硝子生命論

著者 :
  • 河出書房新社 (1993年7月1日発売)
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感想 : 9
5

全四章。なお、雑誌での掲載順でいうと、第一章と第二章が入れ替わる。
第一章 硝子生命論
第二章 水中雛幻想
第三章 幻視建国序説
第四章 人形歴元年

~簡単なあらすじ~
「死体人形」≒「硝子生命体」を作成し、そして失踪してしまったヒヌマ・ユウヒ。
彼女に取材という形で関わり、また「死体人形」の所有者ともなった私、日枝無性。
「死体人形」の愛好家達が集まり、失踪したユウヒを追憶する中で、やがて彼らは新しい国を幻視するのだった。
そして国が作られると同時に、”私”は一冊の本となる。その本の名前は「硝子生命論」。


硝子生命という存在は、自分を害さない自己から発した他者との関わりをもたらす物質である。
 生きていて欲しい、けれど死んでいてほしい、そんな欲求を硝子でないのに硝子生命と呼ばれるその物質に託して、そんな存在と関わる物語を人形という形にする。

 硝子生命には二つの存在的弱点があるように思える。
 一つは、それは自己の中から発するゆえに、内側にこもる性質のものになる。けれど、存在感を保つために「他者」も必要ともしていたこと。
 もう一つ。硝子生命≒死体人形には、「作者」がいること。所有の位置が定まらないこと。

第三章、幻視建国序説では、その弱点をもって、存在がゆらぎ、けれど最後にはひっくり返る。「作者」を貶める無遠慮な「他者」として現れる登場人物”電子子羊”は、硝子生命の存在を脅かす。硝子生命との生活には現れない明確な「敵」という存在。
 その存在を、彼らは殺してしまった。一線を超えてしまった。彼らは他者に対して一つになり、守ろうとした「作者」は遠く離れた存在になってしまった。この辺りの心情は、創作者を「神」という別次元にして、神としての所有と人としての所有を分けてしまうことに似ている。
 
 いろいろな性質の楽しみが混ざっているように感じて、自分はこの話が好き。
第一章の辺りの、硬質な概念を追う感覚。
第二章の辺りの、内に籠る性質に幻想が絡んで、沈んでいくような感覚。
第三章の辺りの、「他者」に対して対抗する感覚。
第四章の辺りの、変わってしまった世界でまどろむような感覚。
笙野さんらしいといえば、らしい本。ただ、国家建設という部分は共感が得られにくく、こんな展開なの? となることもあるのではないだろうか。

 「男性の人形を作り、それを対象として恋愛や、ごっこ遊びをする」という状況に対する普通の反応というのはよくわからない。男性が自分の性別を冒涜されたかのように感じて、嫌悪感を持つ、という感覚ならわからなくない。
 今回の話を踏まえて、もし男性が人形を作ったとしたら、と考えた。「死体人形」にならない可能性があるのではないだろうか。その人形は生きていて、「私、君のことが好きだよっ」と言う……のかもしれない。(この着想には、笙野さんの別の本に出てくる「火星人少女」のイメージがある)

 男性優位だとか、女性優位だとか、そこに帰着しないものがあるとは思っていて、それが最後の建国となるのだと思う。「国」というのも笙野さんはよく使うモチーフだが、「建国」とはっきりなるのはこの本が最初ではなかろうか。「国」自体はレストレスドリームや、初期短篇集のうちにも存在するけれど、そこから一歩踏み出した、ということなのかもしれない。


※書いてから読みなおしてみたけれど、見なおしてしまうと語り足らない部分が多すぎる。いろいろと難しい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2012年6月19日
読了日 : -
本棚登録日 : 2012年6月19日

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