- Amazon.co.jp ・電子書籍 (181ページ)
感想・レビュー・書評
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物語学(ナラトロジー)の扉を開けてくれる新書。タイトルから文学論の軽い読み物を予想していたが、読んでみれば文学を越えた認識論や心理学、宗教まで含む興味深い内容だった。物語、あなどり難し。
まず大前提として、人は世界を因果律で把握している。言い換えれば、常に無数の物語を求めかつ全自動で物語を組み立てる生き物である。始めのあたりでこれを丁寧に説明してくれてありがたい。読んでみれば確かにその通りだった。
しかも、この物語は納得しやすいかどうかが正確さよりも優先され、納得した瞬間に「分かった」と腑に落ちる仕組みなので、自分で分かったような気がしたからと言っても、それが事実から離れた物語である可能性は常にあるという。
例えば、かつて虐待児だった人が成人してからも苦しむように、過去の物語であっても消えることなく人生をコントロールしてしまったり、理屈に合わない災難に合ったら懲罰ストーリーとして解釈して祟りやジンクスに怯えたりする。冷静に考えたら有り得なくても感情面で深く納得してしまう。どんなに自分にとって不都合な物語でも、何もないより精神的に安定するのだそうだ。この辺りメンタルヘルスに直結する内容ではないか。潜在意識にひそむ物語を使うスキーマ療法や気持ちを語り客観視する認知療法や語り直すリフレーミングに限らず「語り」は精神医療には欠かせない過程だ。
ミステリーが人気なのも、謎を提示したのちに納得させてくれて快感があるからであるし、物語中に謎があれば読者は全自動で仮説という物語を期待し、それによって満足したり裏を描かれてびっくりしたりしてエンタメが成立しているのだという。
これ以外にも神話や不都合な物語から自由になる方法など、興味深いトピックが目白押しの内容であった。物語学の本をもっと読みたい。これのおかげで陰謀論や災害時の流言飛語も理解できるし、全体主義やファシズムにも通じてくる話だ。すべてがまったく他人事ではないのが面白い。
謎を解き明かしてくれる物語を求めざるおえないくらいの不安にまみれた時にどう踏ん張るか。分からなさ不安定さに耐えること、事実を事実のままに見つづけること、感情的に気持ちの良い物語に触れても吸収しないでいられること。どれもこれも改めて考えると難しい。サイの角のごとく1人歩めるのはゴータマ・ブッダくらいのような気もする。煩悩にまみれた凡夫としてはせめてこの難しさを忘れずにいたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
人は、こうあるべき、こうであるはず、これが普通、っていう物語を自分でつくってしまいがちで、それで自分を苦しめることがある、みたいな論だったと思う。哲学や思想、心理学や宗教や、古典文学や、さまざまな引用がされていて、わかりづらいことはなかったけれどもちょっと難解というか多少退屈なような、飛ばし読みしてしまったところもあって。要は認知療法みたいな、考え方の癖を治しましょう、みたいな感じ? 読む前に勝手に想像していた内容とは違っていて残念だった。想像していたのは、津村記久子さんの小説(死んだあと、フィクション消費地獄に落ちる、って話)に出てきたみたいに、なぜわたしは小説や映画やドラマといったフィクションをアホみたいに消費してしまうのか、自分の人生という現実を生きるよりもそっちに夢中みたいなのはなぜか、みたいなこと……。
あと、もっと一般的な小説とかが引き合いに出されるのかな、とも勝手に思っていた。
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【第1章のまとめ】
・人は「世界」や「私」をストーリー形式(できごとの報告)で認識している
・「私」の一貫性は毎瞬意味の違う「私」をパラパラ漫画のようにつなげたものである
・ストーリーの筋においてできごとが起こると、世界がある状態からべつの状態へと遷移する。(状態、出来事、地と図 の区別)
・できごとは 「報告価値があるもの」として認識され、報告価値は内容だけでなく受信者の状況によっても決まる
・ストーリーは「物語」の形で表現・伝達される
・人が発話するのは、必ずしも「内容」や「ストーリー」を伝えたいからではない
【第2章のまとめ】
・人はAのあとにBが起こると、AのせいでBが起こったと思う傾向がある(前後即因果の誤謬)
・前後関係だけでなく、因果関係が加わると、ストーリーが滑らかになる
・人は個別の事例から一般論を帰納し、その一般論から演繹して新たな事例の原因・理由を説明したがる
・不本意な状況に置かれると「なぜ私が?」という実存的な問が起こり、ストーリーがそれに無理やり答えようとする
