harajiri@READING HACKS!さんの本棚»
東洋経済ハックシリーズの著者、原尻淳一の本棚です。 『READING HACKS!』で描いた「読書カード」をアップしています。
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【A:原本での文章構造把握】-----------------------------------------
(1)身体知の巨人-幸田露伴
-生活上の技術の達人として幸田露伴を位置づける
-娘・文(あや)への技の伝授
(2)露伴のスタイル-場と空間の教育力
-貧困育ち→生活の効率を如何に上げるかが少年露伴の課題
-文に対する「掃除の稽古」
(3)身体の延長としての道具と物
-道具や物に対するこだわりは露伴の身体知にとって本質的なこと
-箒(ほうき)の手直し=身体と道具の関係
-習熟によって得られた合理的な動きは美しい
(4)自分の型を見つけられるか
-「技法と道理の正しさ」=ならい練られた動き=型・技のもつ良さ
-型の評価・「三年稽古するよりも、三年かけて良い師を探せ」
-自分自身で基本を設定できないとしても、基本を体現している師を評価する眼は必要である
-急激な社会変動が型や作法のもつ意義を根本的に変えた
-型の歴史的凋落
(5)人を自由にし、活性化させる型
-型の教育的概念、あるいは型と形の違い
(6)型という機能美
-型の機能的意味=個々の動きのズレを修正するための基準線
-型は数学的な美学を持っている
(7)動きをどう無意識化するのか
-型は無意識と意識の境を往復するもの
-型を導入することによって行為が意識的なものとなる
-幸田露伴が娘の文に怒った言葉「偉大な水に対って無意識などという時間があっていいものか!」
(8)「限定する」ことの意味
(9)基本をどう維持するのか
-演劇の立派なレパートリーを維持することの方が難しい=型や基本技を維持することの難しさ
(10)本質を凝縮させる
-型や基本というのは“本質を凝縮”させたもの
-自分にとって重要な型あるいは基本技とは何かを見抜く力が必要
(11)限定の技術(ここは若干補足的横道)
-限定することによってパフォーマンス力がアップする
(12)型とは何なのか(ここで型に関する一度総括が行われている)
-型は非常に高レベルに達した者のパフォーマンスを凝縮したもの
-重要な基本が凝縮されているので、それを反復練習することによって自然と基本が身につくことになる
(13)技をまねる・盗む
-「見習い」「見取り稽古」=まねる力、盗む力が必要
-間身体的想像力
(14)古典の素読という文化
-型の教育の典型
(15)身体知としての教育
-自分の身のうちに既に蓄えられているものの本当の意味や価値が、人生のふとした場面で明らかになってくる
-湯川秀樹の素読
(16)技とは何なのか
-南郷継正の技論=「量質転化」=武道における技の習得目安:2万回
-得意技とは、相手にその技が知られて警戒されていたとしても、その技がかかるレベル
(17)自分の得意技をもてるかどうか
-柔道の事例:山下(内股)、古賀(一本背負い)、吉田(内股)
(18)型を通じて土台をつくる
-自分にとっての基本を持つことが一流とそれ以外を分ける
-「プロとアマを分けるのは、不調に陥ったときに立ち戻る基本を持っているかどうか」
(19)心技体という基本軸
-三つの基本軸をチェックの指標として技化していく
(20)坐法・息法・心法
-姿勢を調え、次に呼吸を調え、それから心(意識)の持ち方を調える
-野口整体=人間が本来持つ自然な気の働きを回復する技法
(21)ベストな結果を生む感覚を知る
-ティモシー・ガルウェイ『インナーテニス』=ヨガの方法をスポーツに応用したスポーツ心理学者
-かんっかうを鋭敏にすることによって自然に技術がアレンジされていくというやり方
(22)感覚を技化できるか
-イチロー=感覚の技化を体現し、また明確に言語化している=数学的定理
(23)意識と感覚
-感覚の技化にとって重要なのは、繊細な感覚をもつということ以上に意識で感覚を確認する作業
-メルロー・ポンティ『知覚の現象学』
(24)動きを見つめられるか
-癖と技は異なる。技は効果的であり、癖は効果とは関係がない
-反復練習が続けられると、その動きはやがて無意識の領域へ沈殿していき、技として定着する(=技の量質転化)
(25)西サモアでの英語教育
-反復練習の具体的事例
-授業が完全なトレーニングの時間。立って、時に移動しながら声を大きく出すというやり方が既に実戦的である
-坐って教科書を読むのとは行為の質が違う
(26)反復練習はなぜ必要か
-万単位のカラダを使った反復練習の価値を確信していることの大切さ
(27)テニス教室での経験
-空手の型をテニスに応用した話
-型は自分でつくる側にまわってみることが最良の道である
(28)型をつくるプロセス
-型を生み出すというレベルへ(章全体の総括も含め)
【B:文章構造分析】-----------------------------------------
1: 【導入】 幸田露伴という具体的ケースから入るわかりやすさ
2: 【詳細】 露伴の道具へのこだわりと型の美しさを娘・文の視点から説明
3: 【歴史】 型の評価がどう扱われてきたのかをざっと言及
4: 【分析】 型の機能についての詳細分析
5: 【本質】 型とは、限定し、本質を理解し、本質を凝縮させることによって生まれる
6: 【結論】 型とは、誰でも一定レベルまで引き上げる技術として残るもの
7: 【体得】 教育的視点での展開に移る:型を体得するにはまねる力・盗む力が必要
8: 【意義】 反復し、身体化させること
9: 【再導入】技の体得=量質転化
10:【視座】 技の身体化でチェックする基本軸の説明
11:【分析】 感覚を技化するには、感覚の言語化で意識を確認させる
12:【習得】 技化のプロセス:反復練習=無意識の領域へ沈殿=技の定着
13:【応用】 教育的応用をどうするか
14:【総括】 新たな型の創造プロセスについて
【C:文章についての所感】-----------------------------------------
