歴史から今を知る: 大学生のための世界史講義

制作 : 上杉忍  山根徹也 
  • 山川出版社 (2010年9月1日発売)
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本書は横浜市立大学の先生方が共同で展開されてある全学共通科目「歴史から今を知る」を読み物としてまとめられたものです。内容のテーマは「グローバリゼーション」、まず序章でグローバリゼーションを5段階に分け、そしてそれぞれに2,3章をあてています。「グローバリゼーションの5段階」とは、最初に前段階としての「グローバリゼーション以前(~16世紀)」、そして第1段階「資本主義的世界体制の形成の時代(1492~1770)」、第2段階「パクス・ブリタニカの時代(1770~1873)」、第3段階「帝国主義の時代(1873~1945)」、第4段階「冷戦の時代(1945~1989)」、第5段階「現在のグローバリゼーション」とされています。内容について個々の章の説明は控えさせてもらいますが、「グローバリゼーション」つまり“世界はつながっている”というのはもはや自明のことですが、ではどうつながっているのかについては、まるで蜘蛛の巣のようにさまざまな観点から歴史を見ることができます。この本を読ませていただき、(自分の勉強不足ももちろんありますが)今まで未知の視点から近現代史を見ることができました。以下私が新たに気づかせていただいた視点です。

24頁
「(『ヨーロッパ覇権以前』を書いた)アブー=ルゴドによれば、この「13世紀世界システム」の個々の参加者たちは、そこから自らの利益を引き出し、なおかつ他者に損害を与えることはなかった。またいかなる勢力もこの「世界」において覇権を握ることはなかった。結果的にそこには、共存共栄型の平和的な「世界」が成立していた、という。」
※もちろんこの論をそのまま無批判に(ましてや実際にルゴドの本を読まないで)受け入れることはできませんし、著者もパクス=モンゴリカと言われる13世紀世界についても触れています。

28頁
「(「13世紀世界システム」を結んでいた商品は)総じて高価な奢侈品であり、一部の富裕層・特権層のみが購買しうるものであった。・・・つまり13世紀に「世界」を現出した経済的ネットワークとは、あくまでも一部の人びとが享受しうる商品の流通網であり、身分や世襲職業などの社会的不平等を前提として成り立ったものである。この点を看過すべきではない。」

72頁
「(日米修好通商条約における)領事裁判制度は異文化間の接触にともなう摩擦を回避する機能もあったし、また当初は日本人の海外渡航は想定されていなかった。協定関税もこの条約では必ずしも低い税率ではなく、のちの改税約書で大幅に引き下げられることになった。むしろ、のちに海外渡航や通商政策が現実になっていくなかで、不平等な内容が問題化していったともいえる。」
※領事裁判制度が必ずしもマイナスな面だけではなかった、という話は最近よく聞きますね。

77頁
「(1871年の日清修好条規について)領事裁判権と協定関税をお互いに認めあう双務的な平等条約であったこの条約は、日中両国にとってはじめての平等な近代的条約であり、しかも近隣諸国としては中国とはじめて対等な関係を結ぶことになるという画期的なものでもあった。この条約の締結は、日本が中国との国交を結ぶにあたり、従来型の冊封体制のなかにではなく、欧米諸国との関係と同じ枠組みのなかに入ることを意味していたのである。」
※前半部分は授業で必ず説明する内容ですが、後半部分は恥ずかしながら私にはない視点でした。

106頁
「(フランスのブルム人民戦線内閣の成立の背景について)フランスでは(世界)恐慌による不満が蓄積するなか、(19)33年末から34年にかけて疑獄事件(スタヴィスキ事件)が発覚し、アクション・フランセーズやクロワ・ド・フなどの反議会主義右翼の政府攻撃が激化した。34年2月、暴動事件が発生し、内閣総辞職となった。こうした右翼勢力の過激化は左翼に反ファシズムの結集を促し、6月には共産党が社会主義者や民主主義者との提携戦術に転換した。35年7月には左翼政党と労働組合と市民団体からなる人民戦線が誕生した。人民戦線は恐慌対策を綱領に掲げ、36年春の選挙で圧勝し、人民戦線政府(ブルム内閣)を誕生させた。外交政策でも、ドイツの右傾化の情勢に対処するためソ連と接近した。」

