一章「誰か故郷を想はざる」
二章「東京エレジー」の二章からなる。
「誰か故郷を想はざる」では、青森県弘前市に生まれてから二十二歳の青年になるまでを詩的に綴っている。
同郷、太宰治の心中について彼は、「死を内蔵しない生などは存在しない」「心中は二人が長い間大切にあたためてきた『死』をも終わらせてしまったのだ」という。
死を求めるエネルギーは死をも終わらせてしまうという考え方は、彼らしい生へのエネルギー転換方法だ。
「東京エレジー」で「賭博」について語る部分があるが(彼自身大の競馬ファン)、それはそのまま生き方に対する考えでもある。
「賭けの心理は娯楽本能から出ているが、その娯楽本能は生存競争から派生したものである」というW・T・トーマスの言葉を引用し、「より強く生きる実感を味わいたいと思うものにとって賭博は、単なるゲームにとどまらないなにかである」という。
「明日何がおこるか分かってしまったら、明日まで生きるたのしみがなくなってしまう」といった感覚は、賭博の娯楽性に通じる。それは生が内包する不確実性と向き合うことである。その不安と対峙することは、一点の光が暗闇の中で際立つように「生」を際立たせるだろう。
生の実感を生み出すエッセンスとして不確実性を捉えることは、賭博から贈られた一つの幸福論であるともいえる。
「幸運とは、存在するための技術、これを受け入れる技、これを愛する技なのだ」
ジョルジュ・バタイユ
読書状況:読み終わった
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- 感想投稿日 : 2011年2月13日
- 読了日 : 2010年2月5日
- 本棚登録日 : 2011年2月13日
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