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- / ISBN・EAN: 4988013287297
感想・レビュー・書評
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Born to be Blue
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栄光と転落と再起
鋭敏な感性の維持どこまでも芸術家で有り続けたかった…たとえ人の道を外れようとも…
こう言った伝記物作品としては、
かなりの駄作では無いだろうか?
全然面白くないのが非常に残念な作品ですね…
まぁチェットベイカーの人物像がこうなんだろうから必要以上に盛り上げたりする必要はないんだけど、盛り上がりもなく全体がすごく地味で心躍る気持ちや胸のすく想いも何もない… -
『ブルーに生まれついて』(ロバート・バドロー)
1950年代の伝説の白人トランペッター、チェット・ベイカーがドラッグがきっかけで転落していくが、恋人の女優ジェーンに支えられながら、トランペッターとしての再起のための苦難を続けていく。そして昔マイルス・デイビスとの苦い経験をもつ因縁の名門ジャズクラブ“バードランド”への出演が決まる。
『このステージが成功すれば…』長い苦節からの脱出が叶うという強いプレッシャーがチェット・ベイカーを襲ったとき…
このチェットのステージを見守るジェーンとプロデューサーのディックの前で見事な演奏を見せるが…。
この映画を観終わった後に先日NHKのクロ現で特集していた『スポーツ選手と薬物依存』(?)というタイトルの番組を思い出した。内容は、‘ストレス’や‘プレッシャー’(勝敗)と安堵・快楽(薬物依存)の強い因果関係について解説していた様に記憶しているが、私の印象では、プロスポーツ選手よりミュージシャンのほうが結びつきが強い印象がある。
この『ブルーに生まれついて』のラストシーン。チェット・ベイカーはプロのスポーツ選手と同様の強いプレッシャーを抑え込むためにヘロインを使用したようだが、それだけではない。
常習的に使用していた頃を含めて、ミュージシャンとしての彼の感性の一部としてドラッグは共存していて、その湧き出るような感性の記憶が、ジェーンとの隙間がほんの少しだけ空いたところに入り込んできた。
『テンポが広く感じられる』や『ひとつひとつの音の中にまで入れる』といった感覚はドラッグが容易に拡張してくれる世界で「ヒット作品を出し続けなければ」というプレッシャーに追い込まれたミュージシャンの焦りという感情に紛れて入り込んでゆくのに似ている。
ラストのチェットのステージは成功したけれど‘クリーン’な彼を支えるジェーンを失い。成功したトランペッターとしての彼を支えるものがドラッグだとしたら、転落へのループは映像として残されなくても観る者の目にはイメージされる。
ドラッグを容認するわけでもないし、富や名声のためのドラッグは美しくなく芸術に値しないかもしれないが、芸術や感性の究極の表現に苦悩するアーティストが人生を賭してしまいかねないところに立っている姿の美しさも想像してしまう。
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イーサンホークがチェットベイカーを演じた、チェットの自伝映画、『ブルーに生まれついて』。
イーサンホークがやるとチェットが善人に見えてしまうところが玉に瑕かな。
どこまでも堕ち続けて、下衆の極みを地でいきながら、でもチェットのトランペットはいつも最高だった。
音楽家は、いい音だしてりゃ、なんだっていんだ。凡人の道徳心なんか、鼻紙にして捨てればいい。