ブクログ まとめ
  • まとめを作成

チバユウスケとミッシェル・ガン・エレファントの世界

chobihamuyanさんのまとめ

chobihamuyanさんのまとめ

ジャンル : 音楽 / 邦楽

作成日 : 2012年11月14日

更新日 : 2014年7月13日

  • 1年前よりハマり出した今は亡きミッシェル・ガン・エレファント。その歌詞を紡ぐのは我らがチバユウスケ氏。彼の味わい深い詩と楽曲をご紹介したいと思います。

    ドアラクラスの低姿勢かつ低カロリーでぼちぼちやる予定だったのですが、凄い数の方々にご覧いただいて恐縮です。

    ちょっとずつ直したり、ちょっとずつ新規upして行く予定です。更新は風のごとく気まぐれですが、よろしくお願いいたします。

  • ギヤ・ブルーズ

    Thee michelle gun elephant 音楽 1998年11月24日 Amazon.co.jpで見る Amazon.co.jp
    chobihamuyanさんのまとめ

    爆発的な勢いと、絶対的な信頼性。
    ミッシェル・ガン・エレファントが巷の情けない男子から、男の中の男を歌うようになった、意欲作。
    それを表しているのは1曲目の「ウエスト・キャバレー・ドライブ」。
    前奏の、地べたの真ん中で溶け出した湿った空気感を漂わせていたベース音にかぶさるように入ってくるテレキャスは、空に向かって舞い上がる燃え上がったブルーズ。
    この頃のチバユウスケ自身にはあまり色気は無く、ロックだけを愛する14歳の少年のような雰囲気が、30歳と言う実年齢を超越していて、それが何とも言えない色気につながっています。
    ロックンロールを再びブチ込むことの出来る朝焼けのまぶしさを、素直に感じられる少年性と、「ヌーベル・ミッシェル」と言わんばかりの「男の中のオトコ」大人性が交互に混じり合って、それが、ミッシェル・ガン・エレファント独自の色気につながってくるのだと思います。
    分水嶺と言ってしまうとあまりにもベタな表現でしょうが、アルバムを境にミッシェルは、鋭くキレがある、体が割れて、勝手にがなって、終始だれるなんてあり得ないような、「感じる」ことこそ全てと言わんばかりの世界へと我々を連れてってくれることとなる。そして、私たちは未だこのCDからも、そして、飛び立った鳥たちの各々の活動の場から、感じ取って行くのである。

    『ギヤ・ブルーズ』より引用

    • 引用ここから ・泥沼に生えてる俺の脚 乾いた砂にはならないんだろう。
      ・メキシコあたりにぶっ飛んでった カナリヤ台風去った夜
      地べたの真ん中溶け出して
      ・半分ムラサキ沈んだ 夜明けの色だけ覚えてる 覚えてる 引用ここまで
  • SABRINA HEAVEN

    THEE MICHELLE GUN ELEPHANT 音楽 2003年3月5日 Amazon.co.jpで見る Amazon.co.jp
    chobihamuyanさんのまとめ

    アベフトシとの音楽性のかけはなれと、世間の、アベに対する評価の中で揺れるチバユウスケの、彼との不安定になりつつある関係を男女のそれに例えたとしか思えない詩と、「ロデオ・タンデム・ビート・スペクター」以降、ROSSOや様々なバンドとのコラボを経た音楽の充実をそのままパッケージした作品。
    初期のパブロック調に様々なジャンルの種類の音楽をのせているような複雑な音は、それによりアベの持ち味が見えづらいとされているが、アベののびのびとしたギターはまたミッシェルがやれるという喜びに満ちているように思える。
    さらに遠藤ミチロウのもとでドラムを叩いたクハラカズユキはより知的なタイコを叩くようになり、RADIO CAROLINEで自身のバンドを立ち上げたウエノコウジは、持ち味であるセクシーさからより瑞々しい感性でベースラインをブチこんでいる。

    外部との接触とした3人にからは、サブリナの俗な部分とマリオンの聖なる部分をより鋭敏に感じているのだろうか、ミッシェル・ガン・エレファントそのものが一枚岩ではなくなりつつあるのは否めない。
    しかしながら、唯一外部との接触を拒んだアベフトシのギターに対する普遍的な思いは「ミッシェル・ガン・エレファント」の命を守ろうとする鬼神の如くで、そこがオーディエンスの精神安定になったのだと思う。

    『SABRINA HEAVEN』より引用

    • 引用ここから 首都高からレインボーヘ 天国から金星ヘ リヤシートからミルキー・ミルキー・ウェイ
      衛生からマーキーヘ ヴィーナスから4速へ リヤシートからミルキー・ミルキー・ウェイ

      ブラック・ラブ・ホール  引用ここまで
  • chobihamuyanさんのまとめ

    【番外編】まずはウエノコウジの最初のどアップをご覧ください。私は「なにこれ!」と赤面し、照れ隠しなのか彼の顔の「毛穴」を数え始めました。
    あるコンセプトから仕立て上げられたDVD(というか、LIVE映画)なので、音はしょーじき整備されているだろうし、ちょっとした仕掛けもあって、完全なLIVE映像になっていないのは仕方ない。
    しかし、そのコンセプト上の主人公であるアベフトシの表情が終始人間的でとてもチャーミングであります。「鬼」という二つ名を持ち近寄りがたいミステリアスなギター浪人風なイメージがありますが、それだけに大分歪んだ表情ははっとするほど「好漢」を感じ、
    最後に菩薩のような笑みで何もかも飲み込んだ表情で「ありがとう」と絞り出すような声が印象的です。そして、直後のファンたちを捨てて行くことをためらう表情は、もう絶品です。
    ・・・しかしながら、我々は試練を与えられました。
    仏教では人は死ぬと天国は無いのです。彼は残念ながらキリシタンでは無かったのです。
    この世に未練があると、この世の「何か」に生まれ変わらねばならない「苦痛」が与えられます。
    この時点で菩薩道を選択しているようなアベは、きっとまた「アベフトシ」として生まれ変わる迄、生死を繰り返すのかもしれないと思ってます。そしてまた「ミッシェル・ガン・エレファント」のギタリストとして我々の前に立つ迄。
    どれだけかかるかはわかりませんが、そうであるなら私も生まれ変わることを望みたい、そのためなら「解脱」なんていらねえよ、と思う、そんなDVDでした。

    『ミッシェル・ガン・エレファント“THEE MOVIE” -LAST HEAVEN 031011- [DVD]』より引用

    • 引用ここから 天国はくだらないから ぶっ飛んでいたいのさ 引用ここまで
    • 引用ここから 世界の終わりは そこで待ってると
      思い出したように 君は笑い出す
      赤みのかかった 月が昇るとき
      それで最後だと 僕は聞かされる 引用ここまで
  • BIRD

    ROSSO 音楽 2002年4月23日 Amazon.co.jpで見る Amazon.co.jp
    chobihamuyanさんのまとめ

    ミッシェルをお休みして、チバが渡り鳥のごとく課外活動を始めた頃の代表作。それだけに「ミッシェル・ガン・エレファント」における己の存在意義に悩むチバがとこどころから読める。解散後にミッシェルという呪縛から逃れたチバ像と比較して、こちらは切ない。
    この感覚は、「SABRINA HEAVEN」における「ブラック・ラブ・ホール」までひきずられる。
    だが、「SABRINA HEAVEN」では、やる気は十分みなぎっているのに、まだ「BIRD」では膝を抱えて震えているチバがかいま見れて、いかんともしがたい気分になる。

    『BIRD』より引用

    • 引用ここから 裏切りの果てに燃え上がる 愛の形はどんなだろう

      渡り鳥のあんたには わからないことかもしれないけど
      卵を産むあたしには ここでカリプソ踊るしかないの

      真冬に咲くハイビスカスは あの娘によく似てる
      枯れてゆく気がしないから カリプソ踊るしかないの
      (カリプソ・ベイビー) 引用ここまで
    • 引用ここから WATER BABY SAID
      「火のついたポリエステルの気持ちをわかりたいと思わない?」
      結局着いたのは 湖だった
      「モンキー・ラブ・シック」での火のついたポリエステルは、ミッシェルの他のメンバー。皆火の星座だから、蟹座のチバには「消されてしまう」。でも、触れたいんだよね。
      それでも、結局たどり着いたのは同類の湖でしかなかったのは哀しい。 引用ここまで
  • SABRINA NO HEAVEN

