彼女のための幽霊 [パブー]

著者 :
  • パブー
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  • これはすごいな。

  •  『彼女のための幽霊』は、学園を舞台にしたミステリ小説です。文章は軽やかでリズミカル、深刻な内容もユーモアによってうまく包まれているので、安心して楽しく読むことができます。

     物語は主人公の女子高生・杏が、学園内の幽霊騒ぎの調査を委託されるところから始まります。クラスメイトの男子生徒を相棒に、幽霊に関するの情報を集めるべく学園内を行ったり来たり。その過程では、多くの個性的な生徒たちとの出会いがあります。

     ほんの一週間の間の物語です。その短い期間で、杏は多くの人と関わっていきます。そして相棒のクラスメイト・ポチこと城山口少年についても、気持ちのつながりを意識せずにはおれなくなっていきます。

     殺人が起きるわけでもなければ、学園中が騒然とするような出来事が起こるわけでもありません。しかし幽霊騒動の真相を探っていくうちに杏の心は揺れ動き、いつしかそれは彼女自身の事件であるかのように、杏のことを包みこんでいくのです。

     学園に漂う、幽霊の噂の真相とは一体なんなのでしょう。真相の解明のあと、そこに開かれるのは一体どんな世界なのでしょうか。そして、主人公の二人の関係は果たしてどう収束するのでしょうか――。

       ☆

     <注意!>

     ここからは個人的な感想になります。ネタばれを含みますので、未読の方はくれぐれもご注意ください。

       ☆

     この作品の魅力は、なんといっても登場人物の個性です。ほとんど幻想的と言ってもいいくらい、一人一人が魅力に溢れています。特に、各章の表紙絵によってもたらされるイメージもあいまって、女性キャラ達が特徴的に描かれているのも高得点ですね。

     さらにキャラの魅力ということでいえば、忘れていけないのは探偵役の「ポチ」。いつも眠そうな目をして飄々としていますが、実は頭も良いし頼りになる奴という、男の読者から見れば実に憎たらしい人物です。

     物語は、このポチと、語り手の少女・杏の二人を中心として進んでいきます。彼らの会話がまたリズム感とユーモアに満ちており、読者はこの若い二人の男女のやり取りに、可笑しさともどかしさを交互に感じながら引き込まれていくことでしょう。

     僕の個人的な好みで言えば、キャラクター的に最高なのは「自称」文学少女のリンゴさんです。登場した途端に場面が彼女の独壇場と化してしまう、その突出したキャラクターはほとんど凄まじいと言ってもいいほどです。まるでクーロンズ・ゲートの陰陽師です。しかも、最後にはきっちりおいしいところをさらっていくのですから、これもまた実にニクい。

     個性豊かなこの登場人物たちは、例えるならデコレーション・ケーキのトッピングでしょうか。ケーキの上に飾られた色とりどりのフルーツや菓子細工ですね。

     推理小説は、いったん真相が分かれば、二度とは読まれないのがほとんどです。しかしこの小説はそうではありません。登場人物たちの饗宴だけで充分に読み応えがあるため、何度も再読したくなります。あの魅力的なキャラクターたちに何回でも会いに行きたくなるのです。

    「それでは、ミステリ小説としては面白くないってことか?」と言われそうですが、そうではありません。登場人物の個性という最大の魅力は、実はこの小説のミステリ小説としての構造とも密接な関係があると思います。

     簡単にひとことで言えば、この小説は、謎を解いて「真相」に到達した段階で、再び日常の世界に回帰していくという構造になっているのです。

     そのことを象徴している文章があります。引用しましょう。

    ≪この世界にはたくさんの人がいて、それぞれに考え悩んだり喜んだり悲しんだり苦しんだりしている。それが電波のように、密集しあって干渉したり、飴のように融け合ったり、磁石のように反発し合ったりしている。そんな当たり前のことが、ときどき怖くなる。≫

     主人公の杏は、この独白の直後に「真相」に辿り着くのです。実際にはそれはさらに大きな「真相」の一部でしかないのですが、だがともかく、彼女にとって最も大事な真相は明らかになります。

     ではその「真相」が一体どういうものかというと、本当に「真相」と呼んでいいものかどうかすらも怪しい代物なのです。僕自身うまく言葉に表すのが難しいのですが、それはある人物の「実験」だったというものです。学園内の個人の行動や人間関係の全体に、ちょっと指でつつく程度の刺激を与えたら全体にどのような影響が出てくるか。ただそれを見たいだけだったのです。

     例えるなら、それは金魚鉢を外から指でつつくようなものでしょうか。衝撃を受けた金魚たちは一定の乱れを見せますが、乱れは乱れとして、金魚鉢の中ではひとつの事象として完結します。この小説の「犯人」は、それと同じように刺激を与えたら現実というものがどう動き、どう完結するのか、それを見たかったのです。

     そしてその「完結」の形というのが、幽霊の出現という「事件」だったわけです。それがこの小説の主だった真相です。うまく表現できていないかも知れませんが、まず僕はそのように読み解きました。

