堕落論 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (2000年5月30日発売)
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感想 : 297
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 安吾のエッセイ集、表題作『堕落論』はちくまの全集(ベスト盤みたいなの)で以前読んだことがあって面白かったんですが、何年も前のことなので再読。やはり面白い。
 新潮版のまとめ方は発表年順、時系列に沿って読めるのでかなり良いと思う。音楽でも文章でも、あるいは絵でも何でも一緒ですが、発表順に見て行くと今までわからなかった点がわかることが多いです。それでいくと最初の『今後の寺院生活に対する私考』と『FARCEに就て』だけちょっと前のものなので、作風が違うしさほど面白くない。その後から面白くなります。
 『堕落論』『続堕落論』『天皇小論』『特攻隊に捧ぐ』『戦争論』なんかは戦後の戦争エッセイで面白いんだけど、今回面白かったのは後半の歴史エッセイのところ。全然知らなかったけど、随筆・純文学・推理小説・歴史もの等、安吾は色んなジャンルの文章を書いててどれも面白いんでびっくりしました。
 また、歴史探偵ものの題材がカトリック宣教師や道鏡だったりと、自分の興味あるところなのがとてもよい。地元だったりするし。地元といえば双葉山の話!新興宗教についても最高に面白い!大本や璽光尊の話が出てきます。

 お正月にタモさんの『戦後70年 ニッポンの肖像』ってやってて、これがめちゃくちゃ面白かったんですが、ゲストで出てた半藤一利は歴史探偵・安吾の弟子なんですよね。
 あと、そこでもオウム真理教について語られてたんですが、僕の考えだと日本人らしさというのは折衷することなんです。神仏習合や七福神などなど・・・諸星大二郎の漫画でも出てきますけど。
 神仏習合を最初にしたのは宇佐神宮と言われてますが、これ双葉山の地元でもあったり。あとケベス祭っていう謎の奇祭があるんですが、ケベスってエビス(夷)のことなんじゃないかなと。
 
 話が脱線しましたが、タモさんが「日本人は前の時代のものを全否定してきた」と言ってて、これどういうことかというと明治維新で江戸時代の文化を蔑ろにした、と。
 TVでは触れられてなかったけど、宗教的にいうと徳川幕府が政治利用してた仏教から、明治になると神仏分離で国家神道の政策になってしまう。戦後になると昭和天皇は人間宣言して宗教的空白ができてしまった、日本人のアイデンティティは完全に破壊されたんじゃないか、と。
 空白ができれば新興宗教に付け込まれる隙もできるわけで、資本主義教と共産主義教の対決がまずあって、どちらも’89~90年頃に崩壊しちゃう。そして学生運動がなくなったあとのしらけ世代(新人類世代)が中学生ぐらいの時(’74年頃)はオカルトブームだったわけで、彼らが20代後半の頃が丁度’89年頃、という流れがある。
 最後のまとめでタモさんが言ってたことは、資本主義と共産主義の良い所を折衷できるのは日本人しかいない・・・というようなことだったんじゃないかなあと。まさに日本人的だと思う。

 で、安吾なんですが新戯作派とか戯作復古って江戸期の戯作の精神ってことらしいし、新興宗教が形になってきたのは明治期だし、天皇も宗教も政治利用されてきたんでどうも全部つながっているようです。
※他の人のレビューを読んで追記。堕落論の堕落って聖俗の俗に落ちること、シンダラカミサマヨの逆、俗人として堕ちて生きよということかなと。特攻隊にしろ天皇の人間宣言にしろ。
新戯作派の精神としても、漢文学や和歌を正統として、聖に対する俗が戯作なので共通してます。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: エッセイ
感想投稿日 : 2015年1月7日
読了日 : 2014年12月7日
本棚登録日 : 2013年9月22日

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