ホワイト・ティース(下) (新潮クレスト・ブックス)

  • 新潮社 (2001年6月29日発売)
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本棚登録 : 89
感想 : 9
4

イギリスのドタバタって、アメリカのドタバタよりもえげつない気がします。
とにかく極端から極端へ、振れ幅がハンパない。
君たちには中庸という言葉がないのか!と言いたくなります。

しかし、中心人物の一人であるアーチーが、中庸の人でした。
下巻になって影が薄かったから、忘れてました。
唯一の、純粋なイギリス人で、とことん何かを決定することのできない男、アーチー。
最初の結婚に失敗し、自殺を図って失敗し、なりゆきで(?)かなり年下のジャマイカ系イギリス人クララと再婚。一人娘アイリーを得る。
大学を出ているというのに、仕事はチラシを折りたたむこと。
そこには何の判断もいらないから。

アーチーの親友が、先の戦争で同じ部隊にいたインド系イギリス人サマード。
学があり、野心があり、仕切りたがりのサマードは、戦争で片手が不自由になったために英雄になることができなかったことが無念でたまらない。
いとこが経営するレストランで給仕として働いているものの、世の中に不満だらけ。
自分の娘のように若いアルサナは、黙って夫に従うようなタイプではなかったために、夫婦の間にケンカが絶えない。

サマードの双子の息子マジドとミラト。
サマードは何とか息子二人を敬虔なムスリムとして育てたかった。
とりあえず長男を故郷のバングラディシュに送り出したのだが、戻ってきたマジドはイギリス人よりもイギリス人的な、論理を最大の武器にする上っ面だけの紳士だった。
手元で育てたミラトは、そんな親や兄弟に反発するように自堕落な生活を送り、気がつけばがちがちのイスラム原理主義者たちと行動を共にするようになる。(しかし映画やロック、酒やマリファナなどの西洋の悪癖を捨てきれないことは内緒だ)

アーチーの義理の母ホーテンスは、熱烈なエホバの証人の信者である。
今の生活に、考えない様にしているが数々ある不満はさておき、最後の審判の日、神に許される人の中に入るように、神が望むことはすべてやる。
神に許されることが、ホーテンスの生きた証になるはずなのだ。
娘クララにも布教活動をさせていたのだが、クララは思う。
救われる人が少なすぎる。もし自分が神に許され楽園に行けたとしても、自分の足元に数え切れないほどの救われなかった人たちの屍があるとするのなら、それは本当に楽園と言えるのだろうか。
宗教から離れるために、家から出るために、結婚するクララ。

とにかくとにかく極端な人たちばかりが出てくる小説。
人物紹介が物語になっているような気までしてくる。

これ以外にもまだ極端な人たちがたくさん出てきて、それぞれに交錯して、最終的に一堂に会するシーンが圧巻。
どうなるんだろう、どこに着地するんだろう。

これは移民の物語なんです。
常にここは自分の場所ではないと思いながら生きていく。自分の居場所探しに人生を費やす人たちの。
そして、子ども世代のアイリー、マジド、ミラトたちは、イギリスで生まれ育っているのにイギリス人ではない自分をもてあまし、家族に反発する。

みんなバラバラ。
みんな、自分のことばかり。
移民は新しい血を運んでくるはずなのに、社会の端っこに追いやられているのはなぜ?
極端なことをしないと認めてもらえないのはなぜ?

最後の最後に、この物語の主人公がくっきりと立ち現れる。
みんながおんなじになるのでも、みんながバラバラになるのでもない。
みんながなんとなく仲良く一緒に暮らせないかな?
この「なんとなく」がいいと思うのね。

先日読んだ伊坂幸太郎の「死神の浮力」を思い出す。
寛容は自分を守るために、不寛容に対して不寛容になるべきなのか。
「寛容」にとっての武器は、「説得」と「自己反省」しかない。ただ「寛容」によって、「不寛容」は少しずつ弱っていく。「不寛容」が滅亡することはなくとも、力が弱くなるはずなのだ

排他的な不寛容の世界から、なんとなく寛容な世界へ。
21世紀がそんな世界になれるよう、祈る気持ちで本を閉じる。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2015年6月27日
読了日 : 2015年6月26日
本棚登録日 : 2015年6月27日

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