    THEE MICHELLE GUN ELEPHANT 音楽 2003年6月21日 Amazon.co.jpで見る Amazon.co.jp
    chobihamuyanさんのまとめ

    「一日単位」で見た場合、恐らくミッシェル史上一番よく売れたCDだろう。
    ネットで「Mステ 伝説の夜」で検索していただき、適当な動画サイトでも
    見ていただければ、よくわかります。私もこれにホレました。

    先発の「SABRINA HEAVEN」とはあまり共通項は見えない。
    だが、チバにとってのミッシェルのメジャー期間の集大成としては
    余りにも哀しく、それだけに胸を打つ6曲であることには間違いは無い。

    かつてのチバユウスケの世界は「その日のロックな状態」でしかなかった。
    明日はもっとROCKになる!それを信じて作ったのが「世界の終わり」だと思う。
    だが、ここでのチバは例えば「水色の水」のリリカに自分の心境を重ねつつ、
    「最果て」=「音の無い世界」→「空気が無い世界」から「宇宙」と「死」
    を感じる。一体どちらに向かっているのだろう。

    「宇宙を手に入れろ」や月を背にしながら死神ドライブしたり、天体と絡み合った詩が多い。
    ところが、イルミネーションがゴミだったり、暴動風景(=ライブの隠喩?)
    に対する他者の視線をまるっと受け入れる地上の風景も多い。

    異色作の「PINK」。まったく、これは何て読むんだい、チバ?
    赤みのかかった月に向かって歌おうとしている彼らからは、果てが見えない。
    地上から月に向かうその視線は、「SABRINA HEAVEN」にあった
    バンド内不和は全く感じさせず、まだ、上り詰めようとしている、
    ミッシェルが感じられる。ここは本当に天国ではないのだろうか?

    だというのに、「広島ツインタワー」は
    どこへいってしまったのだろうか?

    彼らは現実問題としてチバの隣に立つことは無いだろう。
    「PINK」はそのことを予感させる「青年期の終わり」だ。
    ティーンエイジャーの気持ちのままミッシェルを続けていれば
    見ることの無かった世界。
    夜が終わるのは、4人の迷いからの解放。
    「NO HEAVEN」は「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」にとっての
    当時の「現実」を意味していたのかもしれない。

    それでも「世界の終わり」はいまだ「NO HEAVEN」では続いているし、
    おそらく「HEAVEN」より「NO HEAVEN」を選んだかの人も、
    誰かになって、また凄いギターをかましてくれるのかもしれない。
    私はその日を待ちこがれている

    『SABRINA NO HEAVEN』より引用

    • 引用ここから 大したことじゃないし どこにでもあるんだけど

      「チェルシー」
      印象はメキシコではなく、台湾で起きた(映画化もされ、ヴェネチアで金獅子賞もとってます)ある事件を思い浮かべました。
      塗りつぶされた地球、タバコ売り、絶望的な男女、なす術も無くぼんやりと眺める子供たち・・・。
      映画でもデッドエンドまで主人公とその周りを追いつめる世界観が印象的です。
      その「世界の終わり」は実は「終わりなき日常」なのである。大したことであるはずなのに、今現在もどこかで行われている。決して過去の話ではないのです。 引用ここまで
    • 引用ここから 水色の水はどこ? 水色の水はどこ?
      最果ては音のない世界 世界 世界 世界

      「水色の水」
      「愛という憎悪」レベルで「そんなもん、探すなよ!」と冷ややかな目で引き止めたい。ユウスケくん、初めて気があったな(笑)。でも、音の無い世界に行って、どうするんだろ、リリカとルチーノは。 引用ここまで
    • 引用ここから グリーン・アイズ野良猫にキスをしたよ 倒れるくらい やわらかに

      「PINK」
      すいません、私トロいので、わかりやすい色気に弱いです。
      なので、広島出身のお二方へのやられっぷりははなはだ、マンガ的です。でも、チバの場合、人間ではなく、動物や無機物、何より音楽に色気めいた視線をすると、女の子に対するお色気より、・・・キます! 引用ここまで
  • chobihamuyanさんのまとめ

