新潮 2015年 09 月号 [雑誌]

  • 新潮社 (2015年8月7日発売)
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感想 : 5

●「孤独の讃歌」あるいは、カストロの尻・・金井美恵子
●長流の畔(連載 第十四回]・・宮本 輝
●ノーマン・メイラーふたたび・・川本 直
●ジャン=リュック・ゴダール、3、2、1、 [連載 最終回]・・佐々木敦
●石川啄木[連載 第十五回]・・ドナルド・キーン(角地幸男・訳)

・・・などは読みごたえがありました。

なかでも、四方田犬彦「大泉黒石と表現主義の見果てぬ夢――幻の溝口健二『血と霊』の挫折」が、とびきり破格の論考で圧倒的なものでした。

偶然にも、今では忘れ去られた小説家 大泉黒石も,日本映画の巨匠の中でもクロサワ・オズに比べて超マイナーな溝口健二も、たまたま私が中学生のころに発見していっとき夢中になった作家でした。

今では存在しない大泉黒石原作の『血と霊』を映画化した溝口健二作品を、なんとかして甦らそう再現しようと悪戦苦闘する映画に憑依された人たちの狂おしいまでの滑稽な姿をプロローグとするこの一文を読み始めたとき、私は高校生のころの自分の姿をだぶらせて熱くなっていました。

それは、75年の時を隔てて京都市東山区本町通五条下ルという場所で遊んだことを共有する夭折の悲劇の映画監督 山中貞雄の、戦争によって消滅してしまった映画を、そのシナリオを台本に声色を変えてひとりで演じたことがあったからでした。


1938(昭和13)年9月17日という日に、召集された中国江南省開封市の北支開封野戦病院で赤痢で病死した彼は、28歳8カ月17日という短い生涯を終わらせられたのでした。

しかも戦争に行く前に撮った26本の映画のうち、現在でも私たちが見ることができるのは
『丹下左膳餘話 百萬兩の壷』『河内山宗俊』『人情紙風船』という3本だけ、たった3本だけしか現存しないのです。

おおいに憤りを感じて、まだ見ぬ幻の映画を、普通なら単に黙読するのが当然のところ、家のなかで教室で部室で、吠えて叫んでのた打ち回ってひとり芝居していたのを、思い出していました。

「小五郎、手前よくも俺の身内の佐太郎を殺して逃げやがったな?」
 「冗談言っちゃいけねえ清水の御貸元、それァ何かの間違いだ、俺ァ人殺しなンぞした事がねえ」
 「何を言やがるんだ、言い逃れは聞かねえ、立派に証人があるんだ、小五郎ッ覚悟を決めて仕度しろッ」

『森の石松』

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2015年8月11日
読了日 : 2015年8月11日
本棚登録日 : 2015年8月9日

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