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- / ISBN・EAN: 4934569648587
感想・レビュー・書評
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数年前に観た映画。ひめゆりの塔に行ったので思い出す。風化させず伝えていきたいものがたしかに在る。
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映画好きの人からその作品に対する愛情を分けてもらって観る機会を得ることができた作品。そういう意味でも特別な作品となった。
Japan Societyでの2017年度JAPAN CUTSフェスティバル、大トリを努めたのは本作。もともと全作制覇とかは狙っていなかったのでせっかく先行して会員だけに解放される前売り期間もムダにし、あっさりSold Out。ところがところが会期中に上映後のイベントを通してなんどか会話をさせてもらえることになった、まつむらしんご監督(上映作品は「恋とさよならとハワイ」(2017) )ご本人の口から「すばらしい作品です。是非鑑賞できる機会を探ってみて下さい。」と絶賛されると観ないわけにはいかず、直前上映枠のエンドロールを放置して飛び出してスタンバイでの購入を狙ったところかろうじてありつけた…という顛末だった。
その結果は…
感染です。
鑑賞直後から機会のあるごとにあちこちの人に薦めてしまっている自分。鑑賞数日後からマンハッタンの映画館2館で上映されることもわかったので…、ハイ、最近の恒例となりつつあるやつ、「気に入ったら再鑑賞、頻度を問わずお好きなように。」を実行してしまった次第。
国家間の利害の衝突という抗うことの難しい大きなうねりのなかで、もみくちゃにされる一市民にとっての「戦争」という醜悪な生きもの受け取り方。その様にはいろんな形態があってしかるべきなわけであり、本作はまた新しい視点を素敵な色彩とともに与えてくれた。そんな意味で功績は大きい。
まだまだ「のん」という女優さんの力量は観せてもらっていないながらも今回はきちんと聴かせていただきました。彼女が兵庫出身だったということもこれを機に知り、広島の古い言葉を知る人達からはこの彼女の仕事がどのように評価されていたのかも気になったり。
平和に溺れそうになった時、浮き袋としてつかみたい、そんな作品群の仲間入り。
原作本にも触れてみたいなぁ。 -
「原爆をおとした人はわたしが死んだら ああやったまた一人殺したと思ってくれるんかなあ」
これは以前読んだこうの史代作品で、被爆して寝たきりになった主人公のセリフだ。
原爆を落とした側……即ちアメリカは彼女の願いに反し、そんな人間がいたことすら取り零している。
せめて自分が死んだことで「やった」と喜んで「くれる」、そんな世界の片隅の切実な願いすら打ち捨てられる現実を、悲劇と名付けるのは陳腐すぎる。
「この世界の片隅に」は戦時中を生きる、普通の少女が主人公だ。
嫁いで土地を移り、そこで小姑にいびられながらんとかやっていく。持ち前ののほほんとした性格でよくドジを踏むも、朴訥な夫や新しい家族に溶け込み、趣味の絵を描きながら暮らしていく。
主軸となるのは古き良き人情味あふれるホームドラマで、けっして悲惨なだけの話じゃない。
戦時中の窮乏も知恵と工夫で逞しく乗り切っていくすずさん一家や周囲の日常が明るく描写されており、どっぷり感情移入できる。
だからこそ、終盤すずさんに降りかかる事件はやるせない。
戦争を知らない世代や知ってる世代はもちろんだが、私はまず絵を描くのが好きな人に見てほしいと強く思った。
農作業中に隊列をなして戦闘機が飛んで来たら、どんな色でどうやってこの光景を表現しようか想像せずにいられないすずさん。それは紛れもなく絵描きの業だ。
彼女にとって絵を描く行為が、苦しい生活の支えになっていたのは想像に難くない。
だが、その代償はあまりに大きい。
絵を描く人間にとっては、すずさんは「戦時中を生き抜く可哀想でけなげなヒロイン」なんてフィクションの存在じゃなく、「この世界の片隅に確かに存在する、自分の同類」なのだ。感情移入は前者の比じゃない。
すずさんの周囲の人物も魅力的。特に出戻りの小姑は、意地悪で嫌なキャラだと思わせて……で、泣いてしまった。彼女がすずさんを責めたくなる気持ちはよくわかる。
頭では彼女は悪くないとわかっていても、心情は割り切れない。大事なものを失ったら、その原因や責任を求めてしまうのは責められない。
特にボロ泣きしたのは、被爆した少女がすずさん夫妻に出会うところ。
幸せそうな親子の食事シーンから一転、空腹で焼け野原をさまよって漸く拾ったおにぎりを、母の面影を重ねたすずさんに返そうとしたところからボロボロ泣いてしまった。
ぶっちゃけ説教臭い話を想像してたが、この映画はもっと視点を下ろしている。なんというか、庶民の視線に立っているのだ。
クリスマスの訪れに浮かれもし、障子がとばされてきたら木に上って片付け、玉音放送で敗戦を知ったあとは「さあ掃除掃除」とあっさり散っていく人々。
「陛下に申し訳ない」と泣き崩れて土下座する人が強調されてきた既存の戦争フィクションとは違い、日常と地続きで生きる人々はそうそう落ち込んでいられない。彼らにはまだたくさんやることがあるのだ。
戦争が終わってホッとした人もいた、虚脱した人もいた、もちろん「私たちがしてきたことはなんだったの?」と自分や周囲、天皇に怒る人もいた。
もっともわかりやすく極端な例だけ切り取るんじゃない、その一人一人の反応をちゃんと描くことで、「悲劇に負けず強く生きた戦時中の人々」のレッテルを剥がし、「世界の片隅で確かに生きていた○○さん」を描きだす。
名作である。 -
長崎原爆記念日にテレビで見ました。
戦争で犠牲になるのは庶民。
竹槍と防災頭巾、バケツで戦闘機に立ち向かうなんて。
その時代、その国に生まれたら逃げようもない。
見ているのがとても辛いけど見ずにはいられなかった。
どんどん戦争教育の放送がなくなっていくけど、
毎年この時期くらいはバラエティはやめて積極的こういう放送をしてほしい。
体験者が減っていくなかで、戦争の悲惨さを伝えていかなければと思う。
今平和な時代に生きているのもこの時代の人たちの犠牲のうえにあることを改めて確認した。
今の日本を見て、兵隊さんや犠牲になった人たちはどう思うんだろう?
