映画『聲の形』DVD

監督 : 山田尚子 
出演 : 入野自由  早見沙織  悠木碧  小野賢章  金子有希  石川由依  潘めぐみ  豊永利行  松岡茉優 
  • ポニーキャニオン
3.76
  • (69)
  • (127)
  • (78)
  • (26)
  • (4)
本棚登録 : 608
感想 : 139
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988013281097

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • Amazonプライム視聴

    漫画読んでました。
    幼い子というのは、素直な分残酷。その分、素直に心の根っこは繋がれるんだろうな。
    みんなが苦い思い抱えながら成長していく。
    自分の存在について確認していく。心が不安定になる。心が壊れやすくて、自分を否定することが解決だと思ってしまう。
    でもその斜めに向かってしまった心を、違うよこっちだよ〜って言ってくれるのが、幼馴染だったり、ともだちだったりする。
    みんなが、両親も、気張ってなくて、雰囲気も好きな映画でした。

  • イジメの加害者側と被害者側のそれぞれの事情や立ち直ろうとする心情を正面から描き切っていて
    観ていてもかなりキツいシーンが間々あるのが印象的です。予備知識ゼロで鑑賞したので驚いてしまいました。

    再生と許しの物語
    小学生の頃、大して意味もなく
    何となく始めてしまったイジメが原因で
    気がつけば自分自身が仲間から孤立してしまい
    以後暗黒の数年を過ごした少年
    自身の障害が遠因で周囲になぜか波風を立ててしまう事に苦悩する聾唖の少女
    この二人が出会い。
    そして再開するところから物語はゆるりゆるりと
    進み始めていきます。

    そんな筈じゃなかったのに
    ちょっとした弾みだったのに…
    小学生の頃の誤った行動をいくら咎めてみても
    過去を変えることなぞ出来るはずもない
    なのに慚愧の念に苛まれて塞ぎ込んでしまう。
    こういうことって割と誰にでもあるような事なんじゃないだろうか。
    もう十分すぎるほど大人になっちゃってる今の自分であれば、目に余る人物を前にした時でも、むやみに否定するばかりじゃなく突き放して見て見ることが出来る。そうする事で心中に余裕が生まれ、高みから俯瞰しながら自身の態度や言動を決めていくことができると思う。だけど彼らのようなティーンだとそんな感情のコントロールは難しいよね。だから上手く制御しないままで発信してしまって、相手を傷つけちゃう。今度はそんな自分が許せなくなちゃって内側に引きこもっちゃう…
    そんな気持ちもとってもよくわかる。

    自分の気持ちをしっかりと声で相手に伝えることが出来ないなんてもどかしい事ばかりなんだろうな、
    作中、彼女の形にならない声が迸るように溢れ出るシーンが何度もあって、伝わらない感情がとても痛ましかったです。余りに悲しくて涙がポロポロと溢れました。
    主人公の彼の臆病なところ、慎重に言葉を選ぶところ、恥ずかしがり屋なところ、会話のやり取りが妙な感じの飛び方をするところ、いろいろと気弱なところにすごく親近感が湧きました。
    もちろん彼女も可愛いいですし、もう一人の主人公であるんだけれど、ボクにはこの物語は彼の再生の物語に思えてならない。

    同級生みんなが悩んじゃってる姿を見ると他者と関わりあいながら生きていくって本当に難しいとつくづく思わされる。
    誰かが自分を必要だと言ってくれること
    誰かに愛されているという実感
    それこそが人生で一番重要で
    それこそが絶対的に揺るぎない安心なんだと思う

    この作品ホント素晴らしい作品でした。
    是非見て欲しいです。

  • いまいちピンとこなかったが、ディスコミュニケーションを表現しようした結果の、このモヤモヤ感か。

    あと、キャラ設定に、若干、唐突感あり。
    急にでてくる、真柴って、だれ?とか。

  • とても良かった。
    いじめの残酷さ、未知のものへの恐怖、罪悪感
    周りの人が見れず、世界に1人だけのような孤独感。
    自分が幸せになることを自ら許せず壊してしまう感じ
    自分のしたことを受け入れ、罪を認め、前へ進む勇気
    どれもが繊細に描かれている。
    皆がそういったものを抱え、苦しみながらも生きてるのを
    改めて考えさせられる

    将也が硝子への罪悪感を抱えていたのと同様に
    硝子も親の離婚、妹のいじめ、クラスの人間関係崩壊を
    すべて自分が巻き起こした罪と感じ
    周りの人が傷つかないように笑い、
    何か起これば自分が悪いと感じ謝ってしまっている。
    でも相手の気持ちは相手の問題でしかない。
    本当は相手のせいではなく自分の認知でしかないが
    つい人のせいにしたり、問題のすり替えなど逃げてしまう。
    善人でも悪人でもない、ただ未熟なだけ。
    でもそれがあまりに多く、世界が複雑な感じになってしまう。

