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- / ISBN・EAN: 4562474188173
感想・レビュー・書評
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MOONLIGHT
2016年 アメリカ 111分
監督:バリー・ジェンキンス
出演:トレヴァンテ・ローズ/マハーシャラ・アリ/ナオミ・ハリス
http://moonlight-movie.jp/
想像してたより普通に恋愛映画でした。というと語弊があるのかもしれないけれど、貧困とか人種差別とか社会問題的な部分にもっとクローズアップしているのかと思っていたので、もちろんそれも含まれているのだけど、全体の印象としては男性版『キャロル』的な、たまたま同性同士ではあるけれど、しみじみ一途な恋愛映画の余韻。
たとえば主人公のシャロンは内気で軟弱なので、本人が同性愛者だと自覚する以前からいわゆる「オカマ」と苛められている。しかし彼を苛めているのは白人ではなく、同じ肌の色の少年たちであり、苛められる理由は肌の色ではなくあくまでシャロンの内向的な性格。その遠因はヤク中でネグレクトな彼の母親であり、個人的には学校でいじめられることよりこの母の毒親っぷりのほうが観ていて辛かった。
そんな少年時代の彼を支えたのは、偶然知り合った麻薬の売人フアンとその妻テレサ。仕事柄見た目はいかにもな感じ(清原みたいとか言ったら怒られるかしら)のフアンだけど、シャロンにかつての自分を重ねてでもいるのかまるで息子のように親身に接してくれ、テレサもまた優しい。この疑似両親のような二人の家という逃げ場があっただけでもシャロンは恵まれていたのかも。映画の終盤で大人になったシャロンの外見はフアンにそっくりで、彼の言葉や優しさだけがシャロンにとって生きる指標になっていたのだなと思わされる部分がいちばん泣けた。
一方、苛められっこのシャロンの唯一の友人にして、結果シャロンが恋心を抱くようになる相手ケヴィンのほうですが、疑似父フアンの存在感に比べて、正直ケヴィンは観客にはそれほど魅力的には映らない。友達のいないシャロンに声をかけてくれたりする優しさはあるけれど、それだけで好きになるかなあ?っていう。そしてケヴィンのほうではシャロンをどういう目で見ていたのかがイマイチ伝わってこない。映画は3部構成で少年時代、青年時代、大人になってからで役者が変わるのだけど、シャロンに比べてケヴィンは出てくるたびに印象が変わり、ひとつの繋がった役として見れないのもちょっと微妙だった。
シャロンのほうは、子役→青年までの変化は似た感じの子で、ひよわそうでモジモジしてるところとかずっとひとつながりの役として観れたけど、大人になったら急にマッチョになって出てきたのでビックリ。もちろん、フアンのような男を目指して鍛えたという設定なのだろうけど、それにしてもマッチョすぎやしないか(笑)まるで中性的なことが売りだったビジュアル系バンドマンが中年になって急にマッチョに目覚めたかのような、あるいは未練たらしい失恋ソングを歌っていたフォークシンガーがいつのまにかマッチョな兄貴になってオラオラしはじめたかのような、あまりに急激な変化にかなり戸惑いました。
大人になったシャロンは、ネグレクトだった母親を赦し、一度は裏切ったケヴィンを赦し、心の安らぎを得る。観る前に想像していたほど過激なことは起こらないし、比較的静かで情緒的な映画。もっと社会派作品だと期待した人は裏切られるだろうけど、純情少年の初恋成就映画だと思えば失敗しないと思う。 -
『ムーンライト』
ドラック常習者の母にものもとで育ったシャロンの人生を、少年期、10代、青年期の三部構成で描いた作品。
少年期は‘理想の人間像に出会えた’時期
ドラッグディーラーのファンは、父親がいず、ドラック常習者の母ポーラのもとで暮らし、周囲の子供たちからはいじめられ続けるシャロンを我が子のように自分の妻テレサとともに援助していく。
このファンの姿が将来のシャロンの姿へ導いてくれたのは間違いない。仕事や身体といった外見だけではなく、生き様みたいなものを小さいながらに、全身で感じて憧れていたに違いない。
10代は‘恋’の芽生えと、自我の確立の時期。
幼馴染のケヴィンとの間に‘恋’を感じ、先天的に自らの中に宿っていたゲイの芽を自らも意識した時期。LGBTは先天的なものなのか、後天的体験に基づくものなか諸説あるようですが、私には先天的な要素に基づくのではないかと思えて仕方ない。ただ、それに目覚めるのに、後天的要因である感情的、身体的刺激が関わっているのであろう。
‘恋’に芽生えたシャロンの戸惑いは
少女が恋に芽生えて自らの身体や心が制御できずに葛藤する姿のようだった。
そして、少年期、10代のそれぞれの思い出で共通していたのがその大切な人たちとの苦い記憶、これは強烈だった。少年期、シャロンはドラッグディーラーのファンに『ママは麻薬をやっているの?ファンはその母に麻薬を売っているの?』と尋ねる。その時の、ファンの表情がたまらない。
10代のそれは、クラスメイトに脅かされて、ケヴィンがシャロンを思いっきり殴るシーン。これは殴られたシャロンよりも殴ったケヴィンの辛さが伝わってくる。
(それにしてもあのレゲエ野郎は何をしたいんだ)
シャロンが椅子で殴りかかったのが、何故いけないのか?
