作中ゴンタが語るように、普段映画が撮るのは殺人事件だったり特別な人間だったり。とにかくごくごく普通の人間が描かれることはめったにないし、ごくごく普通の人間がごくごく普通に描かれることはさらにない。ゴンタはなんだかそういうのが許せない。
だから劇的な場面というのは映さないで、むしろその劇的な場面を受け入れる側の、人の何気ない表情を好んで撮る。
そしてゴンタのこの姿勢が、そのままこの小説の解説として成立する。
こういうのはありふれた手法だけど、個人的には作者が「どうしてこういうものを書いたか」みたいな説明を作中人物にくどくどさせるのは、好きではない。
さて、こういう本だからちょっと評価が難しい。
学校の教師が自らの教え子たちに残せるもの、長いあいだ覚えておいてもらえるものは、授業の内容ではなくて、彼自身の思い出話であるという話を聞いたことがある。つまり本来的なもの、本筋のものよりも寄り道のほうが生徒の心に引っかかると。
小説もこれに似たところがある。ストーリーよりもそれに関係ない寄り道や風景描写、あるいは作中人物の何気ない会話がいつまでも心に残るというのはよくあること。
だから筋のないこの『プレーンソング』という小説は、授業なんてほったかしで自分の昔話や世間話ばかりしている先生に似ている、かもしれない。
もしそんな先生が本当にいたとして、ぼくならどう感じるだろうかと考えてみたら、こういう先生は人気取りの相当にいやったらしい奴だと思う。
なるほど。
でもって個人的には、ユーモアもなくただ長ったらしいだけの話はもっと嫌いである。
- 感想投稿日 : 2012年8月22日
- 読了日 : 2012年8月20日
- 本棚登録日 : 2012年5月18日
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