・型から技へ、技の意味から技の体得へ、技の体得から型の創造へという大きな流れ
・一貫したテーマであるが、参考に出てくる文献の幅広さが魅力的
・斉藤孝氏の文章は短文で明瞭。しかも、言い方を変えて、かなりの反復刷り込みがなされる
・しかし、その反復が不快感を与えず、本質的な結論としてグッと心に刺さる
・はっきり言ってしまえば、自分の「キメ台詞」がたくさんちりばめられている感じ
・もしかしたら、確信した言葉をコピー化して、各節に適切に配置しているようにも見える
・実体験に加え、参考文献の幅広さと分析力、身近なスポーツを取り入れた解釈
・それが読者に説得力と身近さと視野の広がりを提供してくれる
2010年05月19日
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(2010年05月19日)
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■インタビューは仮説検証。
「ここで最も肝要なのは、なぜその人物に会いたいのか、会って何を知りたいのかを、もう一度、自分に問いかけて、明確な答えを出しておくことだ」(P68)
○「肝心なのは、どんな相手でも世間話ができること」(P91)
■自分のペン・シャープナーをつくる
「プロの書き手には自分なりの“集中の儀式”を持っている人が多い」(P127)
「Pen-sharpner:文章の勘を鈍らせないために読む本や、原稿を書く前に読むお気に入りの文章」(P128)
■宇野千代の心がけ
「書くことが大切なのではない。机の前に坐るのが大切なのである。机の前に坐って、ペンを握り、さア書くという姿勢をとることが大切なのである。自分をだますことだ。自分は書ける、と思うことだ。」(週刊朝日編『私の文章修業』)(P129)
■ノンフィクション作家本田靖春のアドバイス
「自分は作家だと思わないで、『職人』だと思ったほうがいいですよ。どんな職人でも、一人前になるには最低十年はかかるでしょう。ノンフィクションを書くというのも、年季のいる仕事でね。一人前になるには十五年はかかると覚悟しておいたほうがいいんじゃないかな。毎日の仕事を、職人みたいにコツコツと積み重ねていくことですよ」(P150)
■テーマの見つけ方
「テーマを見つけるうえで私が一番役立つと思うのは、一人旅である。日常とは違う風景や人々の中に身を置いてみると、自分の輪郭がくっきりしてくるものだ。それゆえ複数ではなく、一人の旅でなければならない」(P239)
○「ノンフィクションを書く仕事にとって最大の敵は無関心である」(P240)
2010年05月19日
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(2010年05月19日)
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■「リード」=ニュースの中身を短い文章で伝えること
○私は、わかりやすい説明とは、相手に「地図」を渡すようなものだと考えています。説明のための「地図」。それを放送業界では「リード」と呼んでいます。私はNHKに記者として採用されました。新人研修では、まず原稿の書き方を訓練させられます。ここで、こう言われました。「原稿を書くときには、必ずリード、つまり、『これはこういうニュースですよ』という短い文章から始めること。それから中身に入っていきなさい」(P18)
○情報を伝える相手に「地図」を渡すためには、その地図を描かなければなりません。そのためには、現地の全体像が頭に入っていなければなりませんね。つまり、内容がまとまってこそ、「地図」を渡せるのです(P23)
○リードの作成手順
1:話すべき内容をまず箇条書きにしてみましょう。
2:その箇条書きに基づいてリードをつくりましょう。
3:今度は箇条書きの内容がそのリード通りになっているかを検討しましょう。
4:リードにふさわしくないところが出てきたら、順番を変えたり削除したり付け加えたりしましょう。(P30)
○「目の前(テレビの前の)相手」を想像してリポート(P45)
■Visual Communicationへ
○映像の力は大変なものです。一万言を費やしても説明できないことが、一枚の写真、数秒の動画で説明できてしまいます。(P52)
■一旦、図解というフィルターを通すと、説明がしやすくなる(説明の要点が最理解できる)
○原稿をもとにして、いったん図解をし、そのうえで図解を説明する原稿に書き直せば、これもまた、図解(映像)と文章のコラボレーション、「映像と言葉の相互作用」が働くのです。(P57)
■わかりやすい文章とは・・・
○論理的に筋が通っている文章はわかりやすい。文を短く分けても破綻をきたさないのです。論理的な文章になっていない文章ですと、文を短く切っただけでは使い物になりません。文章自体を直す必要があります。その作業をすることで、わかりやすい文章にできるのです。その際、接続詞はつけずに短い文をポンポンと並べたほうが、リズムもいいし、わかりやすくなる(P62)
■省略は全体構造がわかっていないとできない
○「本当によく理解している人は、こんなふうにざっくりとひと言で説明できるのだなと思いました。それは、大胆に省略できるからです。何を話すかではなくて、何を割愛するか、ということも大事なこと。全体像が頭に入っていますから、落とすべき要素を選択できるのです」(P79)
■ノイズをなくすことが大切
○「わかりやすい説明をするうえでは、「絶対に必要な情報」と、「あってもなくてもいい情報」を峻別し、「絶対に必要な情報」だけを伝えること。「ノイズ」をカットした、クリアな情報が必要なのです」(P85)
■模型をもとに原稿をつくりなおす=原稿(原本)→模型→原稿(説明のための原稿)
■「三の魔術」=わかりやすい説明はポイントを三つに絞る
■言い換え=複眼思考的。
2010年05月19日
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(2010年05月19日)
