEN」として知られており、禅は日本発祥のものではないが、日本人が完成させた文化であると言える。
    禅はAD500頃に、インドから中国へやってきた「達磨」という僧侶によって始められたと言われている。
    その後日本の僧侶「栄西」と「道元」によって禅は日本に伝えられた。日本における禅の宗派には大きく「栄西の臨済宗」と「道元の曹洞宗」の2つがある。

    ●日本仏教の宗派2:栄西(1141〜1215)、主著「興禅護国論」、得意技「公案」
    日本に禅をもたらした僧侶で、臨済宗の開祖。中国で臨済禅(臨済という僧侶が作った禅)を学び、免許皆伝を得て日本で臨済宗を開いた。
    臨済宗は、「公案(禅問答)」によって悟りに至ろうとする宗派。
    公案(=禅問答)とは要はナゾナゾで、例えば「両手で拍手するとパチパチと音がするけど、では片手でやるとどんな音がする?」みたいなもの(これは「隻手(せきしゅ)の音」という最も有名な公案)。
    こんな問いに回答するのは不可能だが、それでも弟子は寝ても覚めてもこの問いの答えだけを考えさせられる。師匠のところにどんな回答を持っていっても納得などしてもらえるはずがない。その思考をひたすらに命がけで続けていると、ふとしたときに「思考」を「他者として見る」という体験が訪れる(つまり無分別智の境地)。
    ちなみに、公案と同じく「思考を破壊する」という目的で、臨済禅の開祖である臨済は「喝」とよく叫んでいたそう。これは要するに弟子を「めちゃくちゃびっくりさせる」ための行動で、本気の殺意を持ってものすごい声で「喝ーーーーーーーッ!!!」と叫んだそう。こんな風にめちゃくちゃびっくりさせられると、その瞬間は理解不能のパニックに陥って思考が停止する。そこに無分別智に目覚める可能性があるというもの。

    ●日本仏教の宗派3:道元(1200〜1253)、主著「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」、得意技「只管打坐(しかんたざ)」
    鎌倉時代の禅僧で、日本曹洞宗の開祖。栄西の弟子。中国で曹洞禅(宗山(そうざん)と洞山(とうざん)という2人の僧が作った禅)を学び、免許皆伝を得て日本で曹洞宗を開いた。
    曹洞宗は、臨済宗のように公案を使うことはあまりせず、「只管打坐」といって「ごちゃごちゃ言わずにひたすら坐禅に打ち込む」ことで悟りを目指す。(多分)簡単に言ってしまえば、ごちゃごちゃ考えずにとにかくひたすら坐禅に打ち込むことで、ある時ふと無分別智の境地に達することを目指すという方法。

  • 生まれたときは無為自然だろうにどうして自然でいられないのだろうか。

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著者プロフィール

東北大学大学院修了。会社経営者。哲学や科学などハードルの高いジャンルの知識を、楽しくわかりやすく解説したブログを立ち上げ人気となる。著書に『史上最強の哲学入門』『14歳からの哲学入門』などがある。

「2020年 『「最強!」のニーチェ入門』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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