    君に生きるのを手伝ってほしい
    結婚てまさにこれだよな…

  • 原作の漫画とくらべて、映画の時間にまとめる関係からか、割と厳しい表現は減って、すっきりと要点をまとめて提示されている感じがする。

    また、女性監督らしく、女性的な繊細さが上手くでているのではないか。主人公の石田将也も、女子からみた場合、魅力のある男性のニュアンスが出ている。

    何よりも絵がきれいで輝度が高く様々な色が配色されながらもスッキリしている。絵画でいえば印象派がめざしたように、光を表現すること、色の濁りの無さが素晴らしい。(印象はのタッチとかとは似ていないですよもちろん)

    作品のテーマである、コミュニケーションのむずかしさは、様々な登場人物たちの悩み、通じ合いたいと思いながらうまく行かないもどかしさ、痛み、がストーリーとして良く表現されていると思う。

    また登場人物たちが「ほどほど」に、物事をほったらかしにせず、突き詰めてしまう(ある意味傷つきやすいのも突き詰めて考えすぎてしまう)から、その純粋さからくる不器用な感じに、観客は共感するのだろう。

    いずれにせよ、青春時代のもどかしさ、恋愛と友情の間の甘酸っぱさなどの要素がうっすらと、絶妙にミックスされている。

    社会のメインストリームではない登場人物たち(色々疎外感を感じやすい側の登場人物たち。聴覚障害があったり、学校に行けなかったり、お姉さんが外国人で子供がハーフだったり、いじめっ子、いじめられっこ)の群像劇として成立しているところ、その物語のまとめ方が巧み。

    それぞれの登場人物たちの痛み、関係性は、一筋縄では解決しないことが分かっているからこそ、現実にもがいている。

    ただ登場人物たちは最終的にお互いを信じあえているし、希望が持てる。

    登場人物が、皆、繊細すぎるので、ここにずぼらで鈍い人入れても面白くなったかも。

  • 目を背けたいような、うしろめたいような。苦しくて切なくて、共感なんて言葉では片付けられない感動が押し寄せて来て、涙が止まらない。声にならない想いが、言葉にならない聲の形が、画面いっぱいに広がって、心に迫ります。

    『君と、俺、友達に、なれないかな?』
    先天的難聴を抱えた少女・硝子と、心と耳を閉ざした少年・将也。小学校で硝子をいじめ、転校に追いやってしまった将也は、いじめを糾弾されて今度は自分がいじめの標的になってしまう。高校生になっても心を閉ざしたままの将也は、これまでの償いのため自殺を決意して身辺整理を始めていたが、最期の一日、硝子へ会いに行く。
    聲が聞けないゆえに前を向いて生きる少女と、過去を悔いるゆえに自ら耳を閉ざした少年。いじめの被害者と加害者。障害者と健常者。少女と少年。そんな二人が再び出逢い、許し許され、心を通わせていく。

    思春期の子どもたちの贖罪と成長を描き、心身障害に向き合う勇気をくれる物語。人生で尊いことは、過ちと向き合い、過去を乗り越えて人を許すことなのだと、教えてくれる。
    映画館に観に行かなかったこと、今更ながら後悔しています。

  • よくできた原作でしたが、映像化においても、その品位を損なわない出来です。このリアルな人間関係は学生時代で終わらず、社会人になってからも逃れることは出来ません。逃げずに立ち向かったものだけがサバイバーです。石田のガチな成長物語です。初恋の物語でもあるのに、キスシーンはなく、爽やかな気持ちで応援できました。

  • * 友達に原作を借りて読んでいたので映画も観てみた。勿論時間的な制約ではしょられた部分とかはあったけど、映像にしてもすごく良いと思った。下ばかり向いてるようなカメラワークとか、顔を隠すバッテンの演出とか、とても自然で映像作品として凄く満足度が高かった。
    * 子供のいじめの残酷な感じをありのままに出してる感じが、いわゆる青春恋愛ストーリーとは違って見がいがある。勿論見るのが辛い人もいるんだろうけど。
    * 美容師なのに髪型が90年代のままのお母さんと、姪っ子の可愛い声が、学校という残酷な世界から帰る場所としてすごくホッとする。
    * 成長する前の石田は凄いムカつくし、成長した後の石田は凄く思いやりのあるいいやつなんだけど、実際いじめとか人生における精神的に大きなイベントがあると、人の性格はこんなにも変わるものなのだろうか。

  • 花火ドーン!髪ツンツンのイケメンが涙を流して駆けて叫ぶ「にしみやぁっ!しょおっこぉっ!」という声に奥華子の歌声が重なる
    ……という予告だかCMだかを見て、うわーまた演出もりもりでお涙頂戴の映画だー……あつくるし……と感じて敬遠していた。
    ちょろっと検索して、聴覚障害やいじめや恋愛やと知り、苦手意識はますます強化された次第。
    このたびNHKの放映で鑑賞。

