2007年に出版された、内田樹、養老孟司両先生による対談。
テーマは「日本論」という実に曖昧でざっくりとした話なので、逆に2人が肩肘張らないの世間話のような対談となっています。
本書では「日本人をとはなにか」を考えるのにユダヤ人の話が出てきます。これはなぜかというと、「ユダヤ人」という概念が非常に哲学的な考察を必要とするからだといいます。かつて日本の出版界に「ユダヤ人ブーム」というのがありました。それほど読書家でもない父がイザヤ・ベンダサン(実は山本七平という日本人とされる)著の「日本人とユダヤ人」を持っていたほどなのでかなり売れたのでしょう。
ユダヤ人というのは定義がはっきりしないそうなのです。まず人種ではない。ヘブライ語を話す人ということでもない。勿論イスラエル国籍の有無でもない。そしてユダヤ教を信仰する者ということでもないようです。それぞれがゆるく集合に入るけれども、絶対的な定義ができない。
そこで「あいつはユダヤ人だ」と、主に反ユダヤ主義者から名指しされることによって逆説的に「ユダヤ人」と定義される、という仮説を立てます。もう2000年以上もの間、世界中で反ユダヤ主義が興り、その都度被迫害者としての「ユダヤ人」が生まれてきた…。従って「ユダヤ人」の定義を探すには、自分が「反ユダヤ主義者」だとしたら何をもって誰かをユダヤ人だと規定するのかを考えてみる。
というように、世の中の様々な事象を「逆さまに見る」。逆に考えたらどうなるか、という考え方をする。そうしたことで自分にとっての世界の見え方が変わってくる。
それはなかなか面白い体験です。どうやら倫理とか哲学とかを考えるには、そうしたちょっと意地悪でひねくれた脳の使い方が必要なようです。
- 感想投稿日 : 2016年4月18日
- 読了日 : 2016年4月12日
- 本棚登録日 : 2016年4月12日
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