でも、このことがシャロンの脱皮のきっかけだった。『許せないことには、態度で抗議する』ことが必要で、社会や他人に任せていてはいけない。(社会に任せきっている私たちは牙を抜かれたに等しい)
ドラッグディーラーは社会的には許されない仕事かもしれない。でも、人間が生きていく選択肢が本当に限られている環境(麻薬常習者を母にもつ)なら、それは個人にだけその責任をとらせることができず、辿っいくと社会のありかたに原因があるし、もっというと人が生きていくということは社会という枠よりも大きく、起源もずっと古いということでもある。
この映画で見る限りのシャロンの心は美しく強く、優しい。生きている彼にとっては安らぎの少ない人生が続くだろうが、観ている私たちにはそれが伝わってくる。そんな生き方は細々と受け継がれていくだけなのかもしれない。
AIに争いだらけの人間社会の政治を任せて平和を創造してもらうようなことになったら、彼等はきっと『心の綺麗な人間』をヒエラルキーの上位に置くようにすることだろう。心の綺麗な『薬の売人』はありえないことでない。
そういう社会になれば『薬の売人』なんて職業どころか、ドラッグ自体がなくなる。
夢想はこのくらいにしておく。
少年時代の黒い肌に輝く瞳が、希望の未来でなく強烈な理不尽を見せつけられて、この地上に生を受けたことに怯えていた。
yamaitsuさんはファンのことを清原和博にたとえていた。私もこの映画を見ながら清原和博を思い出した。でもそれは、ファンにではなく、シャロンの姿にだった。
甲子園に桑田とk.kコンビとして活躍していた頃は、まだまだ線が細かったが、西武に入り、巨人に移籍するとがっしりとしたマッチョな体型になっていった。そして引退後、覚醒剤の使用で逮捕されるに至るわけだけれども、その過程を慮るとあの体験の前の線の細い清原和博がグッと強く思い出され10代のシャロンとダブった。
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正直 最後絡みがなくてホッとした。シャロンのことを思うと辛くて…絡んでしまったらもっと辛いわ。人生クソだわと思うまわりに勝手なヤツがなんと多いこと。欲ってのは周りを巻き込むものなんだなってあらためて思った次第。
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Every nigga is a star.
Every nigga is a star.
Who will deny that you and I and every nigga is a star?
すべてのニガーはスターさ
すべてのニガーはスターだよ
君と僕とすべてのニガーがスターなのを
誰が否定するだろう?
『ムーンライト』、自分が好きな曲で始まったからびっくり。元々はボリスガーディナーの曲だけども、ケンドリックラマーがこの映画の直前に出したアルバムでサンプリングしてて知りました。あまりhip-hopには詳しくないけどこのアルバムだけは持っている。ケンドリックラマーってブルーノマーズやテイラースウィフト並みに有名ですよね。このアルバムの当時グラミー賞を争ってました。そして今年はピューリッツァー賞を受賞したり、『ブラックパンサー』絡みのアルバムを出したりしてる。
つまりそういう映画です、『ムーンライト』も。事前情報で撮影のことだけは知ってたけど、予想どおりの内容というか……アート系というか、ただただ美しい純愛映画。
本来ならカンヌとかで評価されるような映画ですが、なぜこれがアカデミー作品賞を獲ったのか?大きい理由としては政治的なものですが、もう半分はブラックコミュニティのことを知らなければわからないんだと思う。ただ、個人的にはハリウッドの成熟を感じてて、10年後に振り返った時により理解できるかもしれない。
hip-hopが好きな人だったら、彼らの文化の中にホモフォビアが根付いてることは知ってるかも。hip-hopに限らず、黒人社会に。これは宗教上の理由と、黒人の伝統的な考え方によるものらしい。
ただ、彼らに特別ホモフォビアが多いわけではなく、白人の保守的な層、それからイスラムの方が当然もっと不寛容だと思う。
ここ10年ぐらいで流れが変わってきたようで、黒人のアーティストたちも少しずつカミングアウトしてるそう。ただ、カントリー系のアーティストでは皆無らしい。
ここで思い出すのは2005年の『ブロークバックマウンテン』。中西部の話だけど、彼ら保守的な白人たちが好むのがカントリーミュージック。
『ブロークバックマウンテン』もアカデミー作品賞にノミネートされてましたね。それと比較して、11年後に『ムーンライト』が作品賞を受賞したことを考えると、ハリウッドの意思表示や変革をすごく感じます。
それとフロリダやアトランタという土地柄も知らなければ語れないかも。黒人社会のホモフォビアと表裏一体で、アトランタにはゲイクラブも多いらしい。フロリダでは2016年に銃乱射事件なんかも起きました。
以上、『ムーンライト』を取り巻くバックグラウンドの情報ばかりを書きました。本来なら宇多さんあたりがこういうことをもっと言うべきなんだけど、ラジオの方では「全然足りんな」って感じで……。外部サイトを見ても、偉そうに語ってる人でも黒人社会のホモフォビアについて触れてる人が少ないように思う。
バックグラウンドの情報抜きだと、娯楽的要素が皆無な映画なので、この作品の価値ってわからないし、評価もできない。
映画本編の感想は、ほんとに美しい恋愛映画、青春映画としか言えません。色彩設計、ブルーの物体を常に映している。
恋愛要素を除いて青春映画として観ると、三部構成での主人公の変化、周りの大人たちに影響を受けていく点なんかはすごく好きです。
他の映画でも、よく「映像詩」っていう表現をする方がいると思うんですが、この映画もそれに近い。ストーリーはわかりやすいんだけど、映像のみ、時間経過や行動のみをただ映しているだけ。語らないから心情を観客に想像させる。
良い映画ってのはベラベラ語らない、説明しないものが多いです。それと同時に、主人公たちがカミングアウトできない、語れないって状況があるんですね。お互いに愛を告白できない。このふたつがぴったり重なってるんだと思う。
ブラピのプランBが出資してるけど、『それでも夜は明ける』みたいに積極的じゃなかったのも良かった。あの映画、ブラピ本人の役もなんだかなぁって感じでしたね。(プランB作品やブラピの映画愛については大好きです) -
映画館にて。
始まりから終わりまで、
アイデンティティの確立をめぐる出会いと葛藤の物語で、
色と音の類まれなる調和と、
どこまでも純度の高いラブ・ストーリーであって、
ひとかけらの無駄も欠如もない完璧な傑作である。
深い傷つきがある。
それを癒やすのは、
傷つき以上の愛情でしかないのだ。 -
黒人、貧困、麻薬というよく耳にする様なワードに”同性愛”というワードが加わった異色の映画。母子家庭で母は薬中。薬の売人を嫌うが、成長してからは自分も薬の売人になってしまうシャロン(アレックス・ヒバートさん、アシュトン・サンダースさん、トレヴァンテ・ローズさん)と唯一の友人・ケヴィン(ジャレル・ジェロームさん、アンドレ・ホランドさん)との交友をじっくり・温かく見守って下さい。
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リアル、なのかな。
この物語はどのようにも見れる。
母子の物語
父性の物語
貧困、犯罪、ドラッグ
変身
そして性
でもこれは純愛の物語でもある。
すべてがないまぜで、剥き出しだ。まるで野菜を切って煮込んだだけのスープみたい。
でもそれが虚構のなかである種の整合性と順序を持った物語になっている。
ここまでまとめられた物語のなかで、感じるのは不条理だ。でもその不条理のなかに、たしかに美しさはある。
ムーンライト。
そして「ブルー」が象徴的な文学的な映画だ。美しい。