・「なぜ?」の答はできごとの原因だけでなく、 できごとの理由・目的・意味であることも多い
・ストーリーは平常状態が破られるところから始まり、受信者・解釈者は非常事態が収まって新たな平衡状態に着地することを期待する
・受信者にとって物語は情報ではなく、体験である
・世界はほんとうは因果律的にはできていないし、理由のないことはいくらでもある
【第3章のまとめ】
・「実話」と「ほんとうらしい話」は違う
・話が手持ちの「一般論」に一致したとき、人はその話を「ほんとうらしい」と思う
・話しかたしだいで、いくらでも「主語の大きな」きめつけをすることができる
・自分の行動の動機を説明しても、けっこう出鱈目なストーリーになっていることがある
・理解した、と思うとき、人はじつは決めつけている
・子ども時代に作り上げた一般論の集合体(世界観)はしばしば偏っていて、そこから生まれるストーリーは成長後の人を苦しめることがある
【第4章のまとめ】
・人は不本意なできごとの原因を探し、その存在に報いを与えたがる義務や道徳を支える
・「べき論」は、意外と感情的
・世界は公正であるべきだという考え (公正世界の誤謬)に無自覚だと、被害者を責めたり自責したりする
・怒りや悲しみといったネガティヴ感情の背後に、無根拠な「べき論」という誤信念がある
・「べき論」によって人は、世界や他者を操作できると思いこんでしまう(コントロール幻想)
・感情につき動かされて行動することは選択肢をみずから手放すことであり、「自由」からもっとも遠い
・世界でひとつだけ選択可能なものは、できごとにたいする自分の態度である
【第5章のまとめ】
・人はストーリーを理解しようとするとき、登場人物の信念や目的を推測・解釈している
・他人の目的や信念を推測する 「心の理論」は四歳ごろに発達する
・自分がなにを知らないかを知ることは難しい
・人はストーリーや世界のなかで多くのことを決めつけて生きている
・自分の生きる指針のせいで苦しむこともある
・従来の生きる指針を捨てるのは先の保証がなく、崖から落ちるくらい怖いが、そうする自由はつねにある
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文章が少しむかつく感じだが、物語論についての本は実は初めてだったので勉強になった。あとがきの著作が有名どころしかないのでなんだかなぁ、という気持ちになったがあとで参照することもあるだろう。 -
思った以上に心理学寄りだった。ナラティブアプローチだなあと思いながら読んだ。
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人間は生きていると物語を聞く・読む以上に、ストーリーを自分で不可避的に合成してしまうと言うのが本書の主張。それは、自分の外にある日光や水や酸素と同じように物語を外から摂取するのが必要なのではなく、生きている事で二酸化炭素を作ってしまうのと同様の意味である。「生きていてなにかを喜んだり、悲しんだり怒ったり、恨んだり妬んだりするのは、その『物語』による意味づけのなせるわざ」なのである。
そこで、著者は「人間は物語る動物である」ということを自覚することで、ストーリーのフォーマットが悪く働いて自分が苦しい状況に陥る危険性を減らし 「ストーリー」のいいとこだけをとって生きていきたいとする。自分が認知するストーリーのなかで、自分はストーリーの語り手であると同時に読者であり、登場人物でもある。物語る動物として、自分や他人のストーリーで人(自分を含む)を押しつぶしたりせずに、生きていきたい、ということである。
恐らく、ストーリーをつくることで人は他人と自分を意識し理解する事で社会を形成し文明を気づいてきた。それが他の動物と人間の違いである。ストーリーをつくることができないと人間として生きていけないが、ストーリーが自分を苦しめる事が多々ある。そのことを自覚する事で苦しみを極力排除し楽しい人生を送る事ができるのではなかろうか。
人生を楽しく生きるためにの物語論である。 -
人は物語という形式でないと認識できないシステムになっているのか、ということが発見だった。
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SNS疲れに効く漢方薬・・・かも? やや難解なので、即効性ありとはいかないかなぁ?
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2019年12月24日(火)読了。ちくまプリマー新書のシリーズとしてはやや堅いかなと。薄い本の中にいろんなことが盛りだくさんなのもおなかいっぱいになってしんどかったので、取り上げられるトピックと素材はもう少しコンパクトな方が個人的にはよかったなと。