    ギターに元MY LITTLE LOVERであり、THE GROOVERSの藤井一彦の弟のフジイケンジが加入して初めてのCD。爆発的なヒット曲を書いたにも関わらず、一枚岩とは言いがたいバンド活動を行った彼が暫定的な答えを出した場所が、結局原点だった。
    チバも彼の知的な部分を生かしたソングライティングになっている。それだけに「俺はロックンロールの犬にしかなれない」んだよ、というメッセージが重くのしかかる。

    フジケンの元気で屈託ないギターに乗っかった、チバの「振り返り」が目立っていたように思えた。(「SとR」や「SATURDAY NIGHT・・・」など)その世界はチバが「ミッシェル」、すなわち「夏の空に消えた」「冬の星に生まれた」人への鎮魂歌のようで切なかった。フジイ自身も彼の方とはまったく知らない間柄では無いようで、まず意識したのはやむをえないどころ。

    それでも、アベのサムライのようなギターでも、イマイの洒脱で色っぽいギターでもない、知的でキラキラした目で世界を見ている屈託の無いギターは明らかに、ミッシェルにもROSSOにもない、素直で心の柔らかさを感じる。明るい雰囲気と日本の花鳥風月や自然に心を動かされる中年男性のギターは、多くの人々に聞きやすく出来ている。ポップな初期のミッシェルサウンドに、ストレートな愛と言う、20年前には考えられないチバワールドが、いやはや・・・進化するユウスケくんを受け入れるか否かは、聞かなきゃ、でしょ?

    あと、ライブ見た後なので敢えて・・・「ヒライ、そんなにウエノを意識しなくていいんだよ。あんたのがんばりやさんな音、好きだなあ・・・。」

    『I'M JUST A DOG (初回限定盤)(DVD付)』より引用

    • 引用ここから 星はひとつだけ 見えていたから 見えていたから 見えているからそれしか生きた心地 なんて 味わうことができないって思ってる俺はクレイジーかい?

      ・・・マイラバの頃、ダウンタウンに「CRAZY LOVE(という楽曲を引っさげて来たこと)してます?」という質問に肯定の回答をしたとき、頭の中ではわかりつつもな気分になったが、・・・ロックにCRAZY LOVEしてるとも解釈出来るな、と無理矢理精神安定を図る。 引用ここまで
  • DIRTY KARAT(初回)(DVD付)

    ROSSO 音楽 2004年12月8日 Amazon.co.jpで見る Amazon.co.jp
    chobihamuyanさんのまとめ

    ミッシェル解散後のROSSOとしてのチバユウスケの宣言とも言うべきアルバム。

    ミッシェル期にあった、常に迷うチバはここにはいない。
    マリオンに問いかけ続けたチバは、かつての「ブルーバードランド」であった、しかしいつの間にか迷ってしまった「ミッシェル破壊=過去の俺との決別」を選ぶ。
    そうする事で現実と自分に折り合いを付けた気がしますね。

    初期チバ否定するこの歌を古参のファンはどう受け止めたかは私にはなかなかわからないが、オレたちに説教する身分になっちまったの?という困惑ときりきり舞いを味わった事と思う。

    だが、チバの自己の内面を語っていることには変わらないと思う。それはただ、ロックンロールへの強い思い。

    ロックンロールこそ、生きている証明。その事に気づかない奴らはほおっとけばいい。
    それでも生きて行けるかもしれないけど、それでは生きてるっていうより息をしているだけに思う。
    そう言う連中と俺のどっちが君の人生に於けるアウトサイダーかは、君が決めればいい。
    と、チバは訴えてると思うんですねえ。

    『DIRTY KARAT(初回)(DVD付)』より引用

    • 引用ここから それだけで生きてけんのは ちっとも不思議じゃねぇよ 引用ここまで
  • Girl Friend

    THEE MICHELLE GUN ELEPHANT 音楽 2003年6月20日 Amazon.co.jpで見る Amazon.co.jp
    chobihamuyanさんのまとめ

    ロックンロールが成熟する世界と言うのは、おそらく「言論の自由」が成熟する世界だと思っている。「哀しみ」を「哀しみ」として捉えていい世界だと思っている。
    例えば戦場に子供を送り出す親は、きっと外では子供を励ますが、心のうちは誰にも話せない。そういう世界がほんのちょっと前にも日本で存在していたのだ。