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■序文から既に名文。やばい。
○「ぼくら人間について、大地が、万巻の書より多くを教える。理由は、大地が人間に抵抗するがためだ。人間というのは、障害物に対して戦う場合に、はじめて実力を発揮するものなのだ。もっとも障害物を征服するには、人間に道具が必要だ。人間には、鉋が必要だったり、鋤が必要だったりする。農夫は、耕作しているあいだに、いつか少しずつ自然の秘密を探っている結果になるのだが、こうして引き出したものであればこそ、はじめてその真実その本然が、世界共通のものたりうるわけだ。これと同じように、定期航空の道具、飛行機が人間を昔からのあらゆる未解決問題の解決に参加させる結果になる。」(P7)
○「努めなければならないのは、自分を完成させることだ。試みなければならないのは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っているあのともしびと、心を通じあうことだ。」(P8)
■彼は「人間本質の探究」をこの本で導こうとしていた。
2010年04月23日 | コメント(0) | いま読んでる
○夢・前兆・宇宙
■「夢見ることをやめてはいけないよ」と年老いた王様は言っていた。「前兆に従ってゆきなさい」
「おまえが何かを欲する時、宇宙全体が協力しておまえを助けてくれるよ」(P74)
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○眼に見えないメッセージ
■「誰もが理解できたのに、今はもう忘れてしまった『宇宙のことば』があるんだ。僕はその『宇宙のことば』を探しているんだよ」(P83)
■「彼のやり方は僕とは同じではなく、僕のやり方は、彼のやり方と同じではない。でも僕たちは二人とも、自分の運命を探求しているのだ」(P100)
■人々は絵や言葉に気をとられて、「大いなることば」のことを忘れてしまうのがおちだった。(P104)
■彼女の黒い瞳を見つめ、彼女のくちびるが笑おうか、黙っていようか迷ってるのを見た時、彼は世界中で話されていることばの最も重要な部分-地球上のすべての人が心で理解できることば-を学んだのだった。それは愛だった。それは人類よりももっと古く、砂漠よりももっと昔からあるものだった。(P110)
■らくだ使いは少年の言っていることを理解した。地球上のすべてのことは、すべてのものの歴史を表すことができると、彼は知っていた。本のページのどこを開いても、人の手のひらを見ても、一枚のカードをあけても、鳥の飛ぶのを見ても・・・・・そこで観察されたものが何であろうと、人はその瞬間、自分の体験しているものとの関連性を見つけることができる。実際には、そうしたことそれ自体が、何かを明らかにしているというわけではなかった。人々は自分のまわりに起こっていることを見て、「大いなる魂」とつながる方法を見つけ出すことができるということなのだ。(P120)
2010年03月14日
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(2010年03月14日)
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鶴見良行さんのお宅にお邪魔したのは、彼の死後2年くらいたった1996年頃だったと思う。大学院で「フィールドワークの技法」を研究するため、資料収集のやり方を鶴見さんのアウトプットから学ぼうというのが目的だった。
鶴見さんはまず、あるいて聞いたことを日記にメモする。そこには絵もあるし、地図もあるし、スケジュールもあるし、移動ルートも記載されている。(これは鶴見良行『辺境学ノート』めこん参照)
もちろん写真も撮るのだが、鶴見さんの腕はプロ級。朝日ジャーナルや朝日新聞に掲載されたこともあるくらいだ。あるくことでぼんやりと仮説を作る。この仮説を立証するために読書を事欠かない。これが独特の方法で小さいカードにテーマや特徴、文献、引用文、ページ数を記載する。これが何万枚とある。
鶴見さんの自宅で圧巻だったのは、昔図書館にあった図書カードが入っている木の引出しで、そこに何万枚というカードがあったこと。鶴見さんがこつこつと築き上げてきたデータベースなのだ。論文で書きたいテーマがあるとすれば、各章のテーマやキーワードをピックアップし、カードをグルーピングし、並び替える。さらに日記と写真が加わる。このデータの並び替えで、既に論文のほぼ8割ができあがる「仕組み」だ。つまり、鶴見さんは読書カードで「知のデータベース」を構築して、フィールドワークによる仮説検証ができるシステムを1人でこつこつ作っていたのだった。だからこそ、鶴見さんは晩年にものすごい勢いで書物を世に送り出すことができた。
その集大成が本書「ナマコの眼(まなこ)」だ。
とりあえず、ご賞味あれ。その膨大な情報量と編集力は圧巻の一言!
2010年03月29日
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(2010年03月29日)
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○呪術は科学の体系ではなく、独立したもの。形は類似している。科学の隠喩的表現というべきもの!
■呪術的思考や儀礼が厳格で緻密なのは、科学的現象の存在様式としての因果性の真実を無意識に把握していることのあらわれであり、したがって、因果性を認識しそれを尊重するより前に、包括的にそれに感づき、かつそれを演技しているのではないか?(P15-16)
■人間は、感覚に直接与えられるもの(感覚与件)のレベルでの体系化というもっとも困難な問題にまず取り組んだのである。(P16)
■化学はこの感性の証言が正しいことを証明する。植物学上は無縁のこの二つの科は、他の面で共通性をもっている。(P17)
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○よのなか何を信じるのか、それの基準は確率論だけではないか!
