五体不満足

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著者 : 乙武洋匡
iamgolgo13or007さん 人権   読み終わった 

 「やっぱり、ラスベガスといえばカジノ。というわけで、ボクたちはビンゴの会場へと向かった。大画面いっぱいに映し出されるナンバーを確認するたびに、手に汗を握る。え、握る手がないって?まぁ、細かいことは……。」(本書二三八頁)
 あまりに売れている本だから、いまさら書評もなんだけど、この本が売れたってのはこんな具合に自分自身の障害と障害に対する差別を著者自身が相対化できているところなのね。書名の『五体不満足』だって型にはまった人権教育しかしてこなかった人には不愉快なタイトルかもしれない。アタシだって最初に見た時にはドキッとしたっけ。たしかに健常者中心につくられてきたこの社会では障害者のことはあまり配慮しない文化がまかり通ってきた。そんな社会をバリアフリーにしていくには社会が障害者の位置に寄り添っていくことも必要だけど、障害者が社会に参加していく道を開くことも必要なんだなってことを著者は言いたいみたい。
 著者の乙武クンは先天性四肢切断、つまり生まれつき手足がないという障害を抱えた人なんだけど、フツーの学校へ通ってチョットイイ高校に進んで、あの早稲田大学に入っちゃった。この本はそんな著者の「自伝」といっていいのだろうか、生まれてから二十年余のあいだに出会ったいろんな出来事を書き綴ったものだ。いまどきの若者らしい軽佻浮薄な文体で書かれているので読みやすい(意識的に軽いタッチで書いてるみたいだけど……アタシみたいに。)。これまでの障害者問題を扱ったものはけっこう深刻なトーンで書くのが多かったよね。その点でこれはすっごく意味のあることだと思う。
 ひょっとして乙武クンは障害者のチョーエリートかもしれない、と思ったらそれはまちがいなのね。エリートに障害者のエリートがいたり、健常者のエリートがいたりするわけではないから……。早稲田までいったのだから、とりあえず受験生のエリートではあったって見るべきなのかな。(アタシは落ちたけど)
 それは運もよかったし、彼自身の努力もあったでしょう。だけど乙武クンの努力は格別すごい努力だったわけではなく、フツーの受験生が早稲田に入ったのと同じ努力だったと〈本人が思っていること〉なのね。そして本書で彼が言いたいのもそのことなのだと思う。「(生き方には)関係ないのだ、障害なんて。」(あとがき)という言葉がそれを語っているんだな。
 それにしても乙武クンは運がイイ。彼の運のよさというのは両親、友人、教師……出会った人々に恵まれたことなんだと思う。っていうより、乙武クンはそうした出会いの数々を本書で紹介しようとしている。そのひとつひとつに学ぶことは多い。
 例えば小学校で出会った二人の教師、低学年と高学年のちがいはあるけど最初の高木先生は乙武クンを障害者として特別扱いしない教育を本人にもクラスの子どもたちにもしてきた。一方、五年生から担任になった岡先生は乙武クンにワープロを与え、乙武クンにしかできない仕事をさせた。どっちが正しかったかって問題じゃないよ。どっちも的確に子どもの個性を受けとめた教育だったんじゃないかな。
 そうやってひとつひとつのエピソードを拾っていくとバリアフリーっていったい何だ、って問題になっちゃう。バリアフリーっていうのは「障害者にやさしい」っていうだけじゃだめなのね。乙武クンの子どもの頃の友だちが遊ぶときに「オトちゃんルール」って特別ルールを作ったことが書いてあるけど、それは乙武クンを仲間に入れてあげるためではなくて、仲間の乙武クンと遊ぶためだったんだ。きっとそんな姿勢のとり方がバリアフリーの基本なんだろうね。それがわかっているから乙武クンはわざわざ『五体不満足』なんてタイトルにしたんでしょう。ミョーに言葉にこだわっている人のほうがバリアが堅いのカモ…。

★★★★障害者がフツーに生きるって、たいへんなのだと思うのは健常者のほうかもしれない。気軽に読んで見たらイイよ、それがバリアフリーなんだから。

レビュー投稿日
2010年4月4日
読了日
2010年4月4日
本棚登録日
2010年4月4日
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