    ロックンロールが存在することこそこの世の希望のはずなのに、
    と思ってしまうのである。

    人を愛することは究極的には理由は無い行為だと思う。
    そして、チバは希望の無い世界でも「子供たちは守りたい」と叫ぶ。
    あの娘(=R&R)とぶっ飛ぶ(=逃避する)のではなく、
    ロックンロールを戦いの場として。
    チバはこの子供たちを「愚かな者」すなわち我々のことを指しているのだと思う。

    しかしながら、彼らを守ることすら矛盾に満ちているとチバは説く。

    この子たちの生命を脅かす全ての者からまもりたい。
    そのためには、武器を振りかざすこともいとわないし、そのくらい愛していると。
    しかし、
    自分の愛する子供たちを守るために違う子供の生命を奪うことはナンセンスだし、
    理屈に合わない。
    だが、その理屈に合わない行為こそ「愛」なのだろう、と。

    あの娘(=R&R)と愛することは、誰も傷つけない世界。
    守りたい子供たちは恐らく、ミッシェルがあの娘とぶっ飛んでいる世界を
    希望だと思っている。

    チバは自問自答する「俺はどうすればいいの?答えなんか出せないよ」

    チバの叫びに答えるのは、我々、「トモダチ」しかいないのです。
    さあ、あなたは何をミッシェルに伝えますか?

    『Girl Friend』より引用

    • 引用ここから 哀しみでこの世界は 作られているから
      そこに理由はないんだろう
      殴りたいから 殴るんだろう
      殺したいから 殺すんだろう

      この子たちは 守りたい

      I LOVE YOU 引用ここまで
  • 今日(2012/12/16)は故アベフトシ氏のお誕生日で、選挙もありました。

    今以上に希望のある日本は望めないし、それでも自分自身の経験値から
    未来をいっしょに考えたい人を選んできました。
    それは子供たちを守ることにつながるかはわかりません。
    それでも、R&Rを守るためにチバが血を吐く思いで戦うし、
    私たちもチバが安心して歌える世界を作っていかねばならない。
    そのための「Buddy」であるべき人たち。

    チバが危惧するのは、チバと一緒に今後の世界を考えることを
    拒否した人たち、諦めを感じている人たち、考えることすら放棄している人たちだと思う。

    変わらないために変わる。
    そんなの、あたりまえじゃん?
    とチバは「Buddy」で歌っている。
    チバは恐らく答えを出し始めているように思えます。

    私は、チバと考えたい。クハラと、フジケン、ヒライ、イマイ、その他諸々のチバが愛している人と。もちろんウエノとも。

    守りたいロックンロールを残して去って行った、アベのために。

  • chobihamuyanさんのまとめ

    「頭のてっぺんから爪先までミッシェル・ガン・エレファント!」佐藤タイジ氏がウエノコウジという人物をそう表した。恐らくそう言うことなんだろうと思った。それは、チバやクハラ、そしてなによりアベがそうだったんだろうな、と。「危うさ、ひたむきさ、汗くささ、せつなさ、鋭さ、弱さと強さ」それをすべて内包しているのが、チバの詩だと思う。
    チバの詩は結局のところ「誰かとの」リレーションから生まれていると思う。本人曰く「世界をシカトしているわけじゃない」らしいし。そうして、触発しているから、まだ、「続く」んだと思う。

    『WITH THEE MICHELLE GUN ELEPHANT』より引用

    • 引用ここから 彼らの音楽が刺激的なのは、彼らの描く世界が一面的ではないからだ。重層的で多面的で両義的。だから色んな解釈が可能になる。聴き手が「創造」に参加する余地が生まれてくる。 引用ここまで ー 134ページ
    • 引用ここから 常にラヴソングですよ。俺はなんでもラヴソングだと思う、基本的には 引用ここまで ー 376ページ
    • 引用ここから ミッシェル・ガン・エレファントの楽曲は映像を喚起させるものが多い。 引用ここまで ー 325ページ
    • 引用ここから 彼らの音楽がこんなにも多くの人々に愛されたのは、強靭なロックンロールであると同時に、純粋なラヴソングだからではないだろうか。 引用ここまで ー 485ページ
    • 引用ここから 再結成するという可能性は0パーセントではないだろう。絶対ないとは断言できない。だってこの世には「絶対」
      なんて無いから。 引用ここまで ー 489ページ
  • スモーキン・ビリー

