よーこの本棚»
本がなければ、生きてはいけない。 (これは読書記録であって批評ではないです)
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ありがちな飯エッセイ+旅エッセイかと思いきや、比較文化論って感じ。鯨食いたいし、人間食いたいし、ツララも食いたい。激しく同意。最近読んだエッセイ本の中ではピカイチかも。面白い。4くらい。
2012年05月13日
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評論
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読み終わった
(2012年05月10日)
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■気流の鳴る音
序 「共同体」のかなたへ
――コミューン構想のための比較社会学
I カラスの予言――人間主義の彼岸
II 「世界を止める」――〈明晰の罠〉からの解放
III 「統禦された愚」――意志を意志する
IV 「心のある道」――〈意味への疎外〉からの解放
結 根をもつことと翼をもつこと
■旅のノートから→もっと読みたい!仮に<旅エッセイ>と考えても、抜群の面白さ。
骨とまぼろし(メキシコ)
ファベーラの薔薇(ブラジル)
時間のない大陸(インド)
■交響するコミューン
彩色の精神と脱色の精神――近代合理主義の逆説
色即是空と空即是色――透徹の極の転回
生きることと所有すること――コミューン主義とはなにか
出会うことと支配すること――欲求の解放とはなにか
エロスとニルヴァーナ――始原への回帰と未踏への充溢
プロメテウスとディオニソス――われわれの「時」のきらめき
2012年05月01日
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学問系
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読み終わった
(2012年05月01日)
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①巻より面白い!
徐々に乗っていくタイプの物語構成。お話の作り方が本当に素晴らしい。なんて上手なんだろう。すご〜〜く感心してしまう。
その本その本の特徴をしっかり取り入れてストーリーに絡ませていて、かつ物語としての完成度が極めて高い。絶対③巻も読みたい!と思わせてくれる。
坂口三千代『クラクラ日記』(文藝春秋)
アントニイ・バージェス『時計じかけのオレンジ』(ハヤカワ文庫NV)
福田定一『名言随筆 サラリーマン』(六月社)
足塚不二雄『UTOPIA 最後の世界大戦』(鶴書房)
2012年05月01日
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小説
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読み終わった
(2012年04月21日)
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震災関連の書籍を読む中で、いちばん響いたのは、この本だった。
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はじまりに。
P5 目は閉ざすことができるはずだった。それが視力の特性でもあるから。このことで聴力とは性質を異にするはずだった。鼓膜には、蓋がない。ところが網膜には目蓋という蓋そのものの器官がある。とすれば容易なはずだった。にもかかわらず、できない。テレビの報道を注視しつづけて眼球の表面が乾き切る。ただし堰を切るような潤いはある。涙が落ちるのだ。涙がぼろぼろ落ちるのだ。そんなことが一時間に何度起きるのか。頻度を確かめることができなかった。一時間、という単位が消えていた。一日が二十四時間ではないのだ。テレビからはCMが消えている。区切りが消えている。わずか一日の間に起こるはずのないことが起きていて、展開する——展開しつづけている。その体感をひと言にまとめるならば、時間の消滅だった。具体的には日付の意識の、そして曜日の感覚の喪失だった。この体感を、もしかしたら私は命名できる。〝神隠しの時間〟と。・・・
P9 どうして書きつづけたのか。
書きたい、と感じていたからだ。他に理由はない。私の内面の必然性だし、衝動だ。しかも途切れない衝迫だった。
だった、と記すしかない。二つの仕事をキャンセルしたのだから。構想を立てて執筆するような種類の小説は、もう書けない。そもそも書こうと思えないのだ。いや、何も書けないわけではなかった。短いものはしたためた。私は〝神隠しの時間〟の内部に囚われている間にも、求められる原稿があれば応じた。それが直接的に機能する言葉ならば、渾身の思いで吐き出した。文学が無効だとは思わなかった。一瞬も疑っていない。しかし種類が問われたのだ。散文ならばどんな散文か、どんな文体か。想定される読者は誰なのか。私はここ数年、小説を誰でもにむけて書いてきたように思う。すなわと、想定しなかった。それが通用しない。
