取り替え子 (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社 (2004年4月15日発売)
3.50
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本棚登録 : 491
感想 : 44
5

高校時代からの親友であり映画監督の塙吾良がビルから投身した。古義人のもとには彼の声が吹き込んであるカセットテープとそれを再生するための「田亀」があった。「田亀」をとおして吾良と会話する古義人。その姿におびえる妻の千樫と息子のアカリ。

「田亀」と距離をおくためベルリンに赴く古義人。
週刊誌では吾良の死因が悪い女に求められるが、吾良と千樫はそうではないと思う。
吾良がヤクザに襲われたときのことから、吾良は自然と自分に襲いかかってきたテロルについて思いを寄せる。

ベルリンに行く前、千樫は古義人に言う。
彼らが学生のとき、夜中に帰ってきてガタガタになっていた、あのときのことを今度はウソをつかずに書いて終わるべきだと。

その出来事は「アレ」と呼ばれる。
吾良のほうからは「アレ」を描いたと思しき絵コンテがあり、吾良は今まで培った小説技法をたよりに吾良の視点からの「アレ」を描こうとする。

大黄さんという、吾良の父親の門下生だった人物があらわれる。米軍の占領下、彼は講和条約の発効前に日本人からの蹶起がなされるべきだ、少なくとも抵抗したという歴史の片鱗が必要だと考えている。そのためには米軍と同等の武装が必要になる。

この武器を与えるのがCIEで働いているらしいピーターという白人の役目であるらしい。
ピーターが吾良に対しどうやら性的な願望を持っていて、大黄さんは吾良を利用して取引をするつもりらしいことが示唆される。

結局のところ、「アレ」とは何かはわからない。
在日の子供らに剥いだばかりの牛の生革を頭からかぶせられ、体が血と脂でどろどろに汚れてしまう……。

実のところ僕は加藤典洋「小説の未来」を読んで本書を手にしたのであって、ここで行われたのが強姦であるという説が頭のなかに既にあった。
でもどうやらこの評論がいくらか物議をかもして大江の「憂い顔の童子」では作中で引用、批判されてもいるようだ。

しかしそうはいったって、そういう性的な事柄を連想させるような書き方がなされていると思うのだが……それが不協和音として松山の回想を暗い基調にしているというような。

最後の章は千樫の視点から語られる。
そして「取り替え子」というタイトルともなった一連の思想が垣間見える。

しかしながら松山の回想における張りつめた糸のような緊張感が、ここでどこかすっぽぬけてしまっているような気がしてならない。
それはなんだろう、千樫という女の肉体をもった人物というのがどうも想像しにくいところにありそうだ。

端的に言って女を描くのはあまり上手くないのじゃないか、という気も。
女が自主的に動いているというより、常に作者の視線のなか操り人形のように女が語らされているような、不快感というのかな。

それから主題に感心したかといえば、歳も離れているし、実感としてはあまり来なかった。
ただ読書体験としては久々にスリリングなものだったと思うし、読んでいて揺さぶられるような心地良さがあった。
というわけで本当のところは☆4.5くらい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説(日本)
感想投稿日 : 2015年2月9日
読了日 : 2015年2月8日
本棚登録日 : 2015年2月9日

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