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感想・レビュー・書評
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心を震わせる相手と結婚しなくては、
残りの人生を空虚に過ごすだけでしょう。
そんなセリフが出てくる。
自分の意思ではなく、
家の格や地位でのつり合いが重視された時代。
親が相手を決めることも多かったからこそ、
当事者は心打たれる言葉だろう。
それが自分が心を寄せる相手から
発せられた言葉であれば尚更。
物語の中でも、そのセリフに撃ち抜かれ、
相手に縋り寄る人間が出てくる。
そうした物語に浸りながら、
同時にまったく違うことを考えた。
このセリフは恋愛についての言葉だけれど、
それ以外のことも当てはまるのではないか。
たとえば仕事。
心を震わせる仕事をすることがなかったら、
残りの人生は空虚に過ぎるのではないか。
たとえば夢。
心を震わせる夢がなければ、人生は空虚だ。
同時にそうでないとも思う。
人生はそうした何か大きなもの、
ひとつのものに支えられたものであるとともに、
ささやかな喜びや小さな幸せの
積み重ねという面も持つ。
絶対的な何かを手に入れられなかったとしても、
日々は続いていくし、
生きていれば毎日何かしらのことが起きる。
それに対応しているだけでも人生は面白い。
そこに意味を見い出すことはできるはずだ。
空虚と捉えるかどうか、それが問題だ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ハロルド作石『7人のシェイクスピア』はウィリアム・シェイクスピアを中心とした歴史漫画。シェイクスピアはイギリスを代表する文人である。シェイクスピアはロンドンで劇壇デビューするまで何をしていたか分かっていない。その空白期間を物語にした作品である。シェイクスピアの文才が霊感を持った中国人少女に負っていると仄めかされる。設定的には面白いが、民族の誇りと言うべき文豪を外国人とすることは許容されるだろうか。
むしろ、中盤からの宗教改革の話が面白い。歴史漫画の楽しさがある。世界史ではカトリック教会の腐敗が宗教改革の出発点とされる。ところが、本作品では国が国教会を押し付け、人々が真の信仰としてカトリックを求めている。「アダムが耕し、イブが紡いだとき、誰が領主だったか」は農民一揆ワット・タイラーの乱の指導者で異端の僧侶ジョン・ボールの言葉である。ところが、本作品ではカトリックの司祭が「アダムが耕し、イブが紡いだとき、誰が領主だったか」と語っている。
また、宗教改革によってイコンなどのキリスト教美術も破壊された。明治時代の廃仏毀釈を連想した。良い信仰であるか悪い信仰であるか関係なく権力が信仰を強要することが悪である。信教の自由が自由の金字塔であるとは良く言ったものである。
主人公らは権力に虐げられる。冤罪によって不当に拘禁される。その経験から主人公達は自由を求めることになる。他人から意に沿わないことを強要されない自由である。富や権力自体は目的ではない。立身出世主義や経済成長至上主義を否定する。社会科学の世界では19世紀的な消極的自由の後に20世紀の社会権が生まれたために後者を重視する傾向がある。しかし、何と言っても大切なものは自由であると感じる。