原水禁署名運動の誕生

著者 :
  • 凱風社 (2011年5月20日発売)
5.00
  • (2)
  • (0)
  • (0)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 20
感想 : 3
5

かつて能天気な数少ない体育会系の男子の友人、彼は体重110キロの身体で剣道の逸材で、ロシア文学とゲーテやハイネを愛する文学少年でもありましたが、そのR次が、原水禁と原水協って、全日本プロレスと新日本プロレスみたいなちょっとした仲違いの結果かと聞いてきたことがありましたが、そんなの知らないもの答えられるわけがありませんでした。

分裂の顛末はともかく、原水禁そのものの経緯をこの本で初めて知りました。
東京の杉並婦人団体協議会の例会が杉並区立公民館で開かれたのは、1954(昭和29)年4月16日でした。

奥むめお参院議員ほかの講演が終わり、会場が一息ついて静まった時のことでした。
「すいません」
と言って一人の女性が立ち上がりました。
菅原トミ子という和田堀の鮮魚商「魚健」の女将さんでした。
「第五福竜丸のことで、マグロに放射能が含まれているというので、魚が売れなくなり、魚屋は困っています」
「私たち杉並魚商組合で原水爆禁止の署名を取り組んでいますので、一人でも多くの方に署名していただきたいんです」
という彼女の必死の訴えが、参加者全員の胸を打ちました。
それに呼応して公民館長の国際法学者・安井郁氏も
「これは魚屋さんだけの問題ではなく全人類の問題です」
と呼びかけました。

その1カ月半前、3月1日に中部太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁では米国の水爆実験によって、日本のマグロ漁船第五福竜丸が被曝していました。
その報道がなされると、すぐさま魚が売れなくなりました。風評被害は昔も変わらないんですね。
≪水爆実験を止めろ≫というこの主張には、人びとの生活がかかっていました。

5月には杉並で原水爆禁止の署名運動が始まり、およそ2カ月で27万人もの署名を集めました。
この運動は、日本全国にそして世界中に広がり、まさに日本の国民的な反核運動はここから始まったのでした。

この本は、原水爆禁止運動に関わってきた人たちへの長期取材を敢行し、チラシ等の第一次資料を丹念に集めて、それがどういうふうに始まって、どういうふうに拡大していったのかを、きわめて具体的に解明します。
いってみればそれは、運動を推進したひとりひとりの無名の人びとの、個別の名前と行動を明確にするとてつもない壮大な検証でもあります。

そしてこの運動は、けっして魚屋の女将さんの訴えだけでスタートしたのではなく、いろいろな組織や団体や個人ひとりひとりが、利益や政治的立場を超えて、世界中から原水爆をなくす、という一点で結束していったのでした。

その真実がダイナミックに、鮮明に、まさにひとりひとりの顔が思い浮かぶくらいに描き出されている貴重な記念碑的な書物です。

一応、参考に◆目次◆を挙げておきます。

序 章 研究の視座―まえがきにかえて
第1章 戦前・戦中の杉並区
第2章 敗戦と杉並の市民活動
第3章 戦後杉並区政と社会教育
第4章 占領政策の変化と杉並の市民活動
第5章 安井郁・田鶴子夫妻と杉並の主婦たち
第6章 ビキニ水爆実験と報道
第7章 ビキニ水爆実験の影響と立ち上がる運動
第8章 杉並区の原水爆禁止署名運動
終 章 私たちが将来へ受け継ぐこと

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 反核・反原発・反公害・反差別
感想投稿日 : 2011年9月26日
読了日 : 2011年9月26日
本棚登録日 : 2011年9月26日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする