ジェイムズ・ジョイスの初期作品を集めた短篇集。アイルランド・ダブリンに暮らす庶民の生活を描き出します。
20世紀初頭ブリテンの植民地となり閉塞感が充満するダブリン市での、どこか陰鬱とした市民生活の情景を静謐であるが濃密な筆致でスケッチしています。いずれの作品も登場人物の心理描写を中心とした連綿とした描写が続き、その絶え間のない観察の連続から当時のダブリン市の中に漂う空気感が読者の中に立ち現れていきます。本書が出版された1914年はアイルランド独立運動が激化する「イースター蜂起」の2年前です。本書で描かれている鬱鬱とした空気はギリギリの政治的緊張の中で、現実政治の世界から目を背け怠惰や精神的生活への没入などの逃避がゆえに生まれているように感じられます。
この小説ではそれぞれの短編ごとに少年や若い女性、中年男性など様々な人物の心理描写がされていきます。一つの短編の中でも視点が変わるなどしますが、その語り口やテンポが変わることはないという点が一つ特徴的です。全体に統一された語り口はともすれば、変化が退屈な印象を与えるかもしれませんが、ダブリン市民の生活に流れる共通した沈鬱な雰囲気を感じ取ることができるのではないかと思います。ただしその精緻な描写が描き出す世界は独特の清らかさがあります。登場する人たちは決して倫理的でもなくほとんど悪人といっても良い人物も存在しますが、ジョイスの描写(そして訳を務める安藤一郎氏の描写)によって沈鬱ではありますが、濁りきって目も当てられないといった事にはならずどこか人間の本質的な部分に触れているのではないかといった感覚さえ呼び起こすのです。
本書を気晴らしや娯楽として読むことは難しいかもしれませんが、この作品を読むことによって立ち現れるどこか神秘的な雰囲気を味わっていただけると良いと思います。
- 感想投稿日 : 2013年7月28日
- 読了日 : 2013年7月28日
- 本棚登録日 : 2013年7月28日
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