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La vita e bella
おどけたピエロを常に演じているような主人公のGuido。
彼に惹かれていくDora。
庭の温室の場面がとても好きだ。
いつだって
とても苦しい、とても辛い、暗澹と描かれる収容所においても、
Guidoは息子と”ゲーム”に日々興じ、
最期までピエロだった。
あんな風に愛に溢れたGuidoという男性の生き方は
DoraやGiosuèの物語において
きちんと夫であり、父であったと思う。
Director : Roberto Benigni
Guido Orefice : Roberto Benigni
Dora : Nicoletta Braschi
Giosuè : Giorgio Cantarini
2011年09月24日
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Foreign movie
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読み終わった
(2011年09月24日)
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当事者は、今やっているまさにその最中は、夢中でその中に隠れているいろいろなことに気づく暇がない。そういったことは以前にも言葉にしたことがあった。
http://plaza.umin.ac.jp/~shiro/cgi-bin/46_mt_essay/2007/05/notremid.html
その後振り返った時に、後から意味を見いだす。おそらくエッセイを読むというのは、他人がそうして振り返っている姿に寄り添うことだと思う。さらにその姿を参考にこれまでの自分自身について振り返り、自分自身の体験に意味を見いだすのが、エッセイの醍醐味だと思う。
この文章で児玉さんが歩んだ俳優としての道を一緒に振り返る姿のなかで、印象に残ったこと。
「傲慢でいることの傲慢さーくり出せなかったパンチ」
「背中に見た哀しみと大人振りー宙を見ていた」
なかでも、自身の立場故に怒りを感じないでいられなかったのは、娘さんの癌闘病を綴った一節「すべて焼滅した」だった。こんなことはあってはならない。優しさが見え隠れする児玉さんの真っすぐな怒りとやりきれなさが伝わり、悲しくなった。
自身の俳優体験が軸でありながら、いつも描かれているのは、その視点から見た周りにいる人の姿であり、それに畏れ入る児玉さんの姿だった。
とてもその佇まいは謙虚で、選び抜いた言葉で綴り、しかし自分への自信も忘れない。「負けるのは美しく」座右の銘が表す姿を生き抜いたのだと思う。
2011年09月20日
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novel
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読み終わった
(2011年11月20日)
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「実際に起きたこと」というのは、まぎれもなくひとつしかないのだけれど、それは常に明らかで、それはいつも「正しい道」であり、それが必ず「事実」と見なされ、人はその道しか選択できないのだと思っていた。人はいいひととわるいひとが分けられるように思っていた。でも、これも誰もが知っているように、必ずしもそうなるわけではない。
医師としての仕事を始めてから、そのことを全身で感じるようになって、だからこそものすごく悩んでいる。患者さんのことをまっすぐに考える精神を持っているつもりでありながら、自分の力の限界に臆病になって、突き進めないことがある。病気を治す方法は一つしかないのかと思っていたけれど、本当に目指すべきゴールというのは、患者さんそれぞれに違っていて、そもそもゴールがはっきり汲み取れることばかりではないし、必ずしもその方法は一つでなく、そこには「選択する」という行為が生まれる。小児科で働く私は、親御さん自身の気持ちや訴えることのできないこどもたち自身の気持ちも考えなくてはいけない。そういういろんなことを考えて、結局動けなくなってしまうことだってある。職場の人間関係のなかでも、普段は信用している先生でも、この先生はどうしてこの部分はこういう考え方なんだろう、と賛成しきれない部分について複雑な思いになることがある。正しいことがひとつではないこともあるし、正しい・・・というか理想とされることがあっても、必ずしもそれを選択できる訳ではない。私たちは立場は違えど、いつもそういう場面にいるのだと思う。