    Thee michelle gun elephant 音楽 1998年11月4日 Amazon.co.jpで見る Amazon.co.jp
    chobihamuyanさんのまとめ

    ミッシェル・ガン・エレファントが支持されているのは、楽曲やステージパフォーマンス
    だけではなく、メンバー一人一人が個性的かつ魅力的なところであると思う。
    その魅力は、非常に人間的だからだと思う。有機的なのだ。
    私にしてみれば、この4人は人間の感情の根源の喜怒哀楽をという
    要素を抱えているように思う。

    ウエノコウジは、この人に愛されたらさぞかし世界が輝くだろう、という喜び。
    アベフトシは、怒りの中にある慈悲でロックの世界を創造し、
    我々を引き込む。
    クハラカズユキは、世界が厳しくも優しいと言うことを知らしめる楽しさを感じさせる。
    ・・・チバユウスケには、どうしようもない哀しみを感じる。
    世界と交われない哀しみ。触れていけないなにか。
    一見失笑モノの詩(と本人の行い←未だに大人げない)には、いつも哀しみが
    ついてまわっている。

    誰にも触れさせない、理解させない「愛という憎悪」。
    チバ自身理解出来もしない「愛という憎悪」
    これって、何?ともがくチバが哀しいし、
    我々にはその答えを持ち合わせる英知はない。

    だって、チバは知ってるんだから。
    「愛という憎悪」などこの世にはないということを。
    だから吐き出せない、誰にも言えない、
    ただ、目の裏側でわさわさうごめいていることすら「空想の産物」。
    それは何なのか、チバにもわからない「何か」
    吐き出せない何か。

    その哀しみを、未だにチバは探しているように思う。
    しかし、ないものは探せないようにも思う。

    ミッシェルには、愛という憎悪は無い。
    私に感じるのは、ただの畏れだけだ。

    『スモーキン・ビリー』より引用

    • 引用ここから 愛という憎悪! 引用ここまで
  • chobihamuyanさんのまとめ

    【番外編】「ベイビー・スターダスト」のPVでおねえさまを軽くあしらう広島ツインタワーを見たときに、広島の教育委員会は「平和教育とオトコのオンナの駆け引き」を教えているのか、と言うくらいこの世の王様っぷりは失笑ものwww。
    ウエノはともかくとして、アベって「ロックンロールバンドとギター」追求する「宮本武蔵」のイメージがあったんで(さらにかなりの人情家)、上記PVにはびっくり。

    それにしてもこの写真は、美しい。
    我が家の家の一角には通称「鬼神社」があったりします♡

  • ジャージの二人 [DVD]

    中村義洋 映画 2009年3月6日 Amazon.co.jpで見る Amazon.co.jp
    chobihamuyanさんのまとめ

    【番外編】はあ?なんで?という声が聞こえそうですが、奥さん、私は恐らくこの映画を見なければミッシェル、恐らくアベフトシに出会えませんでした。

    私10年以上前に堺雅人氏を初めて見たとき何とも言えない「嫌悪感」を抱きました。
    もう生理的ななんちゃら。でも、三谷幸喜さんのお気に入りだから、という理由で
    渋々リハビリを始めました。その効果は何とか出て、その最終治療段階で見に行ったのが
    この映画でした。そこで鮎川誠さん(とハスキー犬)に惚れ込んでしまうのです。

    映画パンフレットでシーナさんに「あんたは誠っちゃんに似てる」と言われた堺氏はかなり嬉しくなったそうです。そりゃそうだな。
    そして、そうこうしてる間に、旅先でシロクマの赤ちゃんの写真をとってる最中に、ミッシェルが何故か降臨することになるのは、2011年のこと。
    この映画が上演されていた時は、まだアベは生きてました。DVD化された時も生きてました。
    ・・・自分何してたんだろうと、未だに悔やむ一方です。
    しかし、今堺氏のふっとした仕草や白熱した演技のなかで、私は誰かをたまに感じるのです。それは、鬼神のごとくステージからギターを鳴らすアベフトシを。
    「このふたり、似てる・・・!」

