五・七・五句宴四十年

著者 :
制作 : 東京やなぎ句会 
  • 岩波書店 (2009年7月17日発売)
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感想 : 2
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いま何がほしいかっていうと、芥川龍之介賞でもないし、いわんや直木三十五賞でもなく、はたまたH氏賞でもなく、あるいはこのミス大賞でもなく、さてはBunkamuraドゥマゴ文学賞でもなく、ひそかに鶴屋南北戯曲賞でもなく、ましてやS‐1グランドチャンピオンでもなく、他でもない東京やなぎ句会に参加できる資格が、ただただほしい今日この頃なのです。

その、我があこがれの東京やなぎ句会とは、これはもう私ごときが改めてご説明するのもおこがましい、あまりにも超有名ではございますが、1969年にスタートしたド素人衆の俳句の会なのですが、そのメンバーというと、そうそうたる人物ばかりで・・・・・入船亭扇橋【光石】、永六輔【六丁目】、大西信行【獏十】、小沢昭一【変哲】、桂米朝【八十八】、加藤武【阿吽】、柳家小三治【土茶】、矢野誠一【徳三郎】、それに元メンバーで物故者はというと、江国滋【滋酔郎】、神吉拓郎【拓郎】、永井啓夫【余沙】、三田純一【道頓】という、落語家に小説家に劇作家に俳優に演芸評論家にエッセイストなど、かつては12人いまは8人ですが、皆それぞれ一家言も一癖もある人たちばかりが、よくもまあ40年も続いたものだという、まことにお目出度いお話でございます。

いっとき俳句熱にうなされた私は、そう、あれは中学生の頃でした、同好の女三人かしましく、大和路の旅と題して奈良の寺々を訪ねて吟行した経験がありますが、中のひとりが俳句結社を主宰する祖母を持つというのでやけに詳しく優れた技巧の持ち主で、とても歯がたたなくて太刀打ちできるものではありませんでしたが、彼女からこの東京やなぎ句会の存在を聞いたのが最初でしたが、みんなでワイワイ言って対抗して名づけて設立したのが、京都うなぎ句会、というもので高2までの4年間のあいだ不定期で合計12回続きました。

何故おじさんたちの句会に対抗したのか、とか、もどきの命名をしただけなのに、メンバーのひとりの祖父のお店の鰻屋さんで必ず只でうなぎを食べさせてもらって行う句会だったのは、あれは、ただ単にうなぎが食べたかっただけなのかなど、今となっては謎です。

ところで、テーブルの上に置いておいた本書が見当たりません。多分、父が見つけて、ちょっと拝借などといって今頃は夢中になって読んでいるのでしょう。

何かピックアップして皆様方の駄句、いやその名句を、紹介しようと思っていましたのに。しかたありません、覚えているむかしの変哲の句を引きます。

虎造と 寝るイヤホーン 春の風邪

もうひとつ

時計屋の 微動だにせぬ 金魚かな


あっ、滋酔郎の句も思い出しました。

恋猫の 阿鼻叫喚の あとの闇

・・・・・お後がよろしいようで。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 韻文(俳句・和歌)
感想投稿日 : 2011年7月18日
読了日 : 2010年3月30日
本棚登録日 : 2011年7月18日

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