コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来 (ちくま新書) (ちくま新書 800)

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  • 筑摩書房 (2009年8月8日発売)
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タイトルそのままで、コミュニティーとは何か?必要なのか?どうして今重要なのか?を語る一冊。

キーワードの1つである”定常化社会”すなわち成熟した経済社会の本質的な人間の価値の見直しと、そこにこそ本質的な価値創造性がある。本来、いずれの社会であっても、本質的な人間としての社会的価値創造が在るべきであるが、定常化社会であるからこそ、そこに気づかねばならなくなったという逆説的な現在なのかもしれない。

歴史的な社会構造の変化は、パイの分配への競争に向かい、そしてそこからの脱出という繰り返しがある。簡単に言えば、モノの消費から時間・空間の体感、言い換えると、欲望の見せびらかしから幸せという内的な感覚へと向かうということである。

社会現象的に言えば、都市化と過疎化の分離から引き戻しという現象が起きるともいえよう。

ところで、コミュニティーとは、外部に開いた性質のモノ。つまり、外部と接するときの1つの文化を持った固まり。

そして、外部とのつながりの交わりに文化の混乱が起こり、そこに創造性が生まれる。ということは、おっきく言うと、都市と田舎という2つの大きな塊となっている今の日本で、その2つの交わりを起こすところに創造性が起こるというともいえる。

しかし、ここでもう1つ大切なことは、都市と田舎という間にある傾斜的な意識である。創造性は、補完的な関係、つまり、相互に尊重し合うフラットな関係の間で起こるのであって、いずれかがいずれかを支配するような意識(簡単に言えば、都会が田舎を営利的に活用するといった感覚)では、永続的で本質的な創造は起きないと思うのである。

人は一人では生きていけないという。というが、果たして本質的にそれを実感しているかというと、その感覚は希薄なように感じる。というのは、当たり前に自身の周りの生活が豊かであるから。そして、当たり前に親がいて、20才とは言わないまでも、ほとんどの私たちは、生まれてからしばらくは生きることを全力に外部から守られる当然があるから。無くなって初めて知るということである。

今この定常化社会の最先端である日本に自身が身を置くことを貴重なタイミングとして、この先の社会がまた新たなモノの消費から時間・空間の体感を繰り返すスタート地点とするのではなく、その共生となる社会構造を創造することを始めたいと思うのである。

すなわち、ここで生きたい。そして、子供の子供にもここで生きてほしいと誇れて生きていけると安心できるところ、社会にするということである。

読書状況:未設定 公開設定:公開
カテゴリ: 自分を取り巻く社会を考えたいとき
感想投稿日 : 2013年5月6日
本棚登録日 : 2013年5月6日

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