アカシヤの大連 (講談社文芸文庫)

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  • 講談社 (1988年1月26日発売)
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清岡卓行『アカシヤの大連』(講談社文芸文庫、1988年1月)読了。

面白かった。
扱っている時代は小生が知らない時代だったが、そこで描写される大連は小生が知っている大連そのものだった。別の見方をすれば、大連を知らない方にとっては魅力がないかもしれない。

本書には、表題作以外に、「朝の悲しみ」「初冬の大連」「中山広場」「サハロフ幻想」「大連の海辺で」の6編が収められている。
本書は、まさに私小説で、病没した奥様への思いを綴った「朝の悲しみ」から、敗戦で帰国するまで過ごした大連への想い出を綴った「アカシヤの大連」、そしてしばらくして再訪した大連を描いた「初冬の大連」「中山広場」など、清岡氏自身の体験やノスタルジーを描いた作品ばかりである。

というのも、「初冬の大連」で触れているが、「大連で生まれ育った私は、敗戦のとき23歳の学生で、たまたま東京から大連に帰省していた。そのまましばらく残留し、戦後3年目の夏に引き揚げ船で祖国に戻った。」[p.317]というように、青春時代を大連で過ごしていたので、大連に対する思い入れが強い。

とはいえ、単なる大連紹介ではない。文章が美しい。
『うまいなあ』と思い調べてみると、詩人にして法政大学の教授だった。大学教授の文章はすべてうまいとはいえないが、詩人であれば一定のリズム感を持って文章を書く技術に長けていると思う。

「5月の半ばを過ぎた頃、南山麓の歩道のあちこちに沢山植えられている並木のアカシヤは、一斉に花を開いた。すると、町全体に、あの悩ましく甘美な匂い、あの、清純のうちに疼(うず)く欲望のような、あるいは、逸楽のうちに回想される清らかな夢のような、どこかしら寂しげな匂いが、いっぱいに溢れたのであった。」[p.112]

小生には到底このような表現はできない。それでも、清岡氏の表現したいことは十分に理解できる。
ちなみに、南山麓というのは、大連外国語学院があったあたり一帯の、かつては日本人街があった地区。
小生が半年滞在していた頃も、そこここにアカシアの木があり、香りを大いに楽しんだ記憶が残っている。また、5月下旬頃、大連ではアカシア祭り(槐花節)というお祭りが開催される。

大連はきれいな街である。
日露戦争時には旅順港を巡って日本とロシアの激戦地となったが、その後、満州となった地域の中心地である大連はそれ以前の英国支配、ロシア支配の影を色濃く残しながら日本によってまちづくりが進められた。
清岡氏は、終戦間近の頃の大連の雰囲気を次のように描写している。

「大連という都会の運命が、歴史的に見て、ふしぎに平和に恵まれたものであることを、彼がずっと後になってから知るのであるが、そのときは、そんなことを思ってもみなかった。そしてただ、戦争中におけるその不思議な余裕を有難いことに感じていた。
 大連には、飢えの雰囲気がなかった。日本の内地にいて、文字通り喉から手が出るほど欲しかった米、肉、卵、砂糖、酒、煙草なども、まだいろいろと入手の方法があるようであったし、魚類と野菜類は、現地で沢山取れるので、親しい中国人に頼めば、ほとんどいくらでも買うことができた。衣料品も、乏しいという程ではなかった。配給を受けるための、長い行列による屈辱感もあまりなかった。」[p.124]

もちろん、占領していた側の目で見た大連なので、現地の中国人にとってもこのような雰囲気が感じられたかどうかは分からない。しかし、「不思議に平和に恵まれた」という感覚は今に引き継がれているように思われる。

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感想投稿日 : 2017年7月2日
本棚登録日 : 2017年7月2日

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