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買った本を確実に消化したい!月5冊は読みたい。
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橋下さんのやりたいことって結局どんなのなの?と思って読んでみた。すごく真っ当なこと言っている。こんなに大阪のこと愛してて考えてて具体的な問題点提示して改革案出してる人なんていないんじゃないの?
地域住民に近いところの基礎自治体(大阪都構想では区)に財源と権限を持たせ、大阪都は広域の経済などを考える。それ自体は目的ではなく手段。目的は世界の都市間競争に生き残ること。そのためには大阪市が面倒見きれない人口とエリアで縄張り主張するよりも、区長が公選されて区ごとに独自性を出し、住民サービスを向上させる。それが前の市長だと進まないから自分でやってるってところかしら。
そしてそれは大阪の人口とか経済状況、地理的状況だからの話で、それぞれの地方都市の状況に合わせた仕組みでいい。「国」が東京一極集中の中央集権で一斉に列島全体の経済成長やらを考えてやろうとしたってうまくいかないし時代遅れ。そんなのは明治政府の話で、あくまでそういう体制=OSを変えたい/換えたい、機能する地方分権をやりたいって話。そのOS上で走らせるアプリケーションを決めるのは住民。だから文化云々も直近1、2年辛抱して、きちんと周囲を説得できるようにしたらいんじゃない?都知事相手より余程マシだと思うわ。
議論や反対意見を煽って出させるのもわざとみたい。そうやって決まったことじゃないと行政も住民も納得しないから。だから橋下さん個人を攻撃してもなんの意味もない。
アンチ橋下な人というのは、単に橋下さんが嫌いだったり、捨て身なやり方が怖かったり、今のままが居心地よくてそれで犠牲になっているものを見ないふりしてたり、ということなんだろうなと思う。今と自分の周りしか認識できない人。橋下さんはその人たちよりメタな時間軸と空間軸なので話が噛み合わないのね。
(堺屋太一の歴史認識はどうなの?とは思うけど…明治維新賛美って気持ち悪いわ。あれってタダのクーデターじゃん。長州も高杉晋作も日本国のこと考えて、というよりは列強と戦争して負けてやべーって思ってただけだよ、きっと。)
2012年05月20日
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社会・科学・思想
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読み終わった
(2012年05月20日)
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今起きている原発問題が、ほとんど政府と省庁の構造問題ということはよくわかった。
でもタイトルに反して、未来について「ポジ出し」はほとんど書いていない。
すでに他の人が指摘していることだけで。
原発含め、将来のエネルギーをどのように考えるのか、それを誰がどのように決めて、オペレーションしていくといいのか。監視していくのか。
それを、「政治家」としてどう形にするのか?ってことじゃないかと思うのだけど。
2012年04月04日
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文献
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読み終わった
(2012年04月04日)
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印英にルーツを持つ経済学者、哲学者の著者が「アイデンティティとは、一人の個人が一つのアイデンティティを他の属性よりも優先して宿命的に「発見」して持つのではなく、複数のアイデンティティを理性によって「選択」することができるものだ」といったことを繰り返し説く本。単一的なアイデンティティ(特に宗教的な共同体への帰属)の植え付けが暴力を伴う対立にいかに簡単に利用されやすいか、文学や政治形態、数学・科学といった東西の「文化」「文明」の、決して対立的ではない複合的に結びついた関係性も持ち出しながら「西洋と非西洋」を脱力させる。
選択された複合的なアイデンティティとは、著者によれば「私はアジア人であるのと同時に、インド国民でもあり、バングラデシュの祖先を持つベンガル人でもあり、アメリカもしくはイギリスの居住者でもあり、経済学者でもあれば、哲学もかじっているし、物書きで、サンスクリット研究者で、世俗主義と民主主義の熱心な信奉者であり、男であり、フェミニストでもあり、異性愛者だが同性愛者の権利は擁護しており、非宗教的な生活を送っているがヒンドゥーの家系出身で、バラモンではなく、来世は信じていない(質問された場合に備えて言えば、「前世」も信じていない)。これは私が同時に属しているさまざまなカテゴリーのほんの一部にすぎず、状況しだいで私を動かし、引き込む帰属カテゴリーは、もちろんこれ以外にもたくさんある(P39)」といったもの。
インドは「ヒンドゥー文明」だというよくされがちな分類は、世界最大規模のイスラム教徒がいるという点を考慮していない大雑把な言い方だし、イスラムが排他的だというのも、他の宗教を認めたアクバル大帝と認めなかった他の皇帝の例を出してどちらでもあり得ると言う。現代で「西洋」の専売特許のように認識されている「民主主義」も、「自分たちの村はどんな立場の誰もが集まって発言をし、それを長老が聞いた」というネルソン・マンデラの言や聖徳太子の十七条の憲法がマグナ・カルタよりも600年も前だということで西洋だけのものではないと述べる。当然、ヨーロッパの自然科学の功績はイスラムやインドの数学がなければあり得ない。西洋・非西洋という「対立」を前提とした見方が間違っているのだと。
著者は特に、イギリスへの移民の共同体のためにイスラム教の学校を作るべきというような、「宗教」を第一意・第一義の帰属共同体とすることに異議を唱える。この根底には「イギリスを代表する食べ物はカレー」とイギリス人が言うといったように、移民がもたらした「文化」がすでにイギリスの文化となっている現状で、宗教だけが唯一のアイデンティティではないということがある。
セン先生の言わんとすることはとても普遍性のあることではないかと思った。
日本列島のことを考える。
例えば、部落や在日コリアンの子どもたちは宿命的なアイデンティティ以外の選択肢と出会う機会がない(少ない)のではないか。あるいは、文化的・経済的な境界線とずれた地方自治体アイデンティティや政治党派的アイデンティティによる囲い込み(「市民」と非「市民」の発言の重みの違いとか、フェミニストや「文化知識人」なら反原発、反戦、反企業で当然、とか…)。
開発の達成度は所得水準ではなく、自由の達成度によって評価されれるべき、それによって人間が潜在能力(ケイパビリティ)を発揮できるし、それが発揮できないのが「貧困」だというセン先生の考えとともに、「魚の目」の肥やしになった。
2012年03月29日
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社会・科学・思想
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読み終わった
(2012年03月29日)
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