■呪術もときには成功するので、その意味で科学を先取りしてはいるけれども、成績という点では科学が呪術よりよい成績をあげることは事実であるから(P18)
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○具体の科学は、根強くて、つねにめざめた好奇心に基づく、観察と実験である。
■多くの場合ながい時間を要するこれらの複雑な技術を作りあげたりするために必要なのは、疑いの余地なく、ほんとうに科学的な精神態度であり、根強くてつねに目覚めた好奇心であり、知る喜びのために知ろうとする知識欲である。なぜなら、観察と実験(それら自体がまず第一に知識欲にはじまるとかんがえられるべきである)のなかで、実用に役立ちすぐに使える結果を生じうるものは、ごく一部にすぎなかったのであるから。(P20)
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○奥底に潜む「本質」を察知するのは、美的センスに関わる問題。
■美的感情にとって同等とみなしうるものは同一の客観的現実に対応するとしておくことは、思考においても行動においても有利である。自然はそのようにできているのである。ここはその理由をもとめる場合ではないが、おそらくは、形なり色なり匂いなり、なにか目立った性質をもった種類は観察者に「追求権」とでも呼ぶべきもの、すなわち、外からわかるこれらの特徴は、同じ特殊なものでありながらおもてに出ない特性の印であると考える権利を与えるのある。(P21)
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○発見について。
■ある種のタイプの発見とは、感性的表現による感覚界の思弁的な組織化と活用とをもとにしてなしえた自然についての発見である。このような具体の科学の成果は、本質的に、精密科学自然科学のもたらすべき成果とはことなるものに限られざるを得なかった。(P21)
∴
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○原始的科学=具体の科学の方法について。
■プレコルールbricoleur(器用人)とは、くろうととはちがって、ありあわせの道具材料を用いて自分の手でものを作る人(P22)
■神話的思考の本性は、雑多な要素からなり、かつたくさんあるとはいってもやはり限度のある材料を用いて自分の考えを表現することである。何をする場合であっても、神話的思考はこの材料を使わなければならない。手もとには他に何もないのだから。したがって、神話的思考とは、いわば一種の知的な器用仕事である。(P22)
■いままで集めてもっている道具と材料の全体をふりかえってみて、何があるのかをすべて調べ上げ、もしくは調べなおさなければならない。そのつぎには、とりわけ大切なことなのだが、道具材料と一種の対話を交わし、いま与えられている問題に対してこれらの資材が出しうる可能な回答な解答をすべて並べ出してみる。しかるのちその中から採用すべきものを選ぶのである。(P24)
■作り上げると言っても、結局のところ、でき上がりと材料の集合とは部分の内的配列が異なるだけである(P24)
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○科学=開く=発見=向こう <新たな発見>
○器用=組み替える=効率=手前 <本質的理解>
■したがって、つぎのように言うことができるだろう。科学者と器用人はどちらも情報をねらっている。しかし、器用人の場合、その情報はいわば前もって伝えられているものであって、彼はそれをよせ集めているのである。それは商用電略コードにたとえられよう。それにはこの職業の過去の経験が圧縮してあり、これを用いれば、あらゆる新しい状況(ただしそれが過去にあったものと同類の状況であるという条件において)に対して経済的に対応できる。それにひきかえ、エンジニアであれ物理学者であれ科学者は、リハーサルのしていない問に対してなかなか口を開かぬ話し相手からつねに今までになかったもう一つの情報を引き出してやろうとする。かくして概念は仕事に使われる資材の集合を開く操作媒体となるが、記号作用はその集合を組みかえる操作媒体であって、集合を大きくもしなければ更新もせず、ただそれの変換群を獲得するだけにとどまるのである。(P26)
■器用人はつねに自分自身のなにがしかを作品の中にのこすのである。(P27)
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○科学とは何か。科学を乗り越えるには何が必要なのか。
■科学がその誕生に際して科学性として要求した性質は、体験には属さず、あらゆる出来事の外にそれとは無関係なもののように存在する性質であった。(P28)
■神話的思考は器用人であって、出来事、いやむしろ出来事の残片を組み合わせて構造を作り上げるが、科学は創始されたという事実だけで動き出し、自ら絶え間なく製造している構造、すなわち仮説と理論を使って、出来事という形で自らの手段や成果を作り出してゆく。(P28)
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○「相同体」という概念。違う対象のなかに同じ構造があること。
○美的感動の原因
■美的感動は、人間がしたがってまた潜勢的には鑑賞者が、作り出すものの中におさめられている構造の次元と出来事の次元とのこの結合から生じる。(P32)
○構造=必然=内在性/出来事=偶然=外在性
2010年03月14日
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いま読んでる
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本書は月刊『すばる』に3ヶ月連載されていたものを修正加筆し、新書化したものだ。網野善彦追悼文が多くの雑誌に掲載され、その殆んどは書店で立ち読みしてはいたのだが、網野善彦をここまで書き上げることが出来る人は中沢以外まずいないだろう。
既に網野が『異形の王権』で後醍醐天皇を巡る悪党とのつながりを描き、その後中沢が『悪党的思考』で網野史学をサイドでサポートしていたことは知っていた。親戚だということも知ってはいたが、その背後でどういう動きがあったのかについては全くわからなかった。そこで少し中沢家と網野家がどういう結びつきだったのかを簡単に説明することからはじめたい。