108~109頁
「(ナチ党による国外ドイツ人居住区の併合政策について)急速な景気回復と完全雇用状態は瞬く間に軍需関連の熟練工不足、石油・ゴムなど重要物資の不足をもたらした。これに対し、ヒトラーは36年9月の党大会で四カ年計画を打ち出し、4年以内に軍に戦争準備を完了させ、経済にはそのための戦時重要物資の自給生産体制を構築させようとした。しかし、短期間に軍事力を増強する軍事偏重の政策は国家財政の危機を生み出し、人的・物的資源の拡大の必要に迫られて、38年3月にはオーストリア「編入」、10月にはチェコスロヴァキアのズデーテン地方の「併合」と、「平和的な領土拡大」へと突き進んだ。」
※当たり前のことかもしれませんが、ヒトラーの領土拡大政策には(彼の領土的野心だけではなく)政治的な意味もあったことを知りました。山川出版社の『詳説世界史B』には書いてませんから・・・。

138頁
「(アメリカで公民権がなぜ1960年代に認められるようになったのかについて)冷戦期に、国家が強大な敵に対峙する体制が強化され、敵への憎しみをあおるイデオロギーが動員された。その結果、支配体制に対する批判は、「非国民的」とみなされ、抑圧されることがしばしばあった。しかし、同時に敵と対峙する国家は、あらゆる国民の協力を必要とし、この時代には、差別されてきた女性や被差別集団の権利を保護し、彼らを国家に統合する傾向もみられた。それは、アメリカの黒人公民権運動のような被差別集団自身の運動なしには実現しなかったが、とくに1960年代後半以後、女性や少数派集団に対する政府の保護政策が試みられるようになった。」

145頁
「(なぜ第三世界の国には軍部独裁や政治腐敗が多いのかについて)第三世界の国々の多くは、全国的規模での統一した統治の経験が乏しく、経済的にも貧しく、概して政治的にも不安定だった。多くの国々では国家的な規模で行動する集団は軍部が中心であり、大国のこれらの国に対する働きかけは、軍事援助が中心だったから、軍部が政治を支配することが多かった。これらの国では経済開発の過程で軍部と結びついた官僚の権力が肥大化し、特定集団が私腹を肥やす政治腐敗が起きやすかった。」

149頁
「(ベトナム戦争で、米軍撤退後なぜ南ベトナムがあっさり北ベトナムに敗北したかについて)73年10月に起こった石油ショックによって引き起こされた世界的な経済不況によって、アメリカの経済援助で支えられていた南ベトナム経済は破綻し、南ベトナム政府軍は雪崩を打って敗走した。」

もちろん、歴史事象の原因は一つではないので、繰り返しになりますが以上の私の新知見は一つの見方として新たに知ったことを挙げただけです。長くなりましたが、最後に授業に使えそうなネタを3つほど。

「泉州がザイトンとヨーロッパに紹介された理由は、街並みを飾る刺桐樹(ザイトゥン)を愛でた外国商人達がもっぱらこの都市をこう呼んだから」
「1904年の第2インターナショナルの大会で、英語で演説した日本人社会主義者片山潜の言葉をフランス語に通訳したのが第1次世界大戦末期ドイツでスパルタクス団を牽引したローザ・ルクセンブルク」
「ソ連で1934年の第17回党大会で選出された共産党中央委員会委員と候補、および代議員の約7割が(スターリンが死去する)53年までに処刑された」

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 世界史
感想投稿日 : 2012年1月6日
読了日 : 2012年1月6日
本棚登録日 : 2012年1月6日

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