P24 私に罪がないと言えるか。のうのうと生きている理由を述べろ。
声。
P26 その地に立たなければならない。この衝迫はいったい何なのか。私は解析しようとする。被爆を強いられるべきは自分だ、被爆しろと考えているのは、わかる。一種の自殺衝動だ。そんなものが自分の内側にまだ残存していたという事実に驚く。たしかに二十代にはあった。しかし二十七か八で終熄した。・・・自己憐憫は結局のところ他者と世界を憎むことだ。まずは憎しみを棄てよ。もう口にするな。
・・・私には「生まれてきてしまった」との想いがある。ある種の後ろめたさだし、自己憐憫をどこかで越えているのが確かに感取される罪の意識でもある。
声がする。行け。お前が被爆しろ。あるいはただ、見ろ。私は福島県の中通りに生まれた。私は浜通りに行かなければならない。
どうしたら苦をともにできるのか。
2012年04月15日
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小説
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読み終わった
(2012年04月15日)
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死を間際に、私は一体、何を思い、何を感じるんだろう。
痛みに耐え、それでも世界を美しいと、言えるのだろうか。
もがき、くるしみ、それでも生きていくのだとしたら・・・せめてその時に見える世界は「美しく」あってほしいと切に切に。
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私は闘病記が大嫌いだ。それからガンと壮絶な闘いをする人も大嫌いだ。ガリガリにやせて、現場で死ぬなら本望という人も大嫌いである。
…何十年もときめいたりしてないが、何とも思わなかった。
木の葉っぱや小さい花なぞにときめいて、あー年をとるのは何と清らかなことなのか、と自分で感動なんぞしていた。生活に不自由はない。
七十五歳以上の高齢者は年金から医療費が天引きになるので、大変な騒ぎで、あれは私もひどいと思う。が、バアさんがテレビの中で、「年寄りは死ねということですか」といかってると、こっち側では「その通り」と私は叫んでいる。
私は利口ではないが、すごく馬鹿というわけでもないと思っていた。しかし、私は今度生まれたら「バカな美人」になりたい。この間、鏡で顔を見て、「あんた、その顔でずっと生きてきたんだね、健気だったね、偉かったね」と言ったら涙が出て来た。自分の健気さに。
頭の神経が狂ってしまっている私は、刻々と目がよくなっていくのだった。遠くの椎の木の葉っぱが一枚一枚くっきりと、細い金の色にふちどられているのが見えてしまう。それはとんでもない疲労を私にしいた。一番何に似ていたか。ゴッホの絵に似ていた。
若い時、自然など目にも入らなかった。
花が咲く時だけ、花に目を奪われ、枯れると忘れた。桜の花は年一度だけ思い出した。
散ると桜の木が存在することさえ忘れた。年をとってからも、元気で忙しく立ち働いていれば花屋で花を調達することもあったし、庭の雪柳が滝のように咲くのを待った。
しかし、今私の山の紅葉の見え方は狂っているようなのだ。ゴッホはあの輝くタッチを生み出したのではなく、あのとおりに見えていたのではないか。狂死したゴッホは死と隣合わせで世界はあのように燃えて見えていたのではないか。
……でも、出よう、こんな美しい自然に吸い込まれたくない。
2012年04月15日
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生活
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読み終わった
(2012年04月12日)
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よろこびを書こうとして、かなしみを発見する。かなしみを書こうとして、よろこびを発見する。詩とよばれるのは、書くということの、そのような反作用に、本質的にささえられていることばなのだと思う。
人生ということばが、切実なことばとして感受されるようになって思い知ったことは、瞬間でもない、永劫でもない、過去でもない、一日がひとの人生をきざむもっとも大切な時の単位だ、ということだった。
一日を生きるのに、詩はこれからも必要なことばでありうるだろうか。
(長田弘『一日の終わりの詩集』2000年)
「愛する」(いま、ここに在ること)
「鴎外とサフラン」(マイ・オールドメン)
「午後の透明さについて」(一日の終わりの詩集)
「新聞を読む人」(同)
「意味と無意味」(同)
2012年04月10日
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詩
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読み終わった
(2012年04月10日)
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