かくて行動経済学は生まれり (文春e-book) [Kindle]

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  • - 行動経済学の中身や経緯も面白いのだが、ダニエルとエイモスの関係性の物語として非常に面白く熱中して一気読み。
    - ***
    - 人の決定は推移的でなく、合理的に見えないときに起こっている。
    - 頭の中で何に気づくかは状況によって変わる。
    - 「無作為抽出に対する人間の直感は、少数の法則を満たしているようだ。それは大数の法則が、少ない数にも当てはまると考えてしまうことである」とダニエルとエイモスは書いている。
    - 確率の法則の代わりに、経験則を使っているのだ。その経験上の法則を、ダニエルとエイモスは〝ヒューリスティック〟と呼んだ。そして最初に調べたいと思ったヒューリスティックが〝代表性〟だったのだ。  人は判断を下すとき、頭の中にある何らかのモデル(イメージ)と比較していると、彼らは述べている。
    - 簡単に思い浮かべられる、つまり 利用可能 である状況ほど、起こる頻度は高いと感じてしまう。特に強烈な事実や出来事、あるいは起きたばかりのことや誰もがよく知ることは、しばしばとても簡単に思い出せるため、判断を下すさいには実際より重要視されてしまう傾向がある。
    - 特定の証拠が示されないときは、前に計算した確率が正しく使われる。しかしまったく関係のない証拠でも、それを知ると前に計算した確率は無視されてしまう。
    - 全員が全員、実際に起こったことについては、最初から起こる可能性が高いと予測していたと信じていた。実現したことについての自分の予測を過大評価していたのだ。つまりいったん結果を知ると、まさに自分が予想したとおりだと思いやすいということだ。エイモスがバッファローの聴衆にその研究を説明した数年後、フィッシュホフはその現象に〝後知恵バイアス〟という名前をつけた。
    - その論文では、はっきり答えがわからないことを判断するときのアプローチが三つ書かれていた。著者がそれにつけた名前(代表性、利用可能性、係留)は、奇妙でもあり魅力的でもあった。
    - ダニエルはこのテーマについてのメモの一枚で、エイモス宛にそう書いていた。「意思決定に影響するのは、 後悔しそうだという予感 とともに、他の結果への期待だ」
    - 人が意思決定を行なうときは効用を最大にするのではなく、 後悔を最小にしようとするのだ。
    - 実際は、確実な損失の額をさらに減らさなければ、人は損を受け入れないということに彼らは気づいた。確実なものとギャンブルのどちらかを選ぶとき、損失を避けたいという気持ちが、確実に利益を得たいという気持ちを上回っているのだ。  損失を避けたいという欲求は根深く、ギャンブルで得する可能性と損する可能性がどちらもあるときに、いちばんはっきり現れる。
    - なぜそうなるかは想像にかたくない。苦痛に敏感なほうが生き残りやすいからだ。「快楽を無限に感じる力を与えられ、苦痛はあまり感じないという幸せな種は、進化の戦いを生き延びることはできないだろう」
    - 新しい理論には三つのレーズンがあった。第一は、人は絶対的なレベルよりも変化に反応するという認識。第二は、人はリスクに対し、損失が関わるときと利益が関わるときでは違うアプローチをとるという発見。そして特定のギャンブルへの反応を調べ、彼らは三つめのレーズンを見つけた。人は確率に見合った判断をしないということだ」
    - ほぼ見込みのないことに対して感情的な反応が起こると、リスクの見方がふだんと逆になり、勝つ可能性がほとんどないときにリスクを負い、負ける可能性がほとんどないときにリスクを避けようとする(だからこそ人は宝くじも買うし保険にも加入するのだ)。「そもそも可能性を考え始めると、人は考えすぎてしまう」とダニエルは 言う。
    - 基準点(利益と損失を見分ける点)は、固定された数字ではないのだ。それは心理状態だったのだ。「何が得で何が損かを決めるのは、問題の提示のしかたとそれが生じる状況による」。
    - 人はものごとの本質で選ぶのではない。ものごとの説明のしかたで選ぶのだ。
