そもそも、良い馬をつけたけんこな車を、五十里ごとに1つずつ配置し、それを中程度の普通の御者に任せたなら、できるだけ速く、できるだけ遠くにゆくということも、達成できるわけである(なにも飛び抜けたものが必要なわけではない)
事実とは思わないことでも、十人が言うとあるいはと疑い、百人が言うとそうかもしれないと思い、千人になるとかたく信じこんでしまう
古い時代では、男でも耕作をしなかった。草木の実があって食物は十分だったからである。(中略)ところが、今、一人の人に五人の子供がいるのは多いとはいえないが、その子どもたちがまたご人ずつの子供を生むとなると、祖父が生きているうちに25人の孫ができることになる。こうして人間の数は増えて財貨は乏しくなり、汗を流して精一杯働きながら生活は貧しくなってきた。だから人々は争うのである(人口論。。。!!)
事は時代に従って変わり、対策はそのことに合わせて立てるべきである。
お上の利益と臣下の利益の違い
公然と古代の聖王を根拠にしたりするのは詐欺である(わかりようがないのだから)
お上が金持ちから税を徴収して、それを貧乏なものに施すとすれば、これは努力して倹約に勤めているものから奪い取って、贅沢をして怠けているものに与えるということになるのだ
その人物を実際に官職につけてみて、その仕事ぶりを検討したなら、普通の凡人でもその人物が愚か者か智者かを見分けるのに迷うことはない
法術をわきまえた君主は、偶然にしか現れないような善を追い求めないで、必然的な結果の出る方法を行うのである
そもそも民の本性は、労働を嫌って安楽を好むものである
悪事はどんな小さいことでも見落とさないというのは、密告と連坐の決まりによってそうなるのである
- 感想投稿日 : 2012年11月17日
- 本棚登録日 : 2012年11月17日
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