平和な時代に家族と過ごせることを本当に幸せだと思った。
家族を大事にしよう。 -
ようやく最後まで観られました。
原作は既読ですが、こちらも良かったです。
静止した漫画でも胸にくるものがあったのに、映像と音声が入るとより入り込めた気がしました。
戦争していても日常生活は続いていくので生きていかなければならない、でも普通の人々の暮らしをどんどん蝕んでいく戦況の悪化。
主人公のすずさんのとぼけたふわふわ感と、しょうがないねぇと彼女に接する嫁ぎ先の家族の空気がほのぼのしているので、戦況との対比が凄いです。
展開を知っているのに晴美さんのシーンは泣いてしまいました。責めるのは間違ってると思いつつ、それでもすずさんを責めてしまうお姉さんの気持ちが痛いほど伝わります。すずさんも自分を責めてるし、右手を失い絵も描けなくなるし。。
実家に帰る朝、お姉さんの気持ちとすずさんの決意が描かれている時に、広島に原爆が落ちるシーンがくるのももう…
そして玉音放送、こういう場面も絶対あっただろうなと思いました。「はー、終わった終わった」、みたいな。そのあとのすずさんの台詞、変えられてましたね…さすがにあれをそのまま映画には出来ないです。。
戦争が終わっても日々は続いていく。
戦争で命が失われることや、生活が壊れることがあっても、生きている限り、人は強いのではないかと思いました。
戦争反対を声高に叫ぶのではなく、静かに、でも強烈に表現されている作品でした。観て良かったです。 -
大上段に戦争反対を訴えるのではなく、普通の家族の体験を綴ることで、ジワジワと戦争の悲惨さを伝えてくれます。淡い色調が、悲しさを増幅させるような感じです。
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大人でもせいぜい4頭身のほのぼのとした画風で淡々と小気味よく太平洋戦争中期〜末期の時代が描写されていく 底抜けに明るい場面と 特に晴美がなくなる場面、そして原爆 それらの対比はあまり例がない自然さ。。。
ふと、最近取りざたされている「表現の自由(不自由)」ということばが浮かんだ。この映画の表現力の強さはどうだろう 三丁目の夕陽かっというほのぼの画風から繰り出される、人間の営みの朗らかさといいようのない闇部分。。
もちろん人それぞれの考え方はあろうが、僕は「誰それが悪い(憎い)のだ!」という主張する表現より
「どうしてこのような悲しい状況になってしまったのだろう?何がいけなかったのだろう?でもそのような状況でも私は...」と問いかけるこの映画(表現)の方に本質的な圧倒的な力を感じる。 -
戦が身近に迫る毎日でも、普通の日常がそこにある。
よく知らずに嫁いだ家で、夫への慈しみや、絵を描くというほのかな楽しみ、兵隊さんを慰める女性たちとのやわらかい交流や、夫婦の可愛らしいやきもちが、淡々と紡がれていく。そして、戦火が激しくなっていく中で、自らの負傷、親しい人たちの死、終戦、原爆症になってしまった妹が、それまでの日常と変わらないように描かれる。
安い戦争映画とは一線を画す。ただ、ただ、すずさんが生きた日々がそこにある。
追記:すずさんの声を演じたのんさんには感服しました。 -
戦時中にも市井の人々には日常がある。恋をしたり、友達ができたり、嫁いだ先で苦労したり。
そこにしっかりと焦点を当ててくれた映画って今までなかった気がして、貴重だしこの先の世代もずっと観ていける映画だと思った。泣かせようとしてこないのが好感を持てた。
だからこそ、どんどん家族が亡くなっていく描写には胸がギュッとなるし、敗戦の瞬間には「何のためにこれだけ失ったん?!」と絶望感も登場人物たちと共に感じた。
定期的にテレビで放映されるような国民的映画になってほしいなと思った。