東大法学部の歴史と存在意義を批判的に描いています。東大法学部はそもそも、日本の法律を整え、近代化させていく上で必要不可欠だった法律職行政官を大量に生産する目的で国が設置したものだった。それが現在では東大法学部の学生はその多くが裁判官や弁護士、外資系企業をはじめとする民間企業を流れ、その役割は変容しつつある。と著者は分析します。「東大法学部のブランドはかつてに比べるまでもなく色あせ、大貯水池からは民間に直接流れるものや、官界に入っても失望して民間に転進する者が増えていった。」「エリート輩出構造は、東大法学部を頂点とする富士山型から、あちこちに峰のある八ヶ岳型に変わっていくだろう。あるいはいくつものピークのある万里の長城型と言ってもいいかもしれない。なぜか、それは多様性がこれからの社会の青写真を描くうえでのキーワードとなるからである。」大前研一氏と同じことを言っているので驚きました。本書は東大のことばかりでなく、東大法学部と切っても切れない関係にある霞ヶ関のことも詳しく描写しており、とても勉強になりました。新潟の農家出身で学歴のない田中角栄と、ピカピカの東大法卒の福田赳夫の「角福戦争」の引用は印象的でした。でもやっぱり東大は憧れますね。そもそもこの本を手にとったのも東大コンプレックスの現れかも。。。
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- 感想投稿日 : 2007年5月5日
- 本棚登録日 : 2007年5月5日
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