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感想・レビュー・書評
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高野秀行さんおすすめ著者。高野さんのおすすめにハズレはない!
臨床心理士である著者が、「野の医者」すなわち、「スピリチュアル」と呼ばれるような療法を行う人々を訪ね、詳しく話をきいたり、実際に療法を受けたり、養成スクールにも行ったりして、心の治療とはなにか、そういう「スピリチュアル」な療法と、臨床心理学による療法とはなにが違うのか、などを研究するという話。
文章は堅苦しいところがなく、むしろ笑えて、読んでおもしろかったし、いろいろとても興味深かった。実際、どういう人たちがどういうふうに「スピリチュアル」な療法を行っているのか、そういう業界?の構造、どういうしくみで成り立っているのか、っていうようなこともわかったし。著者は沖縄にいたので沖縄での話なんだけど、そもそも沖縄は「ユタ」とかいるし、歴史的文化的にスピリチュアルがとても多いとは知らなかった。
とくに印象に残ったのは、臨床心理学もスピリチュアル療法も、こういうことが原因でこうすればよくなる、ということを「説得」できるかどうかであるという点で似ているというところとか。
そして、じゃあ、違いはなにか、と考えたときに、臨床心理学は「学問」である、っていうのがなにか感動的だった。スピリチュアルな療法って、結局、信じるか信じないかしかない。自分が信じて、癒された、と思えばそれで終わり。でも「学問」っていうのは疑い、考えること、常識を疑い、自分で考え、問い、人と議論することだ、っていうのに、なんだか「学問」ってすばらしい、とか思った。。。。
どうでもいいけど、コラージュ療法っていうのは知らなかったけど、おもしろそうでやってみたいと思った。雑誌とかを切り抜いてコラージュをつくる、っていう箱庭療法みたいな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
民間で心の問題に向き合っているヒーラーたちの話だ。民間療法とか、占い師とかもその系統にはいるんだろうなぁ。うさんくささもあるが、一概に否定できない部分はあるみたい。
前に読んだ僧籍にある人の本で、読んだことがある。さまざまな不幸に出会って、医者もお坊さんも助けになれない人が、「三代前のご先祖の行いが原因で・・・」と言われて救われることがある。その姿をみると一概に否定はできない、なんてね。
著者は臨床心理を学んだ人として、自分と彼らのなにが違うのか。実際に体験しながら理解しようと進んでいく。
研究対象として野の医者たちと接するうちに、臨床心理学と彼らのあいだにどれだけのちがいがあるのか、という疑問がわきあがる。
面白かったね。
野の医者の人たちは、たいてい自分がものすごく苦しんだことがあり、その苦しみが極限までいって、くるりと癒す側にまわったという。なにか、それぞれそういう召命みたいな体験があったんだろうね。体験そのものは、個別のものだろうけど。
著者の感じていた疑問や問題意識は、けっこう共感するところがある。俺が今、心理の仕事をしているかといわれたらちがうし、そもそも俺は臨床心理学のコアな部分を学んだとはいえないのかもしれない。ゼミは認知系だったし。でも心理の学校で学び、それを現実に使おうとして、そこで学んだ道具の使い道にすごく考え込んだ、とでもいおうか。
実際に相談の仕事を受けたとき、とにかく自分に使えるものをなんでも組み合わせて当たるというのは、あぁそうだよね、と身を乗り出す。自分自身、これでいいのかなぁ、と思いながらやってるところはあった。本書の中では、それをブリコラージュといっていた。
内田樹とかの本で、読んだことあるなぁ。ブリコラージュ。手元にあるものを工夫して使う、って。あぁ、なるほどそうだね、と思う。
本書は、著者が心理の道に悩み、考え、そしてひとつの道を見つけるまでを描いていた。よくできた本だよなぁ、と感心したくらい。
本書でみつけた道の後、著者はさらに今、自分で生きる道を進んでいるみたいで、前に読んだ本はすでにそちらに進んだあとの話だった。
そのあたりの経緯も、いずれ読んでみたいね。
河合隼雄をはじめ、少し前まで心理系の学級方面から一般向けの本はけっこう出ていた。最近、そういう本は少なくなっていたと思う。
自分よりも若い世代の方から、こういう面白くて考えさせてくれる本が出てくるというのは、喜ばしいことだ。
あるいは、それだけ自分が年をとったということかな。 -
新聞か何かの書評で紹介されておりタイトルに惹かれて図書館で借りた。
本書のようなジャンルは読まず嫌いで、今まで手に取ることはなかった。
読み出すと止まらなくなった。著者の方や実在の登場人物の方達とぜひ会ってみたいと思わせる、とにかく(笑える)専門書。
臨床心理士である著者は、野の医者と呼ばれる人たちとの交流を通じて臨床心理学の本質を探求していく。
