川上さんのエッセー集。タイトルのルーツは、
世界クッキー、なはんて書いてみると「うふふ、世界のほうも、クッキーのほうも、ここで隣り合わせになるなんてことは、夢にも思ってなかったはず」
と、あとがきにあるように、全然別の世界の言葉の出会いと化学反応に文章を書くことの喜びを見出している作者ならでは。
章ごとに、からだのひみつ、ことばのふしぎ、ありがとうございました(文学賞受賞などの際の感謝の言葉)、きせつ、たび、ほんよみ、まいにちいきてる、ときがみえます、と、とても面白いカテゴリー分けになっている。
しょっぱなの「からだのひみつ」から、彼女の独特の感性が爆発。特に、彼女のこだわる「境目概念」。。
「唾」:口の中にあるうちはぐんぐん飲んだりしてるのに、なぜいったん口外に放出され、外気に触れた途端にきわめて汚物と認定されてしまうのか。爪とか髪の毛もそうですね。(以下略)
こんなこと思ったこともないけど、おっしゃる通り。
「世界には絶えず境目が存在し、その時々の入れ物や環境が本質を変革するのです。」
「境目を超えることになって姿勢や考え方の本質が変化するのなら、いつ何時でも信用できる主体性や本質なんてものはいったいどこにあるといえるのか。ふ、そんなものないのだぜ、と言ったほうがスマートな気持ちもするけれど、それでもやっぱり、そんなこと言わずに、やっぱり何がしかを判断するのは常に自身の中にあるブレない点の機能であってほしい、という願いもあったりして。」
このエッセイの特徴は、彼女自身の独特の感性から生じる問いを出発点としていること、そこからより普遍的な問題が抽出され、自らの感覚的なものの捉え方に従って、自分なりの解を、願望も込めて導き出していくという流れ。加えて、ときに方言や詩的な文体を用いた文章自体の持つテンポの良さ。どれも本当に素晴らしい。
いちばんすきだった話は、ほんよみあれこれ、の一節。
国語の教科書をすみからすみまでなめるように読んだのが読書の原体験であるという作者。
大人になってしまえば、限られた時間を読書に充てようとすれば自分の好みや必要性に会った本を読むことになり、逆に読みたくないものは読まないで済んでしまえるということで、いやでも出会って読んでしまうという幼少時の読書体験は、本質的に贅沢なものだったなあと述べる。国語の教科書が重いだけで憂鬱で仕方なかった自分との根本的・決定的な差異。思わずため息・・・
「自分の人生の局面を左右する出来事や決心の多くは、いつでもきっと自分の想像を少し超えたところからやってきて、まるで事故に遭うように出会ってしまい、巻き込まれてしまうものです。」
人生は自分の望みどおりにならない。自分で選べていることは実は数少ない。神経科学の研究でも、「人間に自由意思はあるのか?」というのは一つの大きなテーマだ。
作者は、数々の偶然性に支えられた人生を豊かに生きるには、「自分の知らない何かに出会うこと、自分の意識からの束の間の自由を味わってみること」が大事だという。
僕は、感受性が鋭い人は本質的に傷つくことも多いんじゃないかと思うのだが、川上さんの本を読んでいると、傷つくことを恐れていてはいかんのだと思わされる。素直で力強い。関西の女ゆえ?
そして、彼女がもう一つ大事にしていると思われる「自分と対象とのかけがえのない「一回性」の共有」ということ。その一回性のなかで生まれる感情や情景をことばにすること、に真摯に向き合っていると感じる。それは、彼女の表現方法が小説にとどまらず、詩や音楽まで多岐にわたることとも無関係ではあるまい。
傷つくことを恐れずに言葉にする勇気を持とう。
- 感想投稿日 : 2013年7月1日
- 読了日 : 2013年6月28日
- 本棚登録日 : 2013年6月28日
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