人に対して「透明感」という言葉を使うのはまず好意的な感情からだと思う。僕もシモーヌ・ヴェイユという人の深く澄まされた知性に、憧れや好意を感じる。
しかしそれにしても、いくらなんでもこの人の透明感は、度が過ぎている。水清ければ魚棲まず、ではないが、突き詰められた「聖」性は汚く図太く生きる生命力の対極のように思え、悲壮感さえ覚える。
関連して、ヴェイユの教え子の書いた本を読んだ。師への親愛の情に溢れた本だった。この人が周囲の人に理解され、愛されて生きたのだと思うと、何か救われたような気持ちになる。そんなことも含め、ヴェイユという人は僕に希望や勇気をくれる存在だ。
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- 感想投稿日 : 2011年10月27日
- 本棚登録日 : 2011年9月3日
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