宮川淳は存命なら79歳、1933年3月13日に東京で生まれて、35年前に惜しくも44歳の若さで肝臓癌で亡くなった美術評論家。
「鏡、それは想像力にとって、もはやなにものかのイマージュではなく、イマージュそのものの根源的なイマージュにほかならないのだ」
ジャスパー・ジョーンズにフィリップ・ソレルス、ルイ=ルネ・デ・フォレそしてアルベルト・ジャコメッティ、あるいはキュビスムにシュールレアリスムについて言及されたこの本、『紙片と眼差とのあいだに』や『引用の織物』など彼の一連の現代美術・芸術批評の著作を、高校生の時に読んだ私はその難解さ視点の斬新さに驚いて夢中になったものですが、同時期に他方で思想・哲学的には宇波彰に導かれながら、ガストン・バシュラールやジャック・デリダやジル・ドゥルーズやジャク・ラカンやミシェル・フーコーなどに触れてからというもの、宮川淳の言いたかったことがより深くわかる気がしたものでした。
ところで驚くことに、なんとこの本の最終章は2006年に惜しくも83歳で亡くなった詩集『氷った焔』や小説 『アカシヤの大連』の清岡卓行論なのです。
彼は夭折といってもいいと思いますけれど、そういえば、急にいま思い出しましたが、この宮川淳といい、前衛芸術やデザイン評論をしてマンガ評論の先駆者でもあり『俗悪の思想』の石子順造も同時代で48歳で亡くなり、それからロジェ・カイヨワの『人間と聖なるもの』の翻訳者でもあり名著『葡萄と稲・・・ギリシャ悲劇と能の文化史』を書いた小苅米硯もたしか若くして亡くなったはずですし、あと見渡してみると『旅の思想』や『旅の文法』の著者・山崎昌夫もそうだったはずです。
10年以上ぶりで宮川淳の本を再読して、思わぬノスタルジックな気分になってしまいました。
レビュー記述日:2010年3月13日
一部推敲:2012年7月16日にしたところ全部消えてしまって、再度書き込んだら日付がまったく変わってしまいました
- 感想投稿日 : 2012年7月16日
- 読了日 : 2010年3月14日
- 本棚登録日 : 2010年3月13日
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