そもそもは中沢の叔母に当たる方が民俗学の研究をしており、そのつながりで網野善彦と恋愛結婚したことがきっかけなのだ。(その結婚報告に中沢家に来た時、当時5才の中沢は背が高く、眼が大きい網野善彦を「アメリカ人」と間違ったらしい。)網野は中沢の父、厚との親交をとても大事にした人だった。網野は自分の評価を「周りには天才がいるが、僕は鈍牛だ」と言い、それに対し、厚は網野に「最後に勝つのは鈍牛だよ。鈍牛には頭の切れる奴が思いもしない大きな仕事が出来る」と励ます。こうして農業を生業としている厚の地べたについた思想と、コミュニスト思想が網野の思考にマッチしていく。そういう事情からか、網野は中沢家を訪れる際には必ず厚と夜な夜な議論をしていたという。その現場の傍らには常に中沢がいたのだった。さらにこのタイミングで中沢は網野から、歴史資料を見る視点を教育されている。こんな具合にだ。「権力の中心にいる人は絵巻の真ん中に描かれているだろう。しかしね、新ちゃん、その外側に描かれている人を見てごらん、服装やしぐさを見るとこの人がどういう人だったか、この時代にどういう役割をしていた人がいたのかがわかるようになる」。
中沢が描いている中で感動的なのは、網野史学が誕生した瞬間、つまり、名著『蒙古襲来』の発想が生まれる現場のやり取りだ。1968年、アメリカの原子力空母エンタープライズが佐世保港に入る時に起きた暴動をニュースで見ていた中沢厚が注目したのは、学生が機動隊に対し、さかんに投石をしているシーンであった。この投石は厚が幼少のころ、お祭りで川を挟んで投石合戦をし、血みどろになりながらも、親からは怒られず、むしろ褒められた過去を思い起こさせた。これは民俗学的な意味があるのではないか。これが厚がたてた最初の仮説だ。これを網野に話したとき、彼はほとんど泣きそうだったというのである。前記したとおり、網野は権力の外側にいる人たちにまなざしを向けていたけれども、その意味を明確に解らなかったらしいのである。しかし、厚とのこの議論から自分が歴史学で何がやりたいのかがはっきりしたのだ。そう、ここが網野史学のスケールの大きな原点なのだが、「単なる日本の歴史ではない、人類の本源」、言い方を替えると「日本人が持つ野性」を掴むこと、これが明確に意識化されたのである。
こうして『蒙古襲来』が誕生し、次いで傑作『無縁・苦界・楽』が誕生した。
僕らは一度でも網野史学を食べてみるべきである。入門篇としては何と言っても、ちくまブックプリマーの『日本の歴史をよみかえす』だろう。
話は変わるけれども、網野善彦の思想を巧みにアニメに変換しているのが、僕は宮崎駿のような気がする。特に『となりのトトロ』や『千と千尋の神隠し』は根底に、網野が追い求めていた「原始の野性」が息づいている。こういう点を見ると、日本の民衆の意識の根底の根底には、網野史学に通じる水脈があるような気がするのは僕だけか・・・なぁ。
2010年03月29日
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読み終わった
(2010年03月29日)
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■これは最近、何度も何度も読み返している三枝匡さんの近著。
■人材育成のプロセスと経営マインドに関しての関心が
最近高くなっていることが本書に向かう原動力になっている。
○プランニングというのは抽象・論理・仮説の世界ですよね。それによって組み立てたことを現場で実行してみて、いまくいったとかダメだったとかで、また抽象・論理・仮説の世界に戻る。理屈だけならコンサルタントの世界だし、理屈なしで経験主義だけならただの職人。
経営者人材が育つプロセスというのは、理屈で考えた、そこから導いた仮説を現場で実際にやってみた、ダメだった、また理屈で考えた、それでもダメだった、もう一度理屈で考えた、今度はうまくいった、そんな行ったり来たりの中で、因果律データベースを豊かにしていくのだと思います。要するに、経営力を上げていくというのは、試行錯誤の回数だと思います。(P100)
■自分だけの「ビジネス・スキーマ集」をつくる…に通じている
さて、読書と業務を行ったり来たりしながら、何年も仕事をしていくと不思議とコツが見えてきます。読書から得た知(=スキーマ)を現場に変換して工夫を凝らしながら、使えるものと使えないものを確かめて、自分に合ったやり方を探っているのが多くのビジネスマンの実態でしょう。
ビジネスにおける読書とは、他人のスキーマを買うようなものです。逆に言えば、自分のビジネスに参考になるスキーマがたくさん欲しいから読書をしているのでしょう。しかし、重要なのは、このスキーマをアレンジして自分の仕事にフィットさせることの方ではないでしょうか。読んだらそれがそのまま当てはまるような、単純な仕事はこの世には存在しません。だからこそ「変換」という作業が大事で、その結果、本当に自分の血肉となった法則や因果律がある人が本当にビジネスを動かしていくのだと思います。
わたしに読書の喜びを教えてくれた阿部謹也さんは「わかる」ことと「知る」ことの違いを明確に指摘されています。「わかるということは知ること以上に自分の人格変容に関わる何かなのであって、それはひとつの事件である」と。つまり、わかるということは、知ることで得た知識を自分流に変換でき、その結果、態度変容にまで行き着くことなんです。読書というのは知る作業でしかない。ですから、いくらたくさん知識があったとしてもそれだけでは駄目で、「スキーマを変形させた自分だけのスキーマ」を獲得することが重要なのです。
そこでわたしがやっているのは、「自分だけのビジネス・スキーマ集」を忘れないように貯めていることです。梅田望夫さんが『ウェブ時代の5つの定理』で示されたような偉大なビジョナリーの名言は、その言霊が偉大で吸引力が凄いものばかりですが、あれをもっと身近な読書からたくさん収集すること。そして業務で実践し、実験しながら、それを自分の言葉で持って一歩進めること。自分向けに言葉や法則をアレンジして、自分スキーマを貯金していくことが、「思考のホーム・グランド」を形成するコツなのです。
(『READING HACKS!』P149~抜粋)
■現場を動かす力学=(ストーリーによる熱き心の刺激)+(信頼による納得性)
*特に中間管理職は両方がないと通用しにくい
信頼による納得性=権威性/共生感(かなり政治的)
○私はこれまで、企業の外から乗り込んで事業再生に取り組むことを繰り返ししてきました。西郷隆盛に部下が黙ってついていくような信頼関係はもともとないところに乗り込んでいくのですから、頼るのは明快な論理しかなかったと思います。もしかすると私に対する信頼感は、この人は一体誰なんだと疑われている分だけむしろマイナス値の状態から始まっており、私はハンディをカバーして余りある強力な戦略ストーリーを立て、その論理性で勝負することを迫られたというのが正しい構図だったような気がします。
論理に頼らず信頼によって相手の熱さを引き出す手法というのは、誰もが黙って言うことを聞くくらいの何らかの「権威性」があるとか、ある期間同じ釜の飯を食ったというような「共生感」のようなものがベースにあるのではないでしょうか。
今のミスミにおける社長としての私とその部下は長期の関係ですから、その昔、私が再生企業に1人で乗り込んで行って改革をやろうとしたときに比べれば、いちいち論理的に説明しなくても「信頼による納得性」で話が通る度合いは強いですね。(P222-223)
2010年03月14日
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■政府の権威は薄まりつつある。広告が利かない。テレビの権威も薄まってきた。
国家権力としての検察の力。ここまで出来るのか、と思っている人が大半だろう。
■なだいなだが描いた精神科医と高校生と対話『権威と権力』は
1974年初版の書籍だが、いまも輝いている。いまこそ、権威と権力の秘密を
僕らが熟知して、どう構えるべきかを考えるべきだ。
■民際学を考える上でも、たいへん刺激的、かつ参考になる。
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○「権力は組織に属する人間に、組織のしくみに沿って働く。
しかし、権威は、その外側にも働く」(P36)
○「個人的な権威の場合には、権威を持った者と、それを感じるものが
直接に触れあっていた。地位の権威の場合には、二つのあいだに権力が
割りこんで来て、権威を遠ざける。権力は常に背中に背負った形をとる」(P46)
■国家という権力機構が、人と人との関係で形成されていた権威を遠ざけ、
自発的に、内在的に発生する権威の畏怖をかすめさせた。
○「権威とは、命令とか服従とか、信じるとか信じないとかの、
そういう人間関係を支えているなにかなのだね」(P53)
○「《いうことをきく》のは、《いうことをきかされる》のではないんです。
《いうことをきかせる》というのは、《いうことをきかない》連中に、
《いうことをきかせる》のです」(P58)
○「《いうことをきく》のは権威によるので、《いうことをきかせる》のは、
権力だということになるかな」(P58)
○「権威も権力も、いうことをきき、きかせる原理に関係している。権威は、
ぼくたちに、自発的にいうことをきかせる。しかし、権力は、無理に
いうことをきかせる。そして、今のぼくたちの社会は、少し、それが
くずれかけてはいるけれど、この権力と権威が二重うつしの一つのイメージを
作っていて、それがぼくたちにいうことをきかせ、まとまりを作らせている」(P62)
○「権威とは・・・権威を感じるものの内部にあるものが投射されたものだ」(P68)
【反抗期の構造:子供と大人の関係】
○「子供と大人の人間関係が出発点です。力のないものと、あるもの、
知識のないものと、あるもの、依存するものと、されるもの、
そうした関係がはじまりです」(P69)
○「依存的な人間関係が出発点にあって、その影が次第に薄れて行くことで、
次第に対等な人間関係に近づく」(P69)
■子育ても、OJTもこれが基本だ。近づくにつれて、大人の扱いをしないと、
反抗期になる。この時期のコミュニケーションって大事だね。
○「権威を持っていたものが、それを失ったのではなく、権威を感じていたものの
成長がそれを感じさせなくなったということ」(P73)
■これは納得!!自分の経験からしても、そうだった。
○「今の社会の権威もそれを持っていたものが失ったのでなく、
人民が支配者と本質的に変わらないという自覚を持つように
なった必然的な結果」(P73)
○「権威には内部的な不安が、権力には外側からの恐怖が対応する」(P80)
○「自分と同じような人間に判断されたくないのだね。自分たちを越えた
ところにある権威の判断でなければならないわけだ。だから権威というものは、
常に最高のものを指向する」(P106)
○「いちばんいい選択の手段は、人の意見をきくよりは、自分で飲んでみて
自分の好みにあうかあわないか、自分でためすことだ。それで判断を
下したらいい。ところが、その自信がないから、他人の、しかも自分より
たしかだと思う人の判断を求めるのだね」(P116)
○「どんな判断も絶対的なものではないという条件で、判断すればいいのだよ。
だが、絶対的な判断を求めてしまうから、ぼくたちは権威主義的になる。
広告なんてものを、絶対的な判断の根拠にしないで、単なる目安と考えて
おけばいいのさ」(P118)
○「自分と同等の人間の判断だと思ったら、信じられない。自分より上の、
自分の能力を越えた人間の判断だというように信じたい。そこで、そう
思わせるものが持ち込まれる」(P121)
○権威に頼る人たちのことに触れた上で・・・
「自分の目でたしかめるということを忘れ、直接に現実にふれようと
しなくなることの結果のもつ、こわさですね。
そうだよ。ベルクソン6の影響を強くうけたミンコウスキーは、人間が
妄想を持つようになるのは、人間が《生きた現実との接触を失う》からだ
ということを発見した。ぼくたちが、現実に触れずに権威によってものを
判断しようとする時、妄想的になっていくことはたしかだね」(P127)
○権威の発生:
「無知であると、強制的に認識することで、知っているものの権威を
認めさせようとするのです」(P140)
→「この論理はね、また、自分の権威を認めさせようと思う権威主義者たちが
いつも用いる手段でもあるんだ」(P140)
○「もう1つの点を見つけて、三角形を作ることだね。三角形を作れば距離が
はかれる。これならば、自分が無知のままでも、一つの権威だけに
従うことはない」(P146)
○「脅迫は物理的な力で、つまり暴力で相手を従わせるのだし、
命令は権力という機構の力で従わせることです」(P152)
○「自我の確立というのは、他者と対等の自分を意識することです」(P168)
■こどもの自我は、親と対等である自分を意識することなのか?
