伝奇集 (岩波文庫 赤 792-1)

  • 岩波書店 (1993年11月16日発売)
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感想 : 190
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数年ぶりに再読。
面白いなぁ、と感興を覚えるのに、
一編読了して一旦本を閉じると、もう内容を忘れている……
そんな奇妙な本。
作品集『八岐の園』と『工匠集』を収録。
後者は読み物として、より洗練されている気がするが、
個人的には『八岐の園』編が好み。

【注】以下、ところどころネタバレ感もあります。

■八岐の園「プロローグ」

 > 長大な作品を物するのは、
 > 数分間で語りつくせる着想を五百ページにわたって展開するのは、
 > 労のみ多くて功少ない狂気の沙汰である。
 > よりましな方法は、それらの書物がすでに存在すると見せかけて、
 > 要約や注釈を差しだすことだ。(p.12)

 という言葉どおりに、虚構の何ものかを
 あたかも実在するかのように短く叙述し、論評する形式がメインの作品集。

 どんなに長大な物語も要領よくコンパクトに語ることは可能だ――の実践。
 但し、端折るのではなく、極大から極小へ「超」圧縮する方法で。
 やってみたら、小さいが非常に重い、異様に高比重な金属の円錐体が
 姿を現すのかもしれない……なんちゃって。

「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」
 百科事典の海賊版に潜り込まされた架空世界「トレーン」の項目。
 そこに存在するという物質が、語り手の座す「現実」を侵蝕し始める。
 いつの間にか異物がジワジワ充満していく静かな恐怖。
 ……あれ、これSF(笑)?
 余談になるけど「輝く金属の円錐」=「きわめて重い物体」(p.37)に似たものが
 野阿梓「アルンハイムの領土」に登場する(後で巨大化するが)。
 -----*引用*
  ゴルフボールほどの大きさだが、途方もなく比重の高い物質だった。
  鉛ではない。いや、金属ではなかった。
  なにかとても重い元素を含んだ鉱石だろうか。
  きれいに球型に研磨され、表面はところどころ、いぶし銀の光沢をおびている。
 -----*引用ここまで*

「アル・ムターシムを求めて」
 ボンベイの弁護士が書いたという(架空の)小説『アル・ムターシムを求めて』評。

「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」
 架空の文学批評。
 ピエール・メナールなる作家が
 セルバンテスに成り切って『ドン・キホーテ』を作出した、
 という設定で、それと本家を比較して論じた体裁のパロディ。

「円環の廃墟」
 夢みることで一人の人間を創造しようとする男の話。
 彼もまた、同じように夢の中で育まれた者だった。
 美しい単性生殖のイメージ。
 萩尾望都の幻想的な短編マンガに似た感触。

「バビロニアのくじ」
 くじ引きに生活のすべて、延いては運命までを委ねる人々は、
 国そのものが危うい偶然によって存立することを悟る。

「ハーバート・クエインの作品の検討」
 作家ハーバート・クエインの作品評という体裁のフィクション。
 架空のテクストの本文を「引用」することで短編小説を構築している。
 語り手=ボルヘスは
 クエインの四作品の一つ「提示」を基に自身の「円環の廃墟」を執筆したと述べ、
 虚構と現実の境界を曖昧にして読者を煙(けむ)に巻く。

「バベルの図書館」
 六角形の閲覧室の積み重ねという構造の「バベルの図書館」
 あるいは「宇宙」と呼ばれる巨大図書館について、
 そこで暮らし、末期(まつご)を迎えつつある老人が述懐する。
 彼は他の死者同様、中央の換気孔から無限の奈落に投げ落とされるだろう。
 もしかするとボルヘス自身が「出来ればそんな風に死にたい」という
 夢想を抱いていたのだろうか……と想像する。

「八岐の園」
 第一次世界大戦中、英軍のある作戦実施が延期された理由。
 歴史の裏に隠された逸話という体裁のフィクション。

■工匠集「プロローグ」
 > ハーバード・アッシュが幻の百科事典の第十一巻を受け取り、(p.143)
 →「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」参照。

「記憶の人、フネス」
 事故の後遺症で、見たもの・読んだこと、
 すべてをそのまま記憶できる驚異的な能力を得た男が、
 それ故に「忘れられない」「気持ちが安らがない」苦しみを味わう。
 あらゆる事象は何ら噛み砕かれずに漠然と記銘されただけでは
 その人の知恵にはならない――という皮肉な話。
 
「刀の形」
 顔に弧を描く刀傷、その由縁とは。
 語り手が聞き手であるボルヘスに騙った――という体裁の短い話。

「裏切者と英雄のテーマ」
 劇場で暗殺された謀反人の話……を書こうと考えて綴った構想メモ、か。

「死とコンパス」
 敏腕刑事が残された手掛かりを元に連続殺人事件を解決しようとするが、
 罠に嵌ってしまう話。

「隠れた奇跡」
 ナチスによって銃殺が決まった作家に起きた奇蹟。
 神の恩寵で時間が停止したため、その間に作品を完成させるが、
 死は免れ得なかった……ということは、
 作品は書き起こされず、彼の頭の中だけにあり、共に昇天したのか。

「ユダについての三つの解釈」
 ユダの裏切りは必然だったと説いて反論を受けたルーネベルクのこと。

「結末」
 弟を殺された男の復讐の顛末を、不自由な身体で見守る雑貨商。

「フェニックス宗」
 フェニックス宗と呼ばれる謎の宗派の話。

「南部」
 傷を追って入院し、治療を受けて退院した男が、
 アルゼンチン南部の農場へ帰ろうとする。
 列車が予定の終点まで行かないと知らされ、
 降ろされた手前の駅近くの店で食事を取ると、
 店員にちょっかいを出され、挑発され、しかも、
 南部独特のマッチョな空気、風土に後押しされるようにして、
 ナイフでの決闘に挑む羽目になる――という不条理な話だが、
 あるいは朦朧とした意識が彼に見せた胡蝶の夢なのではないか。
 いずれにせよ、彼は愛する「南部」に身を委ね、殉じ、合一するのだろう。
 そう考えると奇妙にエロティックな物語である。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ:  ラテンアメリカ文学
感想投稿日 : 2017年1月17日
読了日 : 2017年1月17日
本棚登録日 : 2017年1月13日

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