この主人公が本当にやったかどうかは分からないけれど、仮に本当にやっていないのだとしたら、実際に起きたことをただ言えばいいというものではなく、証明しなくてはいけないということがとても皮肉なことだと思った。そして本当の犯人は全くこの映画に出てきていないかもしれないという悔しさがある。弁護士だって守らなくちゃ行けないということだけは決まっていて、でも最初は「本当にこの人がやっていないのか」という疑いの目から始まらなくてはいけない。本当にこの人が真っ当な顔をして嘘をついているのであれば、だまされていることになる。人を信じるということの本質を考えざるを得ない立場だ。心理合戦だ。そして法律もただ答えがのっているわけではなくて、それをどう解釈するか、ということが、これまでの判例を通じて決まって行くものだという。それをどううまく解釈するか、ということは法律家として、時にへりくつをこねるようで、実際は心が傷つくこともあるのではないかと思う。
裁判官も同じ。まっぴらな嘘をついているかもしれない人間を裁くことの難しさ。精神のぶれや気持ちの引っ張られ方は当然あるわけで、それを差し引く努力は計り知れない。
でも本当の本当は、世の中そんなに性善説ではいかないのかもしれないけれど、「真実」を話してもらうための人間関係作りであり、信頼感であり、諭しであるのではないかと思う。そういう心が介在する部分があるのではないかと思う。その意味でプロの仕事であり、「人」の仕事だと思う。法律家として優秀なのは、信頼関係を築き、人間の良心を引き出し、真実を明らかにした上で、その上で妥当な刑罰を選択することもしくは有罪無罪を判断すること、なのではないかと思う。
本来有罪なのに無罪を訴える人、そのひずみが出てくる何か根源があるんだろうと、そう考えることで、私たちはその人たちを拒否しないですむ。そしてその人がいつか真実を語ってくれるのではないか、そのためにできることがあるのではないか、そう考えていたいというのが、私の願いだ。 人間にはそこまでの心があるのだろうか。あってほしい。
http://www.1101.com/suo/index.html
監督:周防正行
金子徹平:加瀬亮
荒川正義:役所広司
須藤莉子:瀬戸朝香
金子豊子:もたいまさこ
2011年09月14日
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JPN movie
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読み終わった
(2008年09月27日)
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・帰れないふたり
・ヒマラヤの鶴
・聖夜に星降る
・おいしいごはん
「帰れないふたり」では、奥さんのいる男性へ想いを寄せ、それを終わりにした幸と、同じ立場だった母と、その間にできた自分との狭間で悩んで、苦しんで、でも共感もして、その複雑な想いの中で流した涙が、印象的だった。
そして心温まったのが「おいしいごはん」。思い出のごはんに想いを馳せて、美味しいと思った訳ではないけれど、その人を思い起こす食べ物や飲み物があって、時間が経ってからそれに寄り添うことで、そのときは理解できなかった気持ちとか人柄を理解して、距離が縮まる。
もう会えない大好きな友だちがいつも飲んでいたロイヤルミルクティ、あの頃は匂いに慣れなかった父が毎朝淹れていた珈琲。私なりに思い出してみる。
2011年08月20日
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comic
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読み終わった
(2011年08月20日)
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真野伊吹先生が、紅色の万年筆のインクで綴る小学校4年生の担任としての日々、そこに自身を重ねて教師を目指す香恵。
子供たちに真っすぐ向き合い、少し思春期に近づいて捻れそうになる難しい年頃の子供に悩む伊吹先生の姿は、大人として魅力的だった。そして彼女がその端々に寄せる「タカシ」への想いは、小学生の女の子のよう。
ちょうど人の魂がこの世に戻ってくるお盆の時期に見たのが重なって、伊吹の届かなかった想い、リュウの応えられなかった想いに涙腺を緩めずにはいられなかった。
万年筆で想いを綴る手の動き、
その万年筆で伝えたい想いを絵に託す姿、
その映像が、また心温めてくれる。
堀井香恵:沢尻エリカ
真野伊吹:竹内結子
石飛リュウ(隆):伊勢谷友介
2011年08月18日
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JPN movie
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読み終わった
(2011年08月18日)
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小さなフィルムの一場面に心躍らせるトト。彼を見守るアルフレード。これはふたりの物語。一方でこの映画は20年前に作られたものだが、既にその時代に、主人公の人生の横で常に寄り添っていた「映画」という世界の趨勢も描いている。
