あなたが誰かに殺されたとする。
しかし、監察医や法医学者、警察医などがそれを見抜けなかったために病死として扱われてしまえば、事件として浮上することもなく、犯人は自分がいつか逮捕されるかもしれないという危惧を抱くこともなく、笑いながら毎日を過ごしていくことを許してしまうことになる。
昭和の時代の死体は雄弁だったという。
「私は病死ではない。殺されたのだ」「殺害方法はこうだった」
被害者の死体を検死・解剖し、死体の発する“声”に耳を傾ければ、おのずと犯人像や動機が見えてくる場合が多かった。
しかし平成の世では“動機のない殺人”が横行し、その被害者の遺体は何を語っていいか判らずに沈黙する。
死体は語らず、また、死体の声を聞き取る技術を持つ者がいない時代になってしまっているのだ──。
いくつもの殺人を見逃してしまう結果を生む現在の日本の体制、経験・知識・予算不足が蔓延する現場、変質する犯罪の実態。
元東京都監察医務院長として2万体の死体を検死した著者、上野正彦氏が現代社会に向けて警告する書。
氏は断言します。例えどろどろに腐敗しようと、焼け焦げようと、水中に沈めようと、ばらばらに切り刻もうと、死体は多くのことを語ってくれると。
『何の証拠も残さずに、人の命を奪うことなどはできないのである』
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作家名:あ行(その他)
- 感想投稿日 : 2013年7月18日
- 本棚登録日 : 2013年7月18日
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