    - もし人が系統的に間違いをするなら、その間違いを無視することはできない。少数の人の不合理な行動を、多くの人の合理的な行動で埋め合わせできないのだ。人が系統的な間違いをするなら、市場も系統的な間違いをしてもおかしくない。
    - シミュレーション・ヒューリスティック〟──彼がそう呼ぶようになったヒューリスティックは、人の頭の中に入り込んでくる、起こったかもしれない別の現実に関わっている。
    - エイモスとダニエルが執筆を始めた、この〝連言錯誤〟についての論文が完成したあかつきには、論争は終わるだろうとエイモスは感じていたに違いない。その論争とは、人間の頭は確率論的に考えているかどうかだ。ダニエルとエイモスが示唆していたのは、逆のことだ。彼らは人がなぜ、どのように「ごく単純で基本的な、性質に関する確率の法則」に反するのか、例を一つずつ示した。  起こる確率が低いのに、より細かく説明されているほうを選ぶのは、そちらのほうが〝代表的〟だからだと説明した。彼らはこの欠陥が現実世界で、深刻な結果を招きかねないことを指摘した。たとえばどんな予測でも、たとえ起こる確率が低くなろうと、細かい説明を矛盾が生じないよう並べ立てれば、真実のように思えてくる。
    - ダニエルはエイモスにあることを望んでいた。自分たちが対等のパートナーでないという世間の見方を正すことだ。
    - ダニエルが必要としていたのは、エイモスがずっと、部屋で二人きりで話していたときのように、彼と彼のアイデアを批判せず、そのまま見てくれることだった。もしエイモスが誤解してダニエルのアイデアを過大評価しているというなら、エイモスには誤解したままでいてほしかった。詰まるところ、結婚とは相手に対する、他の人とは違う歪んだ見方を受け入れることではないのか。「わたしは 彼 から欲しいものがあった。世間からではなく」
    - 死期が近いことをエイモスが告げたあと、ダニエルは一緒に原稿を書こうと提案した。彼らの昔の論文をまとめたものの序論だった。だがエイモスがその完成を見ることはなかった。最後の会話で、ダニエルはエイモスに、彼の名をつけながら、彼が気に入らないものを書くことになるのが怖いと語った。「わたしが『自分がしようとしていることを信じられない』と言うと『きみの頭の中にあるぼくのモデルを信頼すれば、いいようになるさ』と返してきた」
    - 彼はいつも、欲しいものを得られないときに心の準備をするのがうまかったし、ものごとを大きな枠組みで見れば、今回のことはそれほどの打撃ではなかった。彼は自分自身にも、これまで成し遂げてきたことにも満足していた。これで安心して、ノーベル賞を本当にもらっていたら何をしたか想像できる。受賞式には、エイモスの妻や子どもたちも連れていっただろうか。ノーベル賞の講演にエイモスへの追悼文を加えただろうか。エイモスとの思い出を胸にストックホルムへと向かっただろうか。エイモスが決して自分にしてくれなかったことを、エイモスにしてやっただろうか。したかもしれないことは、いくらでも考えられた。しかしいまはやらなければならないことがある。彼はテリー・オーディンのための、熱のこもった推薦状を書く作業に戻った。  電話が鳴ったのはそのときだった。
    - ルイスはインタビューで「これはラブストーリーだ。多くの実りをもたらした濃密なラブロマンスだ。アイデアが彼らの子どもで、その子どもたちは永遠に生きる」と答えている。

  • ダニエル・カーネマンが題材になった本。ファスト&スローを読む前にこっちを読むととっつきやすいかも。

  • カーネマンもトベルスキーもユダヤ人。本当に独創的な研究は、ほとんどがユダヤ人発祥。すごい人々だな。無能な人々のジェラシーから差別を受けるのだろう。

  • 経済学の「人は合理的な行動をする」という前提を否定した経済学の誕生のお話。
    うっすら感じていたことを理論立てた人達がいたことが知れて良かった!

  • 幸せな時間は永遠には続かない。「これはラブストーリーだ。多くの実りをもたらした濃密なラブロマンスだ。アイデアが彼らの子どもで、その子どもたちは永遠に生きる」

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