「自分は立派な行ないをして、良い所(天国)に行けるようにするつもりだ、なんて言いやがるんだ。だが、このばばあが行く所に行ったって、なんのいいこともねぇと思ったから、おいらは心をきめて、そんなことは絶対しねぇことにした。だが、そんなことは、これっぽちも口には出さなかった。なぜって、そんなことをしたら、ゴタゴタがおこるだけで、なんの役にも立たねぇからさ」
「アメリカの現代文学はすべてマーク・トウェインの『ハックルベリー・フィン』という一冊の本から出発している。……それ以前には何もなかった。それ以後にもこれに匹敵するものは何もない」とヘミングウェイに言わせ、「アメリカ人の原型」とも言われるという、ハックについての本。
ハック以前、以後の米文学のハック的人物像― 一言で言って悪あがきの系譜のような―や、山師出身ともいえそうなマーク・トウェインが「アメリカはどうあるべきか」という大問題を自身の作品に反映するのにいろいろ苦労したことなどについても書かれてある。
基本自然児でありワイルドを志向しながらも文明との接点を持たざるをえないハックが、文明と自然にひきさかれ、ヨーロッパへの反発と束縛にひきさかれ、「宙ぶらりんの精神状態」もしくは「黒い不安」a dark suspenseという精神を抱えるアメリカ人を代表していると著者は分析する。荒地にありそうな漠然とした自由を求めて生きるハックは、奴隷のジムの救出劇で、精神の自由を自分のものにする、All right, then, I’ll go to hell.という決断をするにもかかわらず、物語的にジムの自由をもたらしたのは法律の書類であったという結末のアイロニー。そしてハックのさらなる脱走は続く。
「だが、おいらは、どうしてもインディアン居留地に向かって、みんなより先に、飛び出さなけりゃならねぇって思っている。なぜって、サリー叔母さんはおいらを養子にして狂育(教育)しようとしているし、おいらには、それが我慢できねぇからだ。おいらは、もう前にも、そんな目にあっているんだからな。
これでおしまい。
本当にみなさんのものである、ハック・フィン」
- 感想投稿日 : 2009年6月3日
- 本棚登録日 : 2009年6月3日
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