輝ける青春 プレミアム・エディション [DVD]

監督 : マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ 
出演 : ルイジ・ロ・カーショ  アレッシオ・ボーニ  アドリアーナ・アスティ  マヤ・サンサ 
  • ジェネオン エンタテインメント
4.24
  • (12)
  • (3)
  • (5)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 41
感想 : 10
5

ニコラにはマッテオの行動が最後までわからなかった。人並みに苦難を経験していくが、いくら考えてもニコラには弟の本心がわからなかった。なぜならニコラは「普通」の人間だからだ。対照的に、マッテオは疎外感を抱く人間が出会うすべてを経験する。

そっけないくらいに普通な人間であるニコラは、しかし「精神病」が「異常」ではないことを追及していく。「ニコラはふつうすぎる」という感想もあるが、社会から疎外された者に対する理解がニコラにある。

作品の中でいくつかのシーンが示唆しているようにマッテオはおそらく同性愛者。一昔前であったら「異常」とされていた人間だ。繰り返しになるが、対してニコラはいたって「通常」の青年。物語のキーは、それぞれの境遇が行き当たるであろうオーソドックスな苦難を描き分けているところ。もしこの物語がニコラだけだったら『フォレスト・ガンプ』だった。しかし、マッテオという疎外感の意味を知っている人物を登場させることで、イタリアが経験した現代史を描くことができた。歴史に表があるのなら、語られない裏もある。その裏がマッテオだったのだ。そして表のニコラは深く悩む。「なぜ?」と。そこがいい。歴史ってそういう「裏」を表にのせる作業だもの。

マッテオとニコラ。
二人は鏡であり、同じ人物である。なのに二つの身体が与えられ、分けられて演じられている。「マッテオがニコラだった頃」という一枚の写真は象徴的だ。様々な登場人物の生き様をイタリア史と重ねることによって、フォレスト・ガンプよりもはるかに高度なプロットとなっていく。

いなくなった者にこだわりすぎるな、こだわりすぎると憎むようになると、ある友人がニコラに諭す。ニコラは自分の半身を失ったまま、しかし失った半身は論理を越えた絆で優しくニコラを後押ししていく。忘れ、諦めることは糧となるけれど、それは表面的なものでしかない。深い喪失を味わった人は、たとえ忘れても、より実りのある生を享受することができる。

読書状況:未設定 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2013年4月16日
本棚登録日 : 2013年4月16日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする