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感想・レビュー・書評
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渇仰してやまない立川談志が昔、こんなことを言っていました。
「志ん朝ファンは落語ファンなんです。でも、俺のファンは落語ファンじゃないんです。談志ファンなんです。俺じゃなきゃ満足できないって客が全国にゴマンといるんです」
いかにも自尊心の強い談志らしい物言いですが、言い得て妙です。
それだけ熱烈なファンを獲得した落語家でした(談志は噺家という呼称を嫌っていました)。
個人的には、文学界における町田康という存在も、談志と同じと思っています。
町田康じゃないと満足できないという熱心なファンの一群が確かに存在します。
何を隠そう私もその一人。
町田康の作品は全作そろえています。
自分にとっては唯一無二の存在。
だから作品の善し悪しは二の次なんです。
たとえば、村上春樹ファンを公言している人が、「春樹のあの作品はいいけど、この作品はイマイチ」なんて言うのを聞くと、「そんなのファンじゃないよ」と思っちゃう。
何でも受け入れちゃうのがファンってもんだ。
だから、今度の作品も手放しでいい。
男がどんどん記憶を失っていく話。
キンドル版の短篇です。
新作が待ち切れなくて。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ゆっくりと確実に沈んでいく感覚、恐怖を感じました。
忘却と死は密接に存在している。
シュールリアリズムを思わせる短編作品。 -
こういう話は好きだ。まだらぼけのような状態に酔うと陥ることが、これが余すところなく表現されているのいが面白い。さりげない表現がなんとなく笑えるところが筆者の真骨頂だと思う。
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町田康初読。
記憶の不確かさ,曖昧さ,突拍子のなさについては経験的にみんな知っているだろうが,それらを目に見える何らかの形に整えようとすると,こんなにも形の整わない何かになってしまうんだなあという面白さである。
記憶の「盆おどり」というタイトルの本作だが,本作で踊る記憶が供養するべき鬼籍に入った記憶といったものがあるのかどうか,また,そこに本作で語られる内容の客観的な裏付けがあるのかどうか,といったことは特に語られず,とにかく主人公の欠落した頭の中だけがある。序盤こそ記憶の外にあるだろう物語のオチに思いを馳せながら読み進めたが,記憶の混濁が激しい終盤では,そういう読み方をするお話ではないことを思い知る。
この主人公を見ていると,記憶はそれが必要となるときにだけ思い出せればそれで良い,という気持ちにもなったりする。もしも,混濁した記憶が世界のすべてであり,そこに客観的事実が存在しないことを許容されるのであれば,記憶の必要性って何なんだろうと思ったりもする。
大筋は記憶の危うさを描いたお話だと思いつつ,そんな危うい記憶が,人間に対して絶大な支配力を発揮している皮肉を描いたものとも取れる。 -
飲んべえとしては他人事に思えない、アル中の男が定かでない記憶を追い迷路に迷い込むような短編作品。よく「カフカ的」という便利な言葉が使われるけれど、本作は語り手の頭の中だけがカフカ的であり、依頼されたはずの仕事どころか妻の特徴さえ思い出せない。幕切れもあまりに唐突であり、読んでいるうちにこちらまで酩酊してしまいそうになる。¥99と考えると、そんな精神世界を味わえたことで元は充分すぎるほど取れた。