パート3までしかなかった作品に、40年眠り続けたパ-ト4を加えた完全版です。
最近初めて従来の物を読み、これは若者を煽動する物語なのでは?衆愚に足を引っ張られずに自分を磨け。民衆は愚かなのだから救い難し。という上から目線の物語と受け止めた。
はっきり言って怖かった。どんな宗教も最初は崇高な思想から始まり、小乗から大乗に至る過程で教義は薄まり曲解されて、最初の思想からは遠く離れていくもので、結局は小乗に帰っていくのだ。という身も蓋もない物語に思えて仕方がなかった。新興宗教に身を投じた若者が感化されるのも解る気がした。
何度も何度も気になる箇所を読み返し、ランダムに開いて読んでみたり色々試みたが何も印象が変わらないというのが僕の最終結論かと思った。
ところが4のエンディングまで読んで僕は3のエンディングがストンと腑に落ちた。
パート3では、ジョナサンから飛び方を習ったフレッチャーが若いかもめ達に、「それじゃ、水平飛行からはじめよう」そう言うと彼ははたと気が付く。自分もジョナサンと出会った最初の教えの言葉が、「それじゃ、水平飛行からはじめよう」だったと。その瞬間に目の前にいる若いかもめ達に、ジョナサンと出会った頃の自分を見た。ああ、自分が伝えて行った事は彼らが次の世代へ伝えて行くんだ。無限に続いて行くんだ。ジョナサンは聖人なんかではなく、自分と同じかもめだったんだと。
パート4ではかもめの世界が理想の世界から、ジョナサンを偶像崇拝し、彼のひたすら純粋に飛ぶことへの意味と喜びを追求していく教えを、卑小な地上に縛り付け権威の器の中に閉じ込めて行こうとする。必要な時に以外は飛ぶ事も止め、ひたすら神聖な存在に近づく事を目指し思考を停止させていくかもめ達。
思考停止したかもめ達に疑問を呈する若いかもめ、答えを得られず生きる意味を失った彼の前に再びジョナサンが姿を現す。
彼は楽しみながら悠々と空を疾駆する。神格化などどこ吹く風で。
ジョナサンは本当に彼の前に現れたのだろうか。若いかもめの心の中から現れた自分の自身と対話したのではないだろうか。
「正しい掟というものは自由へ導いてくれるものだけなのだ」
3ではジョナサンの導く正しい掟で皆が自由へ進んでいくような最後で、神格化されても仕方がないようなエンディングだったけれども、4で形を崩されていく偶像を尻目に現れた彼の姿にはとても救われた。とてもユーモラスでこれからも物語は続いて行くんだと思えた。やはり彼は聖人なんかではありえない。
確かに3でかもめ社会に訪れた明るい未来が、4で完全に打ち壊された結末と読む事も一つの読み方と思った。けれども今の閉塞した社会の中からも、必ずジョナサンは高みを目指して楽しみながら飛び続ける。それは時代も場所も関係無いんだ。
今だからこそそんな風に読む事が出来たのだと思う。
- 感想投稿日 : 2015年9月21日
- 読了日 : 2015年4月23日
- 本棚登録日 : 2015年9月17日
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