《武満 徹》
という邦人作曲家を知ったのは1951年に作曲された“妖精の距離”を聴いたのが切欠だった。確か三年ほど前の事だったと思う。
瀧口修造の詩からこの曲の題名が取られているという事を知ったのもこの曲だった。
和声の上に可憐な和声が折り重なって出来たこの曲をとても純粋に綺麗だと思う。
そして、それが切欠でこのエッセイを読んでみたいと思うようになった。純粋な好奇心。
ストラヴィンスキーが「厳しい、実に厳しい。このような曲をあんな小柄な男が書くとは…」と彼に言った。
それを聞くと、彼はいったいどんな文章を、物語を書くのだろうか、という気持ちがあった。
このエッセイには彼の書いた散文も含まれている。
そしてそこに《骨月》というものまであったのには少なからず運命を感じてしまったわけだが…。>「骨水」
彼の文章は音楽と文化というものが一対になって一つのものになっているような気がする。
西洋と東洋の融合だ。琵琶や尺八や笙などの声とオーケストラの声が融合する。
そしてそこには変わることの出来ない血の壁がある。それはどうしようもない差であり、砦でもある。
たくさんの人々に読んでもらいたい。
彼を知らない人も、クラシック音楽を知らない人も、日本人でも、日本人でなくても、隔たりなく読んでもらいたいと、切に思った。
いつも同じ場所からではなく、歩きながら彼の言葉の姿を見てもらいたい。前から後ろから横から上から下から。いろんなところから。
(2009.01.22)
- 感想投稿日 : 2009年1月30日
- 本棚登録日 : 2009年1月30日
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