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『ライク・サムワン・イン・ラブ』(アッバス・キアロスタミ)
かわった映画だった。はじまりのBARでの電話のシーンからして、その電話の会話が映像に映りこんでいないので、注意がそこに注がれなかった。だけど映画を見終わって振り返ると、あそこにこの映画のストーリーの説明があったのがわかる。
あのバーはデートクラブで働く者の集まるたまり場みたいな場所で、ストーカー的な行動を見せるノリアキの得意な存在を印象付けるトリガーでもあった。
確かに、ストーカーとなったノリアキは精神的に幼い。だが、現実には、自動車工場を経営していてる実業家でもある。従業員も雇い、仕事ぶりも社会人としての振る舞いも板についている。
しかし、彼女への執着心に関しては、仕事のようには合理的に見つめられず、感情が優位になって、彼の行動を突き動かしてしまう。
車の中で、明子のデートクラブの客であるタカシを明子のお爺ちゃんだと思い込んで語るノリアキの言葉は、彼の生きることの優先順位を伝えていたし、ノリアキの本心なのが伝わっでくる。
ラストの姿は見えないが、映画を観る者に声だけでも十分にその場の恐怖を伝えている。
空手三段のコントロールの効かない感情が、あえて映像には映らないノリアキの姿とタカシ、明子の演技と、事前にもっているストーカーの異常さの情報が恐怖に拍車をかける。
【気になったpoint】
‘明子とお婆ちゃんの繋がりの強さとそこに流れる感情’
‘明子の大学生としての姿と思慮深さに欠ける行動と振る舞い’
‘ノリアキは真剣に人生を生きているが、そのことがかえって彼の生きる世界を狭めている姿’
‘温厚で初老のタカシが車の中で理解したノリアキは、どのようなものだったのか?そして、常軌を逸したノリアキの行動をみてそれはどのようにかわっていったのだろうか?
2017/04/20
- 感想投稿日 : 2017年4月29日
- 読了日 : 2017年4月11日
- 本棚登録日 : 2017年4月10日
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