専門外の私であるが、著者が導いた仮説は「なるほど」そのような考えもあるのかと納得させらた。 -
ふとしたきっかけから怪しいヒーラー達の世界に触れた臨床心理士が、彼らの話を聴き、実際に治療を受けて回ることになる。次から次へと現れる不思議な治療!気づけば著者自身の人生も苦境に陥る…。武器はユーモアと医療人類学。冒険の果てに見出された心の治療の本性とは?底抜けに楽しくてほろりとするアカデコミカル・ノンフィクション。
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烏兎の庭 第六部 1.19.20
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto06/doc/nono.html -
著者は臨床心理学の専門家だが、タイトルにある「野の医者」とは大学などで正規の教育を受けた医者ではなく、宗教やスピリチュアルに近い手法で「癒やし」を与える治療者たちを言う。特に沖縄にはそういう人が大量にいるらしい。
言うまでもなく、怪しい人々だ。治療法に科学的根拠など無いし、本当に効果があるか疑わしい。さらに、高額なセミナーを受けて治療者になるなどと聞けば、さらに怪しさが倍増する。
しかし著者は彼らを研究することで、科学的な心の治療とは何なのかを見つめなおす。体の病気や怪我と違って心の問題は目に見えず、機械で測定することも難しい。そして何より、どういう状態になることが「治った」と言えるのかが曖昧なのだ。
もちろん、だからといって臨床心理学や精神医学が野の医者と同じだということではない。科学の手法には意味がある。同時に、野の医者には野の医者なりの意味があるということだ。
私が心を病んでもこういう治療を受けることはないだろう。しかし世の中にはそういう治療の方が合っている人もいる。その点は否定してはいけないと思う。 -
めちゃ面白かった。学術書かと思って読んだら、大爆笑エッセイかつミステリーだった。 本書が対象としている『心』の謎は、つねに自分自身の中にもあるというのが、大変やっかいかつ面白いところ。
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「傷ついた治療者」「生き方を与えることで治癒する」占いもやるし、占い師や占い業界もちらっと知っている身としてはとても納得いく話。野の医者というフレーズと体当たりで親近感のわくフィールドワーク。軽快な語り口。人が人を癒すことについて考えるきっかけになる良書。
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文章は冗談まじりで軽快にすすむ。
心を扱う治療は、治療者のスタンスによって「治る」の定義が違う。さらには、どの治療が合うかどうかは患者によって違う。それは時代や土地、思想に大きく左右される。
などなど面白いトピックが多かったが、一番気になったのは筆者の文章、というか心情か。タイミング等もろもろ違えば、筆者はスピリチュアル側にいたのでは?と思った。
いや、根本は同じなんだから、どっちにいるとかは関係ないのかも。 -
沖縄に猖獗を極めている怪しげな民間療法やヒーリングをトヨタ財団の助成金を使って、すべて体験尽くした臨床心理士のルポと自らの失業と再就職を巡る心の葛藤を描いたノンフィクション。面白すぎてミルミルイッテンシューチューで読み切ってしまった。
いま、世の中はヒーリングブームである。なぜブームなのか、なぜどんどんヒーラーが増えていくのか、沖縄を舞台に著者はその構造を紐解いていく。その最大の特徴は、ヒーラー(作中では"野の医者"と呼ばれる)は"傷ついた治療者たち"であるということ。つまりは、元患者がそのヒーリング法で癒され、今度は自分の使命感でもって同様に傷ついた人たちを癒しにかかるようになる、、と言えば聞こえはよいのだが、実際にはかなり簡単に自分もヒーラーになれることから、傷ついた者たちの互助的な側面、つまり経済的な側面が強いことが著者によって冷静に分析がされていく。(ちなみに、失業の憂き目にあった著者も結局は"再就職"が最も癒しとなったことを率直に語っている)
また、ヒーラーの効用についての言及も興味深い。つまり、怪しげな野の医者の治療は、効き目が大きく、即効性も高いのであるが、どうしても治療の根源が他力本願となるためにリバウンドも起こしやすい(起こしながら、お互いに癒し合って、経済を廻しているという説が濃厚なのであるが)。他方、科学を根拠とした臨床心理は、毎回の効き目も小さく、治療に長時間かかるものではあるが、自分との向き合いによって治療を行う、つまり自力本願的治療のため、リバウンドは少ないとう。
そして、最終的に著者は、横浜で生まれ沖縄で猛威を振るったヒーリング法、"マインドブロックバスター"に行きつく。そこにはトカゲとドラゴンの凄まじい、あるいはあっけない攻防があるわけだが、それは本を読んでのお楽しみ。
とにかく知的に面白い本なので、お勧めです。
特に、ヒーリングに興味ある方、読んでくださいねー。