自分では、ちっとも気付かないうちに、"魂の奥に入り込んでしまう人"っている。
百姓マレイはドストエフスキーにとって、そういう人。
シベリアの監獄にいた頃の、感謝祭二日目の日。その日だけは許されている飲酒で囚人たちは浮かれ気分。
一人の男を集団で暴行するような、荒れに荒れた空間で、独りベッドに横たわる。
どうした弾みなのか、29歳のドストエフスキーは、20年前の少年時代へと、思いを馳せるのだ。
貧乏な百姓マレイの優しい母親のような微笑み。
恐怖に怯えていた自分を、落ち着かせるためにしてくれた、お祈りの十字のしるし。
ヒクヒクひきつれる唇に優しさを込めて触ってくれた、土だらけの太い指。
帰る時に、いつまでもいつまでも見えなくなるまで、見送ってくれたマレイ。
遠い静かな思い出の微笑みが、消えずに残っている。
私も日常の中で、"魂の奥に入り込んでいた人"に出逢うことがある。
当時は、それほどの仲でもなかったはずなのに。
必要な時に、ふいに浮かび出る。
ドストエフスキーは、この短編を書きながら、白樺の林の匂いを沁々、感じとる。
人は、"魂の奥に入り込んだ人"に、ノスタルジックなあの日に連れていってもらえるのだろう。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
ロシア文学
- 感想投稿日 : 2015年2月18日
- 読了日 : 2015年2月17日
- 本棚登録日 : 2015年2月18日
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