聖女の救済 (文春文庫)

著者 :
  • 文藝春秋 (2012年4月10日発売)
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 出版後、すぐにハードカバーで読みましたが、先日のドラマされたものを観て、「あれ、こんな話だったかな?」と思い、再読。
 
 原作はもちろんとてもよい作品なのですが、ドラマ版もよく2時間にうまく収めたなと関心しています。時間の都合上、登場人物や犯行動機、トリックも大きく変更されているところがあり、それは別の作品としてみればおもしろいと思いますが、やはり原作の奥深さは超えられません。ドラマ版しか観ていない人は是非、原作も読んで欲しいと思います。

 この作品を初めて読んだ時、思い出したドラマがあります。『古畑任三郎』シリーズの『ニューヨークの記憶』という、鈴木保奈美さんがゲスト出演されている回です。夫を殺したものの裁判で無罪判決となり、完全犯罪を成し遂げた女性が、そのことを「ある友達の話」として、偶然長距離バスで隣り合った古畑任三郎に話して聞かせるというもの。(うろ覚えなので間違っていたらすみません、)
 
 綾音も、ほんのあと少しで完全犯罪を成し遂げられたのに……という思いで二度目を読み進めました。完全犯罪を遂行するためには、炎のような執着心と氷のような冷静さ、気の遠くなるような精神力、忍耐力、綿密な計画性が必要不可欠で、それは女性にしか無理なのではないか……と、この2つの作品を通して思いました。

 この作品の評価は分かれると思います。こんなトリックはどう考えても無理だと思って白けてしまう人。「理論的にありえても、現実的には考えられない」方法に夢をみる人。私は後者でした。1年間も夫を浄水器、いやキッチンにすら近づけさせず、夫を守る聖女のように、真柴の言葉を借りれば「リビングの高価な置物」としてパッチーワークをしながら佇んでいる綾音の姿を想像すると、胸が震えます。

 
以下、自分メモ↓
・草薙が如雨露代わりの空き缶を取っておいたのは、ただの刑事の勘だけではなくて、彼も綾音を実は疑っていたということを表しているのではないか。大学時代の捨て猫を介抱している場面で「(介抱しようがしまいが、どちらにせよ猫は死んでしまうが)それがどうした。」という発言をしている。綾音が犯人かもしれない、でも「それがどうした」、ただがむしゃらに他の犯人の可能性を否定しないで捜査し続けたのかと。
・内海は今回、いつもにもまして鋭い推理をしていたと思います。シャンパングラスや化粧直しの痕跡など、女性らしい細やかな視点での推理がおもしろいです。
・ドラマ版の良い点。天海祐希の演技。しっとりと抑えた演技が素晴らしかったです。真柴との仲睦まじい回想シーンもその後に続く展開を知っているだけに、より優しく残酷に映し出されていました。庭とベランダにある花をパンジーではなく、薔薇にしたのも華やかになりよかったと思います。映像化ならではですね。湯川と綾音が一緒に博物館にいって恐竜のCTスキャンの話をしたのは良かったと思います。
・ドラマ版の悪い点。2時間に収めるためには仕様がなかったのかもしれませんが、登場人物を大きく削ったために、犯行動機の重さを表現できていなかったのではないでしょうか。また、湯川と綾音が同級生だったという設定もなくてもよかったのでは。『容疑者Xの献身』での湯川の悲壮が報われないと思ったのは私だけではないはずです。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 東野圭吾
感想投稿日 : 2013年7月6日
読了日 : 2013年7月4日
本棚登録日 : 2013年7月5日

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