     だからこそ、先述したような個性豊かな登場人物たちの饗宴は、なくてはならないのです。この小説において、登場人物の個別の物語は、「真相」が明らかになることでいったんは全体の中に吸収されます。しかしこの全体は、最終章のタイトルにある通り、「拡散」する形で再び個別の物語に戻されていくのです。

     全体が全体として拡散することで、個別の物語も改めて解放されるんですね。そしてまた、個別のものとして生き生きと蘇ってくるのです。

     よくあるミステリ小説のように、ひとつの真相があるのではなかったのです。あるのは、結局それぞれの登場人物が生き生きと動いているだけという、全体的な「現実」そのものだったのです。

     よってこの小説では、特定の個人(犯人)の悪事を暴いて責任を負わせるような解決編にはなりえません。むしろこの物語の「真相」とは単なる全体の描写に過ぎません。何も変わりはしないのです。

     言葉で言い表せば淡々としたものですが、この「真相」に至るまでの過程は実にスリリングに描かれています。重層的になったいくつかの陰謀を段階的に解いていくことで、ようやく一番上の次元の真相に辿り着くという構図になっているのです。さらに、その過程では主人公の杏の心情や、ポチに関する秘密なども関わってくるので、単なる機械的な謎解きでは終わらない面白さがあります。

     さてここまで書いて、次に突き当たるのは、物語内に漂う「不安」についてです。

     例えば勧善懲悪の単純明快なストーリーであれば、最後に黒幕を倒してハッピーエンドになるのでしょう。そうして混沌には秩序が与えられ、物語は完結します。それは観る者にシンプルな安心感をもたらします。

     しかしこの小説はそうではなく、謎が解かれてもそれは先述したように、単なる全体の描写にしかすぎません。黒幕はそのままで、起きている事柄もそのままです。だから、今言ったような安心感はありません。むしろ、混沌は混沌のままだとも言えます。不安なのです。

     そして実は、学園ものや青春小説というのは、死と不安がよく似合うんですね。どんなに楽しい時も、卒業と同時に必ず終わります。また現実的に考えれば、学生たちはしょせん保護者の経済的庇護のもとにあるわけです。その意味で、物語の土台は常に脆弱で、それは不安や死のイメージとよく合います。

     おそらく『彼女のための幽霊』の作者もそれは感じていて、全体を全体としてそのまま描写することに満足はしていないように見えます。地の文の饒舌さと会話文のリズム感はこの小説の特徴と言ってもいいと思いますが、それはとても緻密に造られており、まるで作者は一切の隙間を排除しているかのようです。不安定さが入り込むのを執拗に拒否しているように見えるのです。

     また、文体だけではありません。現実的な生々しい不安を拒否しようとする態度は、ストーリー上でも随所に見え隠れしています。

     いや、単純な拒否というよりも、それは救いを求めていると言い表わしたほうが正しいかも知れません。精神的な意味での不安定さを抱えた語り手・杏のことを、相方のポチはゆるやかに受け入れています。しかもそのポチについては、生い立ちや家族の状況に関する描写がほとんどありませんし、十代の男子なら当然あってもいい、性的ないやらしさも全く感じられません。彼は少なくともこの作品の中では、透明で清廉な存在として描かれているようです。このような、生々しい生活感から断ち切られた少年に杏が受け入れてもらえるということは、混沌に対して秩序を与えるということの、ひとつの形なのだと思います。

     僕は先に、この作品においては個別の物語がいったん全体に呑み込まれ、さらにまた解き放たれることで、物語は完成すると書きました。それは、個別の物語が抱える不安を、不安のままで肯定してしまうということでもあります。ところが主人公・杏の不安については、最終的にはポチが受け入れてくれる、という安全装置がちゃんと組み込まれているように見えます。

     以上が『彼女のための幽霊』という作品の構造とその魅力です。

     しかしここに至って僕は、「だがしかし」と付け加えなければなりません。

     僕は先に、ポチというキャラクターは生々しい生活感から断ち切られていると書きました。でも実は、このポチにも生々しい背景がないわけではありません。彼と杏の関係の背後にも、実はひとつの陰謀が隠されています。それがなんなのかはまあ読んでみれば分かりますが、どうやら杏というキャラクターは、ポチに守られていると同時に、運命的な陰謀との戦いを決定づけられてもいるようです。

     その点からは、不安を幻想だけでもって打ち消すことに満足しない作者の態度が見出せる気もします。あるいは、それは単に続編への含みなのかも知れません。

     全体と個別の物語の、終わらない入れ子構造。重層する陰謀。不安と幻想のせめぎ合い。こうした点を見るにつけ、やはりこの小説は一個のケーキだと僕は思うのです。表向きはこれでもかとばかりにデコレーションされていますが、ひとたびナイフを入れれば、ビターとスイートが幾重にも積み重なっている。これは実に贅沢な味わいです。

     もしも、本文をここまで読まれた方で、『彼女のための幽霊』は未読だという方がおられましたら是非一度目を通してみて下さい。面白いです。僕などにとっては、この作品はひとつの理想の形ですらあるのですよ。

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