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Chi va piano, va sano e va lontano
レビュー by castagnaさん
「母の友」の連載(2000年4月~2002年3月)をまとめたもの
昔文庫に通ってきていた子が母親になり、その方への手紙という形でつづられている。絵本の指南書。
1はじめての絵本
2遊びと物語
3歌う絵本その1
4歌う絵本その2
5くりかえしの楽しさ
6物語への橋渡し
7物語絵本と子どもの心の成長その1
8物語絵本と子どもの心の成長その2
9しあわせな絵本
10生まれてきてよかったというメッセージ
11絵本の読み方のコツはある?
12笑いをさそう絵本
13ユーモアとナンセンスって?
14長新太の魔法の庭
15スズキコージ・ワールド
16片山健の「噛みつき絵本」
17良い絵本とはー昔話絵本を選ぶとき
18絵本の中の子どもその1
19絵本の中の子どもその2
20子どもの目・大人の目その1
21子どもの目・大人の目その2
22童画について
23存在の不安を癒す快い絵本
24K子ちゃんへの最後の手紙
昔話は語り手の古老が次々消えていく。
人類が長い間、愛しんできた語り手と聞き手の幸せな一体感は暮らしのなかではもうつかめない。でも絵本は絵と活字からなる物としてしっかり残る作品だから、読みたいと思う人がいさえすれば消えない文化。
~これさえあればあわただしい幼い子との暮らしも、生きのいい人間の柔らかな感受性に触れる充実感で、いっとき、親は深呼吸ができるのよ。
「どんな絵本からはじめたら」という質問ですけど、ずばり、答えましょう。
それは「たべもの」の絵本P9
~どんなに幼くてもイメージに反応し、イメージで遊べる。つまり、単なる絵でたべものごっこができるわけ。そのことって、考えるとすごい。人間とは何か、という定義の中に「想像力で遊べる生き物」というのを入れたいくらい。
物語の力
感情のひとうねりが子どもたちをどんなにひきつけるか、ここは単純だけど物語の力が働いていると思うのですP21
物語って何でしょう。それは人間とは何か、と問うのと同じくらい深くて大きな問題ですが、あえて大胆に言えば、物語は、そう、神話も昔話も、人間を想像力で組み伏せ、折り合って生きてきた、その戦いの証しではないでしょうか。私たち自身もどこかでいつも物語を作りながら生きているのです。
人は母語、つまり母なる言葉が必要だと思います。思うこと、感じたこと、伝えたいこと、それはみんなK子ちゃんの心の中で日本語になってうずまいているでしょう?うまく言えないことだって、日本語になろうとしてもがいているのよね。母語としての日本語が身体の中に血のように生きているから、私たちはちゃんと心を保てるの。なぜそういう言葉が必要なのか、って?それは人が人になるてめに、とでも言っていいのでしょうか。歩くのに元気な身体が必要なのと同じように、心をいつも活発にする元気な血のような言葉が必要なの。P40
音楽の楽しみって、頭で理解するものではない。P43
子どもは絵本を聞いているとき、音楽を聴くようの聞いています。身体ごと言葉の流れにのって、自分もいっしょに言えるようになりたい。大好きなところもあって、そこがくるのをじっと待っている。P43
くりかえしが言葉が育てる
くりかえしの要求は、言葉を習得する時期の子どもだけがもつ特殊な食欲。P47
身体が動く言葉のリズム
喜びの渦がまきあがる
子どもたちは文の流れを音楽のように楽しんでいます。
言葉のリズムに勢いがついて一番高揚したところで、身体が動く
声を発するというのは、とても自然なことだと思います。P50
暮らしの中に物語が生きるとき
=生活の中に絵本の中の言葉が入り込む瞬間
登場人物にのりうつって
子どもは怖いものが好き
強いものに憧れる
「おおかみと七ひきのこやぎ」では一人で生きていかなくてはいけない。ちっぽけな自分を意識
「三びきのやぎ~」は生き抜くことと強さへの憧れ
「ぐりとぐら」はひとりでふたり もうひとりの自分
人が初めて友達を求めるときの原初の意識
友達は自分自身をよく映し出してくれる存在であってほしい
一人遊びが鏡に映り、映った自分が別の命をもって生きているような状況い
子どもの生きる意志
自分がこの世に生を享けて生きていることを受け止めるのにそれこそ全力を尽くしています。
自分の心で自分を支えるのが最大の仕事P89
現実のからくりも、世界の厚みも何も見えず、いきなりこの世に放り出されて、何を支えに生きていくか、それは自分の(思い)だけ、と言ってもいいでしょう。
だから子どもはまず、自分自身の存在を「よいもの」『思い通りに満たされたもの」として心から肯定しようとします。
自己肯定、つま自分を好きになることなしに、子どもが親を離れて自立に向かって歩みだすことはないでしょう。そのためにこそ子どもは無条件で愛されなければならないのです。子どもの自己肯定を無条件に支持した底抜けの絵本として思いだすのは「ぞうのババール」です。
ユーモアというのは言葉の日常的なレールをちょっとずらして、一段、奥深いレベルで人間関係を作る魔法のようなもの。
自分にとって「大切な絵本」というのはりますが、「良い絵本」というのは存在しないようです。~絵本でも本でも、それは個々人の出合いの中で精米をえるものだと思うからです。過去現在未来を紡いでいく、その人の体験やものの感じ方、いっしょに読む子どもの個性、それらがぶつかり合って、大切な絵本は生まれ、獲得されていくP145
レビュー登録日 : 2011年11月12日
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