○「今の専制に対する民衆の怒りが、いつの間にか、未来の理想社会の中に
救いを求めさせた。つまり、すりかえられたといってもいい。むしろ、
革命を考える時、革命理想よりも、民衆の専制に対する抵抗の方に、
目を向けるべきではないのか」(P194)
○「民衆をかりたてたのは、革命の情熱じゃなくて、現実に対する抵抗なのだ。
ただ、その抵抗の無目的な性格が、とかく、ぼくたちをばらばらにさせる」(P210)
■現代日本の政権交代の構造もこの視点で説明できる。民主党のマニフェストではなく、
反自民党政治だったということ。
○「権力を否定するのなら、非権力主義者あるいは反権力主義者にならねばならない。
権力を奪おうとするのは、すでに権力支配を認めることになる。権力を奪取しよう
とする人間も、さけがたく権力主義者にならざるをえないのだ。そこに革命が
永久に繰り返されねばならない出発点があるんじゃないか」(P195)
○「非暴力の抵抗は、ただ自分が、どれだけ、権威にも権力にも屈しないかを、
たしかめようとするだけのことです。権威なき世界、権力による支配なき世界を
理想としていますが、そうした世界を自分たちが作ろうとするのではありません。
その理想は、自分のものじゃない。はるかなところにあるのです」(P221)
○「権威という、人間が他の人間に、自発的にいうことをきかせるものが力を失い
権力がその埋め合わせをして、力で人間をまとめようとしている時代だからね」(P224)
○「防衛の意識によって、権力支配は、いつも正当化される」(P225)
○「とかく、もとの岸へもどりたくなるのさ。人間が持つユートピアというものは、
はるかなところにあるから、そこにたどりつこうとするよりも、もと来た方向に
ひきかえすことの方が、現実的に見える」(P238)
2010年03月14日
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(2010年03月14日)
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○原則1:自分が最終的に受け取る利益(結果)は、自分の戦略行動のみならず他人の戦略行動にも依存することを認識し、自分と相手の戦略の組み合わせを評価する。(P25)
○原則2:自分の行動を決める際には、まず相手の行動をさまざまに予想し、それに対してその自分の行動が適切かどうかを判断する。(P27)
○原則3:もしある戦略が、どのように予想された相手の戦略に対しても、自分のほかの戦略よりもすぐれているならば、その戦略を選択すべきである。(P28)
○原則4:相手の戦略を予測するためには、可能な戦略の組み早稲から得られる相手の利益を、相手の立場で評価し考察するべきである。(P30)
○原則5:相手の戦略を自分の都合の良いように予測せず、相手は自分の行動に対して最善を尽くすと予想し、その予想のもとで自分も最善を尽くすことを考える。お互いに予測される行動に対する最善の行動をとるような状態を戦略の均衡状態という。(P32)
○原則6:相手より先に自分の行動を決定できるとき、自分のそれぞれの行動に対し、それを見た相手がどのように反応するか、相手の利害を考えることによって先読みして、現在の戦略の選択をすべきである。(P36)
○原則7:自分がある特定の行動をとることを相手に確約(コミット)することができれば、より有利な結果を自分に導くことができる。行動の確約のためには、見掛けは不利な戦略をとることが確約を信頼できるものとするために有効なこともある。(p40)
○原則8:戦略的関係にある主体が、お互いが何をどれだけ知っているのか、またしっていることをどれだけ知っているか、など、お互いの情報の構造を把握することが重要である。(P42)
○原則9:相手の利益を考え先読みすることにより、戦略的リスクを軽減できる。(P51)
○原則10:勝ち負けが問題になる戦略的環境では、相手の戦略の中に絶対に有利な戦略や不利な戦略を生み出さないように、みずから戦略的リスクを作り出すべきである。(P55)
2010年03月14日
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(2010年03月14日)
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■『生きるヒント』以来、五木寛之の本を読んで「意志」を持つことの再認識。
○どんな人でも、自分の母国を愛し、故郷を懐かしむ気持ちはあるものだ。
しかし、国を愛するということと、国家を信用するということとは別である。
私はこの日本という国と、民族と、その文化を愛している。しかし、国が
国民のために存在しているとは思わない。国が私たちを最後まで守ってくれる
とも思わない。(P7)
○国民としての義務をはたしつつ、国によりかからない覚悟。最後のところで
国は私たちを守ってくれない、と「諦める」ことこそ、私たちがいま覚悟
しなければならないことの1つだと思うのだ。(P9)
■これは会社にも、組織にも、コミュニティにも当てはまる。
○これまでの自分をいったん捨てさったところから、新しい生活がはじまる。(P14)
■わかるというということは、昔の自分が一度死んで、新しい自分(新しい行動規範で動く自分)
が誕生したという点で、事件なのだということ。
○戦後五十年は躁状態。現代は避けようのない鬱の時代。(P40-46)
○人間は、最後は一人で死んでいきます。夫婦であれ親子きょうだいであれ、他の人と一緒に
死ぬことはできません。だれでも最後は一人なのです。しかし、そのことが分かっている
人間同士が身を寄せ合って一緒に何かをしていくからこそ共同作業というのは尊いのだと、
考えなければなりません。(P94)
○人間はDNAの二重螺旋構造のように、善と悪の両方を内包して、悩みながら生きていく