    アベと堺まーくんの二人並んだジャージ姿が見たかった・・・。

    ちなみに我が本棚には「鬼神社」棚というのがあり、上記アベの追悼本と一緒に、
    この映画パンフレットがおさめられています。

    『ジャージの二人 [DVD]』より引用

    • 引用ここから http://www.blue-jug.com/rock/report/2008/011b.html
      アベが愛した九州男児は、マジにすげー、と思わせる舞台挨拶です。それだけに、追悼本でのコメントは・・・泣けます! 引用ここまで
  • chobihamuyanさんのまとめ

    著者は晩年のアベフトシと仕事をしたことがあり,彼についての記述がある。

    その少ない記述の中で、私は考えた。
    アベはご自分のギターが一番映える場所を求めた人間で、その最たる場所は
    ミッシェルであったと言うことだ。

    おそらく「我慢」さえすればいくらでもギターで食える人だったとは思う。
    でも、我慢したら最高のギターをブチ込むことは出来ない人の様に思えた。

    不器用で片付けるのは簡単だが、
    人間、誰だって自分の思うがママに生きていたいものだ。
    でも、出来ないからこそ、ただ、待つことに終始したのだと思う。

    ミッシェル・ガン・エレファントを待ってたのだと思う。
    それを一筋の希望として広島に帰り、アルバイトをしていたのだと思う。
    私はその生き方を負け犬とは思わないし、何が本分か否かは知らないけど、
    ギターとバンドとロックンロールを偽りたくない生き方なら、
    私はそれを尊重すべきだし、むしろ「スゲぇヤツ!」と思うのである。

    己の人間としての尊厳すら日々の米代のために埋没させる生き方より、私は潔いと思う。
    そういうギターなら聞きたくなかったと思う。

    鮎川さんとセッションした時のギターを聞く機会が当たったが、
    お代が恐らく飲み代くらいだろう、それだけに、楽しそうに弾いていた。
    隠居状態なのとギターを裏切らない生き方は別物なのだ。
    そして、彼はそちらを明らかに選択しているのだ。

    彼はギターでお金をもらっていなくてもロックンローラーなのであり、
    ギタリストであり、
    バンドマンの精神を保有した人なのだ。

    迷いなし。
    いい!

    彼は本気でチバとやりたかったんだ。
    この本を読んでそう思いました。

  • 水曜どうでしょう 放送事典 1996.oct・1998.apr

    北海道テレビ放送株式会社 2009年 Amazon.co.jpで見る Amazon.co.jp
  • 銀色の雨 [DVD]

    鈴井貴之 映画 2010年5月28日 Amazon.co.jpで見る Amazon.co.jp
    chobihamuyanさんのまとめ

    「Wonderful Amazing World」使用。ミスターさんはJake stone garageという、ミッシェル風味のバンドを所有しているのだが、なぜ彼らを使用しなかったんでしょうねえー?その方が音楽面ではお金がかからなかったと思うんだけど。

  • Last Heaven's Bootleg

    THEE MICHELLE GUN ELEPHANT 音楽 2003年12月3日 Amazon.co.jpで見る Amazon.co.jp
    chobihamuyanさんのまとめ

    もし無人島に連れて行くならどのCD?と聞かれたら、迷わずこれ。
    ミッシェルはライブバンドなんだ、と言うことを感じさせる一品です。
    しかも、曲がオリジナルアルバムよりまんべんなく拾われていて、
    ミッシェルの曲はものすごく愛されているんだな、と言うことがわかります。

  • chobihamuyanさんのまとめ

    ライブの臨場感そのものを味わいたいなら、断然こっち。無人島に連れて行くとなると、曲が「カサノバ・スネイク」以前のみになるので、偏ってしまうのでこちら。(筆者があまり「カサノバ・・・・」に惚れ「込んで」いないという部分もある)。いきなりチバが歌詞を間違えてしまうなど、ライブらしい部分が多々あり、興味深い。
    しかし、それを言ったら幕張の「世界の終わり〜チバ退場後のアウトロ」までのギターこそ、日本のロック史上最強の「ライブ」感なのかな、ともおもうところもありますがね。

    『CASANOVA SAID”LIVE OR DIE”―ミッシェル・ガン・エレファント ライヴ・イン・トーキョー』より引用

    • 引用ここから 白い肌をしているあの娘の声はまるで          手首を切ったことを自慢げに話す
        〜ベイビー・スターダスト??? 引用ここまで

あなたの「チバユウスケとミッシェル・ガン・エレファントの世界」 まとめをつくろう!

ツイートする