その当時の映画館には、人々の笑いも感動も悲しみも青春も詰まっていて、正に「NUOVO PARADISO」だった。トトはその場所で父の訃報を知り、様々な疑似体験をし、現実の厳しい恋も経験し、新たなステージへ旅立っていった。30年の時を経て戻ってきたその場所には見向きもされなくなった映画館があった。NUOVOの文字はすっかり影を帯びていた。あの時空回ってしまったものはもはや取り戻せない。変わってしまうことも避けようがない。でも30年経っても色褪せないものも確かに心の中に眠っていて、フィルムはそれを残してくれていたのだと思う。その道を歩み続けたことに誇りを感じていたのではないかと思う。
映画が大好きな人が作った、映画を大切にしたい想いに溢れた映画だ。
例えば昔は白黒だったファミコンや携帯電話が、今やカラーなのが当たり前になったように、駅員さんがはさみを入れてくれていた切符がカードでタッチになったように、私が生きてきた短い間にもたくさんの当たり前が変わっている。その中で私の暮らしも気づかないうちに確実に変化を遂げている。
でも私もこんな風にずっと大切にしたいものが見つかるといいな、と思う。
2011年05月14日
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Foreign movie
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読み終わった
(2011年05月14日)
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挟んであったレシートを見ると、1年前の3月に買っていた。
新しい職場にまだ慣れることができずに、すっかり塞ぎ込んでいた気持ちを持ち上げようと本棚からとったこの本の最初の章を読んで、今絶妙のタイミングで読み始めたことに気づいた。
それまで何度かこの本を開いて、でも主人公の女性の意図が掴めずに、北へ向かう列車の場面で挫折していたのが嘘みたいに、今回はすーっとページを繰っていた。
全てを終わりにしたいと思うきっかけというのは本当に些細なことで、そこから抜け出すのもまた些細なことに依る。
田村さんは都会暮らしをしていたのが嘘みたいに、自然のなかでの暮らしが染み付いている人だ。包み隠さない無愛想の奥に、御両親を失った悲しみや神に祈る気持ちが見え隠れして、割り切れない気持ちを抱えている人なのかな、と思う。そういうのを乗り越えて今の田村さんがあって、彼が言葉少なに彼女に見せて伝えていたのは、そうして田村さんが辿った軌跡だったのではないかと思う。
皮肉にも?それとも予想通りに?街の暮らしへ彼女は戻っていく。自然をいただく過程を目の当たりにして、ものへの愛着も自分の見苦しさも理解したのかもしれない。田舎にはいられないことを自覚する旅だったのかもしれない。田村さんの大雑把なところに引っ張られるように率直な自分になって「長生き」できるようになったのかもしれない。マッチのお守りを得て。
温かい4月の風にふかれて、堰を切ったように涙が溢れてきて、明日がくるのか本気で希望が持てない夜を過ごしても、その翌日には笑って職場の人と話せる自分がいて、「日常」というのは実際はそういう日々が連綿と続いているものなんだと思う。
私のお守りはその時々で、変化していく。音楽、誰かにもらった言葉、写真、人との繋がり。大丈夫、まだ明日が来ると思える。
2011年05月12日
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novel
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読み終わった
(2011年05月23日)
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この1年間私がいたNICUという場所は、とても特殊な場所で、命の誕生はとても素晴らしいけれど、そのことをただ「おめでとう」という言葉だけでは過ごすことができないという意味では、たくさんの人が「負の感情」を処理していかなければならに場所だと思う。お父さんお母さんは予想よりもずっと早い出産に戸惑い、目の前にした我が子の小ささに戸惑い、この子が無事大きくなれるのかという不安や、この子を早く産んでしまったことへの罪悪感とか、そういった負の感情をたくさん抱いていく。仮死の子であれば、鎮静剤で眠っており、手足を動かさない我が子に、成長への不安を拭いきれない。おまけにそのなかで新たに発生する問題ひとつひとつにも、また一喜一憂してかなければならない。医療者たちは、声をあげることが難しく、病状が変化しやすい小さな命に気を張って向き合い、心配な部分と、成長が見られた部分と、両方を親御さん達に伝えていく。お預かりしている命なのだ。