しかないのであって、少なくとも、そういう悪を抱えて生きているという意識のかけら
ぐらいは持つべきだろうと思います。(P160)
○トルストイが言ったように、「知識人や芸術家は一介の農夫に学ぶべき」なのだという
気もしています。いかに優れた知識やセンスを持っていても、彼らが自然とともに
生きていく中で養い、体得している情念にはかなわないものがあると思うのです。(P165)
○親鸞は、弟子一人もつくらず、と言いましたが、それは結局のところ、人は一人でいく、
ということなのではないか。(P172)
○自分の親もきょうだいも、夫婦も子どもも、自分の一部ではない。むしろすべての人々が
兄弟、家族であると考える。それは逆に人間は最後は一人という考え方と同じです。
人生は孤独で、憂いに満ちています。あらかじめ失うとわかったものしか愛せません。(P190)
■一人でいることが当たり前。友達、家族がいるのは、尊い奇跡。
2010年03月14日
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(2010年03月14日)
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■並大抵の神経の持ち主ではない。「忠誠」と「才能」のみを
重用する彼のスタイルは、まるで織田信長のようだ。
■膵臓がんになった時の話は、とても共感する。
○人生で大きな決断を下す際にもっとも助けになったことは、
もうすぐ死ぬということを頭に入れておくことだ。周囲の期待や
プライド、または失敗や恥への恐怖は、死を前にすると消え去り、
本当に大事なことだけが残る。(P218-P219)
■ジョブスの給料の話(アップルの給料は1ドル)は有名だが、
何故か?その回答はしびれる。
○「毎日、会社に行っては、アップルでも、ピクサーでも、世界中
でいちばん才能のある人たちと仕事をしている。世界一の仕事だ。
でも、この仕事はチームスポーツなんだ」
そう。ジョブズにとって大切なのは、必ずしもお金や名誉ではない。
才能のある人たちを集め、ときに怒らせ、ときに鼓舞しながら、
世界をあっと言わせるようなものをつくり出すことだ。宇宙に衝撃
を与えるようなものを創造する。これこそがもともやりたいことで
ある。得意なことであり、なにより喜びを感じることなのだ。
(P155)
2010年03月14日
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(2010年03月14日)
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■狐狸庵先生の経験的読書術
○Aという作家なら作家の作品を全集でまず読む…Aの小説は
もちろんのこと、その日記、書簡まで全て読む。(P14)
○これがすめば、Aが影響を受けた作家に手を広げるのである。
大体、1人の作家は自分だけの力、自分だけの個性で文学的開眼
をしてはいない。彼は必ず同世代や先輩の作品に影響を受けて
いるか、外国の文学、あるいは古典の中に、愛読書というものを
持っているはずである。(P15)
■これは内的動機を持った後の作業であろう。全く読書に興味を
持っていない人がこれはできないから。
【 結 論 】
1:自分で何か問題をもって本を読むと頭によく入る。
2:1人の著作家のものを全部読むこと。それからその人の影響を
受けた本に手を拡げる。
3:読書の姿勢や時間にはやはり各人うまいやり方があるから、
それを発見すること。
■パラレル・リーディングは誰もがやっていることなのだな…。
○ロンドンに行けば、グレアム・グリーンの『情事の終り』の
小説をまた読みなおし、そこに出てくる通りや教会や公園を地図
で探して翌日、暇をみてそこを歩く。ロンドン塔や大英博物館に
出かけるよりも、その訪問のほうがはるかに私の好奇心を満足
させたし、またグレアム・グリーンの小説技術の一部を知る上で
勉強になった。(P52)
2008年08月06日
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読書の幸福(P100〜P173)
○読書っていうのは、そういうときに、ここにカッコをつけて
強調したいんだけど、「その人にとっての意味」があると思う
んですね。(P105)
○どんなものであれ、そのひとにとってモティベーションがある
のであれば、その本の存在価値はある。(P107)
○内的動機なき読書を押しつけるということはね、こういう
鼻持ちならない人間を育てる可能性すら内包しているといわざる
を得ません。(P111)
○だから、私は、内的動機のないところに、課題図書だの読書
感想文だのというような制度的な形で、やみくもに本を与える
ということは、そういう危険をはらんでいるということを警告
したいんです。無理に与えなければね、そういうつならなかっ
たなとかいうような先入主をもたせる機会もあり得ないわけだ
から、何か内的な動機が湧き上がってきたときにね、自分が求
める本を自分で本棚から掴み出す。そのときを待つべきなんで
す。(P114)
■内的動機を何で作るか、それは「座右の書」に出会うことな
のではないか。
○ダニエル・ペナック『奔放な読書』=「読者の権利十カ条」
第一条:読まない権利
第二条:飛ばし読みする権利
第三条:最後まで読まない権利
第四条:読み返す権利
第五条:手当たり次第なんでも読む権利
第六条:ボヴァリズム(小説に書いてあることに染まりやすい病気)
第七条:どこで読んでもいい権利
第八条:あちこち拾い読みする権利
第九条:声を出して読む権利
第十条:黙っている権利
■とにかく、読書=敷居の高い、面倒くさいものという意識を
払拭してくれる、初級読書にはもってこいの文章。
2008年08月06日
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