読んだことのない作家・避けてきたジャンルを読んでみようキャンペーン第2弾は、石田衣良先生。テレビによく出演されてた印象なんですが、今もそうなのかな?
人の個性というものは、他人をなくして成立しえないものだと、ふと考えることがあります。正確を期して言えば、「他人の目を通して見る自分」が、イコールその人の個性ではないか、と。
真面目か!←
セルフ突っ込みの後は真面目路線を脱線するのが常ですが、今回はもう少し語ります。
本作の主人公は、まるで透明人間のように存在感がありません。感情の起伏もなく、淡々と与えられた仕事(=娼夫)をこなしていきます。
これといった魅力もないような、平凡な20歳の青年。
そんな彼に夢中になる女性達が描かれるのですが、彼女達はいったい彼の何に惹かれたのでしょう。
そこで、話は一番最初に戻ります(前置きが長い)。
私が今作を読んで、「平凡な青年に夢中になる女性達」に見出したのは、「自己肯定を許された喜び」でした。
彼女達は言います。
「あなたは普通ね」
「あなた自身の体験ではなく、その場面を記録している第三者が報告しているみたい」
彼女達は彼に恋をしている訳では無いのでしょう。
「彼を通して」見える自分自身、あるいは自身の欠点が、初めてアグリーには見えなかったことに、喜びを、あるいは快感を感じたのではないでしょうか。
自身の性癖、自身のコンプレックス。
世間の目を通して見るそれらの個性は、人に誇れるものではありません。当然ひた隠しにします。何故なら、世間からすればそれらは汚らわしいから。忌々しい、恥ずべき醜態だから。
けれど、主人公の目を通して見る自分の個性は、決してアグリーではなかった。それどころか、優しく見つめてくれた。肯定してくれた。
彼女達は自分自身のコンプレックスを、存在感の薄い彼を通すことで、愛することができたのでしょう。
そう考えてみれば、この作品は癒しの物語であると同時に、究極のナルシシズムの物語であると言えるかもしれません。
- 感想投稿日 : 2016年9月3日
- 読了日 : 2016年9月3日
- 本棚登録日 : 2016年9月3日
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