裏がえしの自伝 (中公文庫 う 15-13)

著者 :
  • 中央公論新社 (2011年4月23日発売)
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感想 : 5
4

涸沢カールの見事な紅葉眺めながら読んだ。
大工にも極地探検家にも芸術家にも映画監督にもスポーツマンにもプレイボーイにもならなかった自伝。
梅棹氏の多彩な才能に嫉妬する。
大工の孫だけどなにも作れないなあ自分。

プレイボーイの章の結びがにくいほどに格好よかったので引用。
 「プレイというのはあそびである。車のハンドルにもあそびがある。つまり少々ハンドルをうごかしても車輪の向きにはすぐにひびかないいだけのゆとりがあるのである。いわば、目的に直結していないのがあそびである。目的合理性でつらぬかれていないというのが、あそびの真髄なのである。
 私は幼少の時から自分の人生に目的を持つことをしなかった。そもそも人生に目的なんかあるものか、というのが私の実感であって、そういう趣旨の著書をあらわしてこともある。どうせ人生には目的なんかないのである。少なくとも、私は人生の目的をたてて、それにむかってまっしぐらに邁進するという努力はしなかった。人生のそれぞれの時期に、これはおもしろそうだというものを発見するとそれに熱中した。つまり一生懸命あそんだのである。
 (中略)登山やアドベンチャーは、いわばすべてあそびであって、人生に対して有用な目的を与えるものではない。それはただのあそびである。お金もうけにも、立身出世にもすこしもつながらない行為である。しかし、いったん山のぼりを始めたら慎重な上にも慎重に気を配って、岩から転落しないように、あるいは氷壁から滑落しないように、技術の限りを尽くしてたたかうほかはないのである。頂上に達したときの爽快感こそは、あそびのもたらす恍惚感なのである。
 (中略)私はなりたいと思ってなれなかったものがたくさんある。しかし究極のところ、ことばのほんとうの意味において、プレイボーイとしての人生を生きることには成功したのではなかっただろうか」

メモ
探検の「検」と冒険の「険」と、ふたつのケンの字の厳密な使い分け
がつよく要請された
エスキモー研究のクヌート・ラスムッセン
朝日新聞の本多勝一、加藤一郎
宮本千晴(宮本恒一長男)
西堀栄三郎「南極越冬隊」、菊池徹と犬橇
河口慧海

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2013年11月18日
読了日 : 2013年11月18日
本棚登録日 : 2013年10月16日

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