    風景の美しさ。
    秀逸なカメラワーク。多くの場面で人の顔が映らず、足や、首まで、や。このカメラ位置が主人公の視点を語る。
    限られた人間関係、が、破綻し、再生し、破綻し、再生し。
    といった要素が、まるで岩井俊二や行定勲といった、特定の年代の良質な邦画のようだった。また矢崎仁司「三月のライオン」とか安藤尋「blue」とかね。

    かたや、明らかな演出過多には少なからず鼻白んでしまった。
    時間軸シャッフルはむしろいいんだけれど、盛り上げるぜーという花火やら内面描写やら、顔のバッテンやら。
    このあたりは実写ではなくアニメならではという演出の気概だとも思うが、むしろ小津レベルに抑制したほうが、あとをひく感動が自発的に生まれるのでは、と、夢想したりもした。
    シンプルに枝葉を削ぎ落とした話も見てみたい。
    志村貴子の作風でもう一度見てみたい(意図せざるイイコの川合さんは、志村貴子っぽい)。

    ところで原作者をして「誰一人好きなキャラがいない」と言わしめたキャラ作りは、テーマとも不可分に関連するだろう。
    要はわかりあえなさがテーマであって、障害云々はわかりやすく示すためのギミックに過ぎない、と。
    罪悪感や自己嫌悪や、性格の不一致や、譲れない生き方や、不器用な親愛の表現や、許しや、が、渦巻く。要は他人であることのカルマ。
    ひとりひとりのキャラを取り出すと悪い意味でマンガチックだが、この渦はむしろ現実に近づこうとしている。
    友達ごっこの、空しさと、切実さと。

    主人公側よりも、美容室を営むくせにプリン髪の将也の母親とか(「僕だけがいない街」のお母さんを連想。耳の血……)、自殺したいという姉のために動物の死骸を写し続ける妹ゆずるとか、比較的脇にいるキャラに、魅せられた。
    悠木碧のこの種の声、やっぱりいいね。

    とはいえ一番好きになったのは、お話ど真ん中の西宮硝子。
    実はこの娘、内面がわかりづらい。
    「いやーな感じのする少年少女たち」のマンガチックないやーな感じがわかりやすいからこそ、対照的に。たぶん聾者だから、というふうにテーマとギミックがうまく結びついた結果だ。
    内面がわかりづらいからこそ、彼女の飛び降りはひどく唐突に思えた。
    びっくりしたからこそ、考えた。考えるように導かれた。

    以下原作者のコメントをコピペ。

    硝子は自分のせいで壊したものを、ずっとカウントしています。自分のせいで親が離婚した。じぶんのせいで妹がいじめられた。自分のせいでクラスの雰囲気が悪くなった。自分のせいで佐原さんも学校に来なくなった。ぼんやりと「死にたい」と考えながら、そのカウントを積み重ねていたんです。[・・・]そうして将也と再会するわけですが、やっぱり彼と友達の関係を自分が壊してしまい、カウントと死への想いが甦り、橋の上で「やっぱり死のう」と決断してしまう・・・

    自分のせいでみんな不幸になる、と思い込んでいる人を癒すのは、並大抵のことではない。
    同じくらい絶望している人が、寄り添って、自分自身を恢復させる、そうするくらいでしか、その絶望は解きほぐせない。
    死と再生といえば陳腐だけれど。

  • 人間関係に悩んだら観てほしい。
     
    ガキ大将の小学生・石田将也と同じクラスに
    転校生・西宮硝子がやってきた。
    彼女は耳の聞こえにくいろうあ者だった。
     
    小学生の時に硝子をいじめてしまった石田。
    その報いか、中学では逆に石田がいじめられる側に。
     
    他人と正面から向かい合うことができない。
    顔をまともに見ることもできない。
     
    硝子に謝りたい一心で手話を覚える。
    しかし、なかなか彼女に近づくことさえできない。
     
    ある日、一人の同級生が自転車を
    盗られそうになっているところに出くわし
    自分が身代わりになる。
     
    そこから『友達とはなにか』ということを考え始める。
     
    他人を思いやる気持ち、自分を認めること。
    そんなことは小学生の子供だからとか
    大人だからとか関係ない。
     
    硝子の母親だって、自分の杓子定規な見方を
    後々反省している。
     
    悩んで皆成長していく。
    本当に素晴らしい作品でした。

全139件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

成城大学文芸学部准教授
著書・論文:『中国故事受容論考 古代中世日本における継承と展開』(勉誠出版、2009年)、『重層と連関  続中国故事受容論考』(勉誠出版、2016年)など。

「2024年 『古典文学研究の対象と方法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×