「今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる」。金色夜叉を読んだことのない人でも一度は耳にしたことがある台詞だろう。
これは金色夜叉の一節である。金色夜叉は、尾崎紅葉の手による明治時代の代表的な小説であり、読売新聞に1897年(明治30年)から 1902年(明治35年)まで連載された。初めに断っておくが、この作品は完結前に作者が没し、未完である。
金色夜叉のモチーフはその題名の通り金色の夜叉である。夜叉は印度の残虐な鬼神であるが、金銭の欲に染まり鬼神の如くになった主人公を描いた作品となっている。
主人公間貫一は、幼くして両親を亡くしたが、十五歳の時に鴫沢隆三という父の恩人に引き取られ、高等中学校(当時は医学部もある高等教育機関であった:新聞記事参照)に通う学生に成長していた。なお、明治28年の中等教育機関への進学率は男性で1.1%であり(1962「日本の成長と教育」文部科学省報告)、極めて少数のエリートであったことがわかる。
貫一は鴫沢家に下宿し、その娘である宮とは相思相愛の仲であった。だれもが貫一が鴫宮家に入り後を継ぐものと考えていたが、隆三は定年を間近に控えており、学費の援助を受け続けることに躊躇する貫一は学校を去ることを考えていた。その頃、宮の友人の家で正月のかるた会が開かれ、宮も招かれた。そこに同席した銀行家の御曹司富山は不遜な態度で参加者の顰蹙を買っていたが、その指に光る50万円の指輪に羨望のまなざしを送らざるを得なかった。なお、明治30年の公務員給与は50円程度であり、当時の新聞記事によれば下級官吏であれば10円ということもあったようである。現在の公務員平均給与が40万円弱とすると、1/8000程度となり、単純な計算は適切ではないかもしれないが、50万円の指輪は現在の4億円程度とみなすこともできる。
その後間もなくして、富山から宮に対する求婚が行われる。宮の心は富山に移って行き、悩んだ末に、貫一の学業を続けさせることを条件に、富山のところに嫁ぐことを決心するのだった。
貫一は、宮が金に目が眩み自分を捨てて富山に走ったと思い、宮を許すことができずにいた。鴫沢夫妻は貫一にヨーロッパへの留学を勧め、鴫宮家を養子として継いでほしいと提案する。しかし、貫一は宮への未練を断ち切れず、宮のいる熱海へと向かい、翻意を迫るのだった。しかし、宮は決心を変えず、貫一は宮を足蹴にしつつ、冒頭のセリフを吐くのである。
貫一はその後高利貸となる。作中には「高等中学にも居た人が何だつて高利貸(アイス)などに成つたのでございませう」という台詞もあるのだが、当時の新聞では高利貸を「鬼畜」「夜叉悪魔」「人面獣心」と語っており、高利貸が如何に下賤な職業とみなされていたかがわかる。エリートである高等中学校の学生が高利貸に身を落とすということがどのようなものだったのであろうか。そして、財産に惹かれ富山と結婚した宮はその後も貫一への思いを捨てきれず、金色夜叉になり果てた貫一は宮を受け入れることができない。
江戸から明治に時が移り30年、拝金主義が幅を利かせる世の中で、物欲と恋愛のはざまで苦しむ人々を赤裸々に描いた小説である。明治はあまりにも現代であった。