偽善系―やつらはヘンだ!

著者 :
  • 文藝春秋 (2000年9月1日発売)
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感想 : 9
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本書で著者が糾弾するのは、人権ママ、携帯電話、インターネット、郵便局、教育偽善者、少年法、裁判官、名著など。

少し前の本なので今読むと古いところもあるけれど、基本構造は変わっていない。
人権ママはモンスターペアレントとなり、傍若無人な携帯電話は少し落ち着いてスマホでメールやLINEが増え、裁判員制度が導入されたけど。

で、今、このタイミングで読んでよかったと思ったのが、文科省と私立大学の関係について。
この本が出た当時はまだ文部省だったけど、内実は変わっていないでしょう。

この本を読むまで疑問に感じていなかったけど、私立大学が学部増設をするためには文科省の認可がいるということ、よく考えたら変だよね。
だって私立なのだから。
自校の教育理念に合わせて自由に学部を作ったり無くしたりすればいいじゃないの。

ところが、小中高と私立の学校は文科省の管轄外なのに、大学だけは文科省に縛られる。
それは、明治維新後初等教育は官主導で行われたのに対し、大学は早稲田慶応が引っ張っていったところがあるから。
官としては、大学についてもいずれは管轄下においてやりたいわけです。だから帝国大学に力を入れるのですが、それと同時に私立大学を締め付ける。

そして平成3年、18歳人口の減少を受けて文科省の中におかれた大学審議会が《大学等の新増設については原則抑制の方針を前提とし》つつ《抑制の例外》として《情報関係、社会福祉関係、医療技術関係》を考慮する答申を出す。
答申を出したのは大学審議会だけど、文章を起草したのは文部省高等教育局大学課の職員。

そのため平成5年以降、経済学部とか体育学部とか獣医学部とか中南米文学科などの申請がなされなくなった、と。なるほど。
で、このたびの獣医学部の認可についても、文科省としては平成3年度の答申に基づいて却下したのに、国家戦略特区という教育行政とは無縁のところから横やりが入ったうえに認可してしまった。
行政が捻じれたと言われるゆえんですな。
面子がつぶされることを何より嫌いますからな。

しかし、じゃあ文科省には問題なかったの?
平成3年から何年経ったと思ってるの?
とはいえ、総理のお友だちだから行政をねじってでも通すよっていうのは、言語道断ではありますが。

本書の感想から外れてきた。戻さねば。

“狭い専門縄張りに拘泥してしまうと、独善性と既得権確保のために、一方で威圧的になり、他方で自己防衛的になる。
 簡単にいえば「やつら」は、偉いとみなされているものや組織に媚び、生身の人々を無視する。偽善系に特徴的なことは、二重規範(ダブルスタンダード)である。”

上記がこの本の内容を端的に語っている。
そう、ダブルスタンダードなんだよ。
それを見破る眼を自分の中に常に意識していないと、知らないうちにだまされて、全然違うところへ持って行かれる可能性がある。
こんなはずじゃなかったとほぞを噛む羽目になる。

あと、著者が中学生のときに読んで以来、記憶に刻印されているという、三島由紀夫が自害の四カ月前に書いた文章も鋭い。

“二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。それは戦後民主主義とそこから生じる偽善というおそるべきバチルスである。
 (中略)私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日増しに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのだろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。”

当時の戦後民主主義がどのようなものだったのかはちょっとわからないけれど(生まれてたけど)、今の日本の民主主義といわれる手法は民主主義ではないと思う。
「0か100か」ではなく、どれだけ互いに歩み寄れるかが民主主義の核だと思うから、自分の意見を押しとおす権利の主張だけで、他人の意見に耳を貸さないのは卑怯。
その結果が“無機的でからっぽでニュートラルで中間色の富裕で抜目がない経済大国”日本だ。
と書いたら言い過ぎでしょうか。
言い過ぎですね。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2017年5月28日
読了日 : 2017年5月28日
